桂小五郎とは
桂小五郎(かつらこごろう)とは、西郷隆盛・大久保利通と共に「維新三傑」の一人として知られるが、幕末の京都では「逃げの小五郎」と呼ばれ、新選組などから逃げ回っていた印象が強い。
桂小五郎は若い頃、柳生新陰流の道場で学び、江戸三大道場の一つ「力の斎藤」こと神道無念流・練兵館で塾頭を5年も務めていた。
坂本龍馬とも試合を行ったことがある剣豪だったことは、あまり知られてはいない。
「逃げの小五郎」と呼ばれた桂小五郎は、どれほどの剣豪であったのだろうか?
出自
桂小五郎は、天保4年(1833年)長門国萩で長州藩の藩医・和田昌景の子として生まれた。
小五郎は長男だったが、病弱で長生きしないと思われていた。
その為、和田家は姉が婿養子を取って家を継ぎ、小五郎は7歳で桂家の養子に出された。
しかし小五郎少年は悪戯好きのヤンチャ坊主に育ち、川を行き来する船を転覆させる遊びなどをしていたという。
ある時、あまりのヤンチャ振りに業を煮やした船頭から小五郎は櫂で頭を叩かれたが、額から血を流しながらも笑顔だったという逸話もある。
10代になった小五郎は冷静沈着な頭の冴えを見せはじめ、長州藩主・毛利敬親から2度も褒賞を受け、藩からも注目され始める。
吉田松陰の松下村塾で学び、やがて「事をなす才あり」と評された小五郎は、長州藩の剣術師範・柳生新陰流の内藤作兵衛の道場に入門する。
嘉永元年(1848年)元服した時に実父・和田昌景から「元が武士でない以上、人一倍武士になるよう精進せよ」と言われ、小五郎は剣術修行に明け暮れ次第に腕を上げ、その実力を認められるようになっていった。
江戸での剣術修行
嘉永5年(1852年)剣術修行を名目とする江戸留学を決意した小五郎は、藩の許可を得る。
長州藩に招かれていた江戸三大道場の一つで神道無念流「錬兵館」の剣客・斎藤新太郎の江戸への帰途に、小五郎は5名の藩費留学生たちと一緒に私費で江戸に上った。
錬兵館に入門し斎藤新太郎の指南を受けた小五郎はメキメキと上達し、なんと1年後には免許皆伝となって塾頭を任せられるのである。
小五郎は同時期に免許皆伝となった大村藩の渡辺昇と共に「錬兵館の双璧」と称えられるようになる。
塾頭を務めた5年の間には、幕府講武所総裁で「幕末の剣聖」と呼ばれた男谷精一郎の直弟子を破るなどしている。
また、大村藩などの江戸藩邸に招かれて剣術指導も行うなど、錬兵館の剣豪としてその名を轟かせていった。
小五郎は6尺(約180cm)の体格を活かして上段に構え、その静謐な気魄に周囲は圧倒されたという。
士学館の桃井春蔵や男谷精一郎にも「とても強かった」と言われており、新選組の局長・近藤勇にも「手も足も出なかったのが桂小五郎だ」と言わしめたという。
宇野金太郎との試合
藩命で帰国することになった小五郎は、帰路途中の岩国で「岩国に錦帯橋と宇野あり」と評判だった宇野金太郎と試合を行った。
宇野金太郎は中国地方一の剣豪と呼ばれ、箸でハエを掴む特技を持っており、修行者も宇野の道場だけは避けて通ると言われていたほどである。
小五郎は籠手で1本目を取ったものの、続く2本目は宇野の強烈な籠手を受け、腕がしびれてしまって竹刀を持つことができなくなってしまったという。
形式上では引き分けだが、小五郎は江戸でも味わったことのない剛剣をくらい、かなり悔しい思いをして長州に戻ったという。
坂本龍馬との試合
安政4年(1857年)3月、江戸の土佐藩上屋敷で開催された剣術大会で、小五郎は千葉道場に通っていた坂本龍馬と試合を行い、2対3で龍馬が敗れたという史料が2017年10月30日に発見されている。
また、一説には安政5年(1858年)10月、士学館の撃剣大会に小五郎は斎藤新太郎と共に参加し、瞬く間に4人を抜いたという。
すると周りから「龍馬出ろ!」の声がかかり、小五郎と坂本龍馬の対決は10本勝負で行われ、互いに5本ずつを取り合い、延長戦の11本目では小五郎が得意の上段から打ち込むと、龍馬に低く沈まれ、双手突きを決められて敗北したという。
武市半平太は自分が小五郎と戦わずに済んだことに安心し、龍馬の勝利に大喜びして絵入りの手紙を送ったという逸話もあるのだが、当時の龍馬や武市半平太はこの前月に土佐藩に帰郷していたという説もある。
おわりに
TVドラマなどの影響で、幕末の京都では「逃げの小五郎」と呼ばれるほど逃げ回っていた印象が強い桂小五郎だが、若い頃は江戸の名だたる剣豪たちと互角に渡り合った剣豪だったのである。
単に実戦に対して臆病だったのか、むやみに切り合って命を失うことは日本のためにならないと考えたのか、それは桂小五郎本人にしか分からない。
だが、明治維新の立役者となったことを考えると「逃げの小五郎」の選択は正解だったと言える。
へぇー知らなかった。桂小五郎がそんな剣豪だったなんて、坂本龍馬とも勝負していたんですね。
備前長船の清光、今はどこにありますか?