突然ですが、皆さんは命を狙われたことがあるでしょうか。あまりないと思いますし、もちろん筆者もありません。
でも、万が一狙われたとしたら、その犯人をなかなか許すことは出来ないと思います(筆者も自信はありません)。しかし長い歴史の中には、自分の命を狙ったテロリストを許すどころか賞賛し、挙句の果てにはその葬儀に香典まで出してやった人物がいるのです。
その名は大隈重信(おおくま しげのぶ)。佐賀藩士として幕末維新に活躍し、内閣総理大臣をはじめ明治政府の要職を歴任、早稲田大学の創立者としても有名な大隈が、なぜ命を狙われ、テロリストを許したのか……今回はそれを紹介したいと思います。
不平等条約の改正に向けて
明治二十一1888年、大隈は外務大臣に就任しました。当時の日本はかつて江戸幕府が欧米列強と結ばされた、いわゆる「不平等条約」の改正を至上命題の一つとしており、その交渉に行き詰まった井上馨(いのうえ かおる)からバトンタッチした形です。
「さて、どうしたものか……」
日本の国益を主張したいのはやまやまですが、それでは欧米列強が条約改正を認めてくれない……なので大隈は、主張すべきはしつつ、譲るところは譲るという妥協案を提示。
その中に「治外法権を撤廃する代わり、外国人裁判を担当する日本の司法官(裁判官&検察官みたいな存在)に、外国人を任用する」ことを盛り込んだのですが、その内容がリークされた事により、日本の世論は大激怒しました。
「「「ふ・ざ・け・る・なぁ……っ!」」」
それもそのはず、例えばA国人が日本国内で罪を犯しても、A国人の司法官はなるべく検挙しないよう、もみ消そうとするでしょうし、どうしても検挙せざるを得なくなっても、A国人の裁判官は、A国人被疑者を無罪or軽罪にもっていこうとするでしょう。
何よりも「官吏(公務員)は日本国籍を持つ者=日本人に限る」とする大日本帝国憲法第19条にも違反しますし、ここまで日本国をバカにした話はありません。
しかし大隈は「裁判所構成法の解釈しだいで違憲ではないし、そもそも、まずは『条約を改正した』という既成事実を作ることが、後によりよい改正へとつながるのだ!」などと譲りません。
「確かに不平等条約の改正は、政府はもちろん日本人すべての悲願ではあるが、その過程において取り返しのつかない悪しき前例を作ってしまっては、祖先にも子孫にも顔向けできない!」
しかし当時は国会も開設されておらず、政府が「やる」と言ったら、国民がいくら反対の声を上げたところで全く無意味……かくして大隈は内閣総理大臣の黒田清隆(くろだ きよたか)とタッグを組んで、条約改正に突き進もうとしていました。
爆弾テロで右足を失った大隈だが……
「日本人の意志で外国人による司法支配を許すなど……このままでは、文字通り日本が売り渡されてしまう!一体どうすればいいんだ……」
一方の国民たちは議論を繰り広げるばかりで、打てる手もない状態でした。そんな中、意見を求められた頭山満(とうやま みつる)がこう答えます。
「俺に意見などという気の利いたものはない。ただ……大隈をして(条約改正を)成さしめざるまで」
要するに「殺してでも止めてみせる(それしかない)」と言っているのですが、果たして頭山は大隈の暗殺を志願する同志・来島恒喜(くるしま つねき)に調達しておいた爆弾を与え、また選別として上等な洋装一式を贈ります。
果たして来島は大隈が乗った馬車に爆弾を見事命中させ、悠然と現場を立ち去った後で自決。大隈は右足を切断する重傷を負い、「国民の総意」を思い知らされた黒田は条約改正を思いとどまるに至ったのです。
「天下百万の諤々(がくがく)は、君が一撃に如(し)かず!」
日本全国に沸き起こった条約改正反対の議論も、お前が(大隈に)放った一撃には敵わない……来島の葬儀において、頭山が贈った弔事はたった一言。しかし、男に贈る言葉として、これ以上ない絶賛でした。
……そんな中、大隈からまさかの香典が届けられたのですが、その時のことを後にこう述懐しています。
「爆裂弾を放りつけた奴を、決して気違いの人間で、憎い奴とは寸毫も思わず」
「いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する」※大隈重信『青年の為に(東亜堂、大正八1919年)』より
国民には国民の思いがあり、そんなものは百も承知ではあるが、大隈は「どんなに反対されようが、条約改正こそが日本国のためになる」という絶対の確信があったからこそ推し進めたのです。
若者たちへのメッセージ
世論に媚びて命を惜しみ、信念を曲げるくらいなら、そもそも政治家などなるべきではない……自分の右足一本で条約改正が成るなら安いものだと本気で思っていたでしょうが、肝心の黒田が怖気づいてしまった無念は、察するに余りあります。
ウジウジと世を憂えて自殺するくらいなら、いっそ爆弾テロでも何でも、全力でぶつかって世の中を変えてみろ……若者はそのくらい(※)の心意気じゃなくちゃダメだと、かつて若き志士の一人として激動の幕末を駆け抜けた大隈の言葉は、令和の日本人にどう響くでしょうか。
(※)もちろん国会が開設され、普通選挙が実現した現代において暴力(テロリズム)は肯定されませんが、民主主義を勝ち取った先人たち(自由民権運動)の精神は、大切に受け継いでいきたいものです。
※参考文献:
伊藤之雄『大隈重信(上)-「巨人」が夢見たもの (中公新書 (2550))』2019年7月
早稲田大学『大隈重信演説談話集 (岩波文庫)』2016年3月
この記事へのコメントはありません。