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江戸時代の相撲文化とは 「最強力士 雷電 ~勝率は驚異の9割6分2厘」

相撲とは?

相撲とは一体何なのだろうか? そもそも相撲と大相撲の違いは何か。

実は「大相撲」というのは競技名ではない。

競技名は「相撲」が正解で、「大相撲」は日本相撲協会が主催するプロ興行の名前なのである。
相撲は日本で最も歴史が長い競技であり、更に大相撲は最も歴史があるプロ興行なのだ。

歴史は長いが、昔の相撲と今の相撲とではかなりの違いがある。

古い記録では紀元前23年の旧暦7月7日に戦ったという記述が「日本書紀」にあるが、蹴り技などもあり、今の形の相撲になったのは江戸時代からというのが定説となっている。

江戸時代の相撲

江戸時代の相撲文化と伝統

画像 : ※相撲絵、歌川国貞。public domain

江戸時代といえば国内の争いごとも収まり、庶民の間で様々な娯楽や文化で盛り上がった時代だ。

江戸の爛熟期には相撲もかなりの盛況を誇っていた。

そして11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)による上覧相撲をきっかけに、娯楽としての人気が更に熱をおびてくることになる。
徳川家斉の上覧相撲は実に5回行われた。大衆娯楽好きだった家斉は特段相撲に関心を持っていたようである。

江戸時代の最盛期には「雷電」と「谷風」と「小野川」の3大強豪力士がスターとなり人気に拍車をかけ、相撲は歌舞伎と並んで一般庶民の娯楽として確かな地位を築いていった。

この頃には相撲界で「横綱」という最高の地位も確立された。

横綱には名匠による美しく豪華な太刀が与えられ、最高位に相応しい相撲界の象徴としての役割も果たしていた。

最強力士 雷電

江戸時代の相撲文化と伝統

画像 : 勝川春亭による雷電の画 public domain

当時は3大強豪力士のうちの谷風小野川は横綱であったが、雷電のみ横綱にはならなかった。

なぜ横綱にならなかったのかは諸説あるが、理由は不明である。

江戸時代から始まった人気格闘技としての相撲で、歴代最強と言われているのが実はこの雷電なのだ。

身長197cmの恵まれた体から繰り出される確かな技の数々と「馬をひょいと持ち上げた」という逸話も残っている圧倒的な力で勝ち星を積み上げていった。

その生涯戦績は未だ誰にも破られていない「254勝10負2分」。
勝率は驚異の「9割6分2厘」である。

強すぎた故に、雷電は「張り手」と「かんぬき」と「突っ張り」の使用を禁じられていたという逸話もある。
ただしこれは相撲講談などで語られた逸話で信憑性は低く、突き押し主体の相撲であったと考えられている。

相撲と伝統

江戸時代の相撲文化と伝統

画像 : 画像.両国国技館の「織田信長公相撲観覧之図」

相撲形式の競技は遥か昔から世界中にあり、相撲の正確な発祥地ははっきりしていない。
だが日本ほど大規模な興行を行い、力士の質や社会的地位が高い国は稀である。

江戸時代よりもっと前の中世時代前後には宮中行事として相撲が行われていた。
また神社で祭事として相撲が行われ、豊作祈願の農耕儀礼としても行われている。

こういった過去の経緯があり、相撲と神事の親和性は高く、そういった形跡は今でも相撲のあらゆる場面で見られる。
例えば力士の土俵入り時の拍手もそうであるし、横綱の注連縄も同様である。

東京で行われる本場所の前々日には、野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)で、相撲協会や審判部の幹部などが出席して神事が行われる。
前日には土俵に神様をお迎えして本場所の安泰を祈願する土俵祭り、千秋楽にはお迎えした神様をまた天上にお送りする神送り儀式が行われる。

そして国技館の土俵の上に大きく造られる吊り屋根は、伊勢神宮と同じ神明造りとなっている。
清めの塩も地の邪気を祓うためにまかれるし、四股も足下の地面の邪悪なものを封じ込めるという意味がある。

相撲の土俵が女人禁制と言うのも「血は穢れ」という神道の考え方からきている。
このため、過去には女性大臣が賜杯授与の役目を相撲協会から断られて、問題になったこともあった。

また、大相撲での派手なパフォーマンスは賛否両論で時折問題になるが、これは神事の方ではなくあくまでも相撲が武道だからである。

最後に

相撲の文化はどれも伝統的である。

中でも四股を踏んだ後に、前の取組に勝った力士からの力水をつける作法は、約1200年も前の平安時代の相撲節会の頃からずっと行われてきている。

遥か昔からの伝統を残す相撲であるが、江戸時代の頃から今の形式で庶民に親しまれ続けている事には驚かされるばかりである。

参考文献 :
日本相撲協会
力士雷電

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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