江戸時代

ランドセルは江戸時代から使われていた 【初めてランドセル登校したのは大正天皇】

ランドセル

画像 : ランドセル wiki c NKBC

ランドセルは日本人であるなら誰しもが使ったことがあるだろう。

ランドセルの購入は小学1年生になった儀式のようなものであり、少々高額であるが子供のいる家庭は大体どこでも購入し、一種の文化のようなものとなっている。

では、このランドセルはいつから使われるようになったのだろうか?

ランドセルは江戸時代にやってきた

幕末の時代、幕府が洋式の軍隊を導入する際に、兵士の装備品としてオランダからリュックサックを購入したことが始まりである。

リュックサックはオランダ語では「ランセル」と言い、それがなまって「ランドセル」になったとされている。

「ランドセル」という名称も既にこの頃に定着していて、幕末の教練書である『歩操新式』にも「ラントセル」という読み仮名がついているのである。

明治以降も陸軍で使用されており、最初は軍事目的のカバンだったのだ。

初めてランドセルで学校に通ったのは大正天皇

子供用のランドセルが誕生したのは1887年(明治20年)である。

当時皇太子であった嘉仁親王(後の大正天皇)が学習院初等科へ入学する際に、当時の首相だった伊藤博文が祝い品として、子供用に作り直したランドセルを献上したことがはじまりである。

ランドセル

画像 : 1892年(明治25年)、13歳当時の皇太子・嘉仁親王 wiki c

つまりランドセルを背負って初めて学校に通ったのは、大正天皇だったのである。

とはいえ、当時は皇太子が使うようなカバンであり、ランドセルは大変高価であった。

ごく一部の富裕層のみが使うものであり、一般的に普及するのは人工皮革が登場した昭和30年代以降となる。

現在でも高価なランドセルであるが、起源からして元々高級品だったのである。

参考文献 : もののはじまりおもしろ雑学

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. アバター
    • ななし
    • 2025年 8月 01日 4:03pm

    大正天皇が誰かにもらって(誰かは諸説あるため)使うようになってから学習院内で広まり始めたのは事実かも知れませんが、始めてランドセルを通学鞄にしたのは、大正天皇ではなく学習院の決まりです。明治十八年から、「背嚢(背負い鞄)」を通学鞄として採用したもので、学習院大学史料館がその機関誌『学習院大学史料館紀要 第24号』において「誤謬である」と明確に否定していらっしゃいます。明治十二年に生まれた大正天皇が、学習院に入学したのは、御所内での教育のため少し遅れて明治二十年九月になります。
    ちなみに、佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』では、背嚢(ランドセル)の特許権が昭和四年に解消されたため、市販され一般に広まったとあります。よって、「ランドセルを背負って初めて学校に通ったのは、大正天皇だった」は、事実誤認であり、伝説的に広まった情報と思われます。

    0
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【べらぼう前史】吉原遊廓はいつ、どのように生まれた?その誕生秘話…
  2. 知られざる明治維新の「影の立役者」 老中・阿部正弘の慧眼とは
  3. 豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの…
  4. 大塩平八郎の乱 「庶民の為に反乱を起こした幕府の陽明学者」
  5. 江戸時代の侍がニューヨークでアイドルになっていた 【万延元年遣米…
  6. 参勤交代の仕組み 【大名はつらかったが全国の発展に繋がった】
  7. 少女の壮絶な戦争体験記 『おあん物語』 〜血なまぐさい生首ととも…
  8. 熊本城 について調べてみた【類を見ない規模の石垣】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

風鈴の歴史、種類、楽しみ方について調べてみた

日本の夏に欠かせない風鈴風鈴は日本らしい夏の情緒あふれる一品です。とはいえ、さす…

高橋統増(立花直次)~新陰治源流を起こした立花宗茂の実弟

名将の血統高橋統増(たかはしむねます)は、鎮西一の剛勇・知勇兼備の名将として名高い立花宗茂(たち…

井原西鶴の多彩な才能と生涯 「超負けず嫌いだった」

井原西鶴とは井原西鶴(いはらさいかく)とは、江戸時代の元禄文化を代表する俳諧師でありなが…

日本三大奇襲の一つ『河越城の戦い』とは 【天才・北条氏康の夜襲】

「日本三大○○」という言葉はよく耳にするが、戦国時代が好きな人にとっての「三大○○」とは何だろう…

織田信雄はそんなにひどい武将だったのか? 「バカ殿扱いの信長の次男」

織田信長は、いつの時代も英雄として描かれ続けてきた。嫡男である信忠は無能扱いをされて…

アーカイブ

PAGE TOP