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なぜここに?なぜこの形?飛鳥に佇む謎の石造物「マラ石」を真面目に考察してみた

怪しくも魅力的な謎の石造物

画像:飛鳥京跡(撮影:高野晃彰)

古墳時代に、ヤマト政権が成立して以来、多くの大王の宮が置かれていたと考えられている奈良県。

なかでも飛鳥(明日香)は、592年、蘇我馬子・聖徳太子とトライアングル政権を打ち立てた推古女帝が、豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから、これまた女傑として名高い斉明女帝が石の都・飛鳥京を完成させます。

そして、夫である天武天皇の政治路線を受けついだ持統女帝が、藤原京へ都を移すまでのおよそ100年間、日本の歴史はまさにこの地を中心に動いていました。

このため、この時代はズバリ「飛鳥時代」と呼ばれているわけです。

そんな飛鳥の地には、いまだ掘り尽くされていない文化遺産がゴロゴロ眠っていて、今でも発掘調査によって新たな歴史的・考古学的発見が続々と報告されています。

筆者は年に数回、引き寄せられるように明日香村参りを行っていますが、そのたびに新たな発見を知って驚くばかりです。

「いやもう、どれだけロマン詰まってるんだ飛鳥は!」

と、つい言いたくなるほど「ナゾの石造物」がそこらへんに点在している、不思議スポットでもあります。

石造物はみな「これ、いったい何のために作ったの?」と、思わず首をかしげたくなるものばかりです。

画像:亀石(撮影:高野晃彰)

なかには鬼のまな板、鬼の雪隠のように、「終末期古墳の石槨だった」と判明しているものもあります。

しかし、亀石、二面石、猿石など、用途がはっきりしない“正体不明”の石たちも数多く存在しています。

そして今回紹介するのは、そんな明日香の謎石造物の中でも名前からして強烈なインパクトを放つ存在。

その名もズバリ、「マラ石」です。

この怪しくも魅力的な石造物。

さてさて、この「マラ石」とはいったい何なのでしょうか。

独特の存在感を放つ孤高のイチモツ

画像:マラ石。ほぼ正面から見ると陽石なのが分かる(撮影:高野晃彰)

昔の素朴な明日香村の姿を知っている世代にとっては、「ちょっと整備しすぎじゃない?」なんて思ってしまうところもありますが……。

まあ、それはひとまず置いておきましょう。

今回紹介するマラ石は、蘇我馬子の墳墓と推測されている石舞台古墳がある「石舞台地区」のすぐ隣、「祝戸地区」に堂々と存在しています。

「マラ」とは、もちろん男性器、つまり陰茎のこと。

このマラ石は、男性器を象った石=陽石で、女性器を象った陰石と対になって「陰陽石」と総称される存在です。

ただし「陰陽石」は、決して卑猥なものではありません。
それどころか、豊穣や子孫繁栄、多産の象徴として、古くから神聖なものとされてきました。

実は奈良県内、こうした陰陽石がたくさん点在しています。

飛鳥地方でも、奇祭「おんだ祭り」で知られる飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の境内には、ズラリと立ち並ぶ陽石が陰石相手に、これでもかとその存在をアピールしています。

画像:飛鳥坐神社の陰陽石(撮影:高野晃彰)

ただし多くの陰陽石は、陽石と陰石が並んでセット扱いされていることがほとんどですが、今回の主役・マラ石は単体なのです。

言い方はアレですが、「孤高のイチモツ」とでも呼びたくなるような、なんとも言えない独特の存在感を放っています。

ちなみに「マラ石」という呼び名が広まったのは、元・国立博物館館長で仏教考古学者の石田茂作氏が、『飛鳥時代寺院跡の研究』の中で、この石についてそう記したことがきっかけ。

古くから研究者の注目を集めてきた歴史があり、学術的にも重要な対象とされてきたのです。

里人たちに愛され大切にされてきた存在

画像:マラ石。倒れそうで倒れない微妙な角度を保つ(撮影:高野晃彰)

ではここからは、マラ石の正体について、真面目に考えてみましょう。

地中から露出している部分の長さは、およそ1メートル。
角度は約30度ほどで、斜めに傾くように伸びています。

地中にどれほどの長さの石が埋まっているのかは不明です。

ですので、石のそばに立つ説明板に目を向けてみます。

すると、そこには「本来は真っすぐに立っていた」と書かれていました。

さらに、「斜めに傾いてからは、倒れそうになるたびに里人が手助けをして、この角度にとどまっている」ともあります。

つまり「マラ石」は、里人たちから長い間愛され、大切にされてきた存在だったようです。

画像:マラ石の現地説明板(撮影:高野晃彰)

