江戸時代

徳川綱吉【徳川5代目将軍】学問の奨励と生類憐みの令

徳川綱吉

徳川綱吉は1646年に生まれた。父は江戸幕府3代目将軍徳川家光で、4代目徳川家綱の弟にあたる。

徳川家綱には子供がいなかったため、5代目将軍を決める際、大老酒井忠清と老中堀田正俊との間で論争になっていた。4代目将軍家綱のとき大老だった酒井忠清は、源氏将軍が3代で途絶えた鎌倉幕府の前例を根拠に皇族から将軍を迎えようとしていた。一方で老中の堀田正俊は皇族から将軍を迎えることに反対し、4代目家綱に進言したことから、徳川綱吉が5代目将軍になることができたと言われている。

当時、綱吉は舘林藩の藩主で地方の藩から将軍になった最初の例である。ここでは、主に綱吉の政治と当時栄えた文化について取り上げたい。

徳川綱吉 の政治

徳川綱吉は学問を奨励したことで知られている。朱子学を奨励するために、当時加賀藩主 前田綱紀の侍講だった木下順庵を江戸に招いたことが挙げられる。江戸幕府に学者として仕えていた林信篤の私塾を湯島聖堂学問所として整備するなど学問に力を入れた。

綱吉が5代目将軍になったころ、幕府の財政は苦しかったと言われている。その要因として4代目徳川家綱のときに発生した明暦の大火が挙げられる。明暦の大火とは女性の振袖に引火して江戸中に燃え広がり、江戸が焼け野原になった火事である。この火事は振袖火事と呼ばれている。

4代目家綱の頃から復興を始めたが、出費がかさんだことから幕府の財政は逼迫していた。財政立て直しのために、勘定吟味役の荻原重秀による提案で、貨幣に含まれる金銀の量を少なくして小判を大量に発行した。この小判のことを元禄金銀という。


※元禄小判

元禄金銀に含まれる金銀の量が、徳川家康の頃に作られた小判(慶長金銀)と比べると、圧倒的に含有量が少ないことが特徴として挙げられる。


※慶長小判

綱吉の頃の物価は高騰し、人々はインフレに悩まされることになった。

綱吉の政治として代表的なものでは生類憐みの令がある。この動物愛護令を出すに至った背景として次のことが挙げられる。

綱吉には子供が2人いたが、2人とも早く亡くしている。以降子供ができなかった。世継ぎを誕生させるために僧侶に助言を求めると、動物の中で犬を大切にするようにと言われたことから生類憐みの令ができた。江戸だけでなく、全国で犬を大切にするようになり、町中にいる野良犬まで保護するようになったことから、経費がかかり、幕府の財政は苦しくなったと言われている。犬を大切にしたものの子供ができることはなかった。

生類憐れみの令は、動物愛護令の印象が強いが、本質は捨て子対策法であり、動物愛護はプラスアルファである。動物愛護に関しても厳しく取り締まったイメージがあるが、実情はなかなか取り締まることは難しく、地方などではあまり守られていなかったようである。

綱吉の死後は愛護の部分のみすぐに廃止され、捨て子の保護は継続していく

元禄文化

徳川綱吉が将軍の頃、京都と大坂を中心とする上方で文化が栄えていた。この上方を中心に栄えた文化を元禄文化という。元禄文化では人形浄瑠璃の脚本で知られる近松門左衛門曽根崎心中浮世草子井原西鶴、全国を旅して俳句を詠んだ松尾芭蕉などが挙げられる。


※松尾芭蕉像(葛飾北斎

綱吉が学問を奨励したことにより、位の高い武士だけでなく商人の間でも学問が広まり始めた。

幕府は儒学の中で朱子学を奨励したが、商人や武士を中心に中江藤樹陽明学が広まり始めた。また、薬物学など実用的な学問も貝原益軒によって広められた。他に、吉田光由関孝和らが数学を広めた時期でもある。

おわりに

徳川綱吉の頃の江戸幕府は明暦の大火の復興で出費がかさみ、財政が逼迫していた。金銀の含有量を減らした小判を発行したことによってハイパーインフレなど経済面でのマイナスの影響も見られた。

一方で、文化の面では上方を中心に盛んになっている。武士だけでなく庶民の間にも文化が広まっていることを踏まえると、幕府の政治基盤は安定していたと言える。治安の面でも綱吉の時代から劇的に良くなったようである。

次に、6代目将軍徳川家宣と7代目将軍徳川家継と政治について取り上げたい。

徳川15将軍シリーズ:
徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯
徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった
徳川家光【徳川3代目将軍】―幕藩体制確立を目指して
徳川家綱【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換
徳川綱吉【徳川5代目将軍】ー学問を奨励と生類憐みの令
徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】ー新井白石による政治改革
徳川吉宗【徳川8代目将軍】ー享保の改革
徳川家重〜家治【德川9〜10代目将軍】と田沼意次の政治
徳川家斉【徳川11代目将軍】松平忠信による寛政の改革
寛政の改革後の徳川家斉【化政文化】

 

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