そして説明板には、こんな一文も。

「対岸の丘陵をフグリ山と呼び、マラ石と一対のものと考える説もある」

フグリ山の「フグリ」とは、もちろん陰嚢(いんのう)のこと。
つまり、飛鳥川を挟んで、陰茎と陰嚢が向かい合っている、というわけです。

とはいえ、陰茎と陰嚢が分離しているというこの位置関係、どう考えても不可解ではないでしょうか。

また別の説では、フグリ山を明日香の神奈備山である「ミハ山」に見立て、その山中にある磐座(いわくら)を陰石とし、そのセットとして「マラ石」を当てはめる、という考え方もあるようです。

神奈備とは「神のいます辺(べ)」という意味で、極めて神聖な場所。
磐座は、神が降り立つとされる巨石ですから、神聖であることは間違いありません。

そこで実際にフグリ山に登り、その磐座を見てきました。

しかし正直なところ、これを陰石と見なすのは、少々無理があるように感じました。

画像:フグリ山の磐座(撮影:高野晃彰)

ちなみに、飛鳥観光協会の公式サイトにも、マラ石についての説明があります。

それによると、「石棒状の立石の一種と考えられていますが、古代の子孫繁栄や農耕信仰の対象なのか、坂田寺の境界なのか、謎の石造物です」とのこと。

坂田寺は、飛鳥大仏を造った鞍作鳥(くらつくりのとり)が造営に関わった、鞍作氏の氏寺。
ですが、寺の境界を示すために、わざわざ“陽石”を置くものでしょうか。

考えれば考えるほど、ますます分からなくなってきます。

飛鳥京を守る結界の役目を果たした石造物?

画像:奥飛鳥の栢森を流れる飛鳥川 public domain

結局のところ、マラ石の正体は「謎」としか言いようがありません。

明日香村に残るほかの石造物もそうですが、分からないことが多い。
でも、その「分からなさ」こそが、飛鳥のいちばんの魅力なのかもしれません。

マラ石のすぐ近くを流れる飛鳥川は、筆者が個人的に大好きな場所でもあります。

今では細い流れになっていますが、飛鳥を訪れると、時間が許すかぎり川のほとりに腰を下ろし、清流をぼんやり眺めています。

そんな飛鳥川について、『万葉集』にはこんな歌が残されています。

「故郷を偲ぶ 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際に 霞立つらむ 神奈備の里」
(巻七・一一二五)

「清らかな瀬で千鳥が妻を呼び、山あいには霞が立っていることだろう。ここは飛鳥の神奈備の里である」

ざっくり言えば、そんな意味だそうです。

この歌からも、古代の人々が飛鳥川とその周囲を、いかに神聖な場所として捉えていたかが伝わってきます。

画像:稲渕集落の男綱(撮影:高野晃彰)

マラ石から細い道を南へ進むと、奥飛鳥の稲渕集落に行き着きます。

そこには「男綱」と呼ばれる勧請縄が掛けられており、さらに南の集落には、同じ勧請縄の「女綱」があります。

飛鳥から奥飛鳥へ入るには、この男綱・女綱の下をくぐらなければなりません。

綱の中央には、男綱には男性の陽物をかたどったものが、栢森の女綱には女性の陰物を象ったものが、それぞれ結び付けられています。

男綱・女綱には、豊作や子孫繁栄を願うと同時に、川下からやって来る災厄や疫病を防ぐ意味があるとか。

今は穏やかな細流ですが、古代において飛鳥川は重要な交通路であり、交易のための大切な水路でもありました。

飛鳥川は明日香村を流れ、下流で大和川に合流し、やがて大阪湾へと注ぎます。
つまり、大阪湾に上陸した人や物資が、大和川・飛鳥川をさかのぼって飛鳥京にたどり着いたわけです。

この川は、大王や豪族はもとより、飛鳥京に暮らす人々に多くの恵みをもたらしました。

その一方で、大陸から渡ってきた人々とともに、疫病などの脅威も運んできたのでしょう。

画像:左側面から見たマラ石(撮影:高野晃彰)

飛鳥川のほとりに佇んでいて、ふと、こんな考えが浮かびました。

もしかするとマラ石は、その立地から考えて、災厄や疫病を封じる「結界」のような役割を担っていたのではないだろうか…。

災厄や疫病が防がれれば、それは結果として子孫繁栄にもつながります。

唐突とも思える場所に、今にも倒れそうになりながら、それでも踏ん張って立ち続けている。
そんなマラ石を見ていると、思わず心の中で「頑張れ!」と声をかけたくなります。

未来永劫、この場所に立ち続けてくれることを、ただただ願うばかりです。

※参考文献
一般社団法人 飛鳥観光協会 『旅する明日香ネット』
文:写真/高野晃彰 校正/草の実堂編集部

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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