江戸時代

【NHK大奥】三浦透子が演じたひきこもり将軍家重は、植物を愛する超イケメンだった

NHKドラマ10『大奥』で三浦透子さんが演じた第9代将軍、徳川家重(いえしげ)。

名君である実父・吉宗と比べられることも多く、暗愚や凡庸など歴史上不遇な評価を受けることが多い。

しかしその実像は、植物を愛する心優しいイケメンだった。

英才教育とひきこもり

三浦透子が演じたひきこもり将軍家重は、植物を愛する超イケメンだった

※画像 : 徳川家重像(伝狩野英信画、徳川記念財団蔵)public domain

徳川家重は、正徳元年(1711)12月21日、8代将軍吉宗の長子として、江戸赤坂の紀伊藩上屋敷で生まれた。

次期将軍として大いに期待され、幼いころから吉宗による英才教育を施され、4歳の頃、老中・安藤対馬守に「嘉辰令月」としたためた書を与えている。

だが、家重は生まれつき体が弱く、近臣も聞き取ることができないほど言葉が不明瞭だった。

他人との意思疎通が苦手なためか、幼いころから大奥にこもり、若くから酒浸りの生活を続けていた。35歳で将軍になっても、すべての政務は重臣に任せ、朝会以外は大奥にいることが多かった。

そのため家重の日頃の言動を知るものは少なかったのである。

美男子だった家重

昭和33年、増上寺にある歴代将軍の墓と遺体の調査がなされた。

調査に参加した鈴木尚氏は著書『骨が語る日本史』の中で、家重の顔について、

当時の庶民が広顔型で寸の詰まった丸顔であるのに対して、より細面でしかも高く秀でた鼻梁から推察すると、鼻筋の通った整った顔

頭骨から復元される容貌は歴代の将軍の中で、最も整った顔立ちをもち、その意味で歴代将軍の中で、最も美男子であったと思われる。

引用:鈴木尚.『骨が語る日本史』.学生社

と述べている。

しかし徳川家に伝わる家重の肖像画は、上の画像のように「口をすぼめ顔をしかめた表情」をしており美男とは言い難い。

骨からの復元図と肖像画が一致しないのは、家重が脳性麻痺を患っており、肖像画を描かれているときに、緊張のせいで顔面筋の不随意運動が高まったためだろうと鈴木氏は推測している。

また、家重の歯には著しい摩耗があった。これは永久歯が生え変わってから一生の間、朝から晩まで歯ぎしりをしていたことを示している。

家重の言語が不明瞭だったのは、脳性麻痺による不随意運動と歯ぎしりによるものだとも言われている。

人を見る目に長けていた

三浦透子が演じたひきこもり将軍家重は、植物を愛する超イケメンだった

※画像 : 大岡忠光像(龍門寺蔵) public domain

引きこもりがちな家重が、最も信頼したのが旗本の大岡忠光だった。

忠光は、16歳のときから小姓として家重をそばで支え続けた。そのため言語不明瞭だった家重の言葉を理解できたのは、忠光だけだったと言われている。

家重は忠光を重用し、宝暦6年(1756)側用人に任命した。

吉宗の時代に廃止された側用人が復活することとなったが、家重は忠光が権勢を振るうような人物ではないことを見抜いていたのであろう。老中の合議制がしっかり機能し、安定した政治運営がなされた。

画像 : ※田沼意次(牧之原市史料館所蔵)public domain

また、家重が見出したもう一人の逸材が田沼意次である。

家重の治世には各地で大規模な農民一揆が起こっていた。郡上八幡一揆が起きたとき、家重はこの事件に幕府要人が絡んでいるとの疑念を抱き、側近の意次を評定所での審議に送り込んだ。

徹底的な審議の結果、藩政に癒着していた老中、若年寄、大目付、勘定奉行らが断罪された。

審議を取り仕切った意次は、その手腕を認められ幕政進出のきっかけをつかんだのであった。人を見る目に長けていた家重に見出された田沼意次は、次期政権を支える存在となる。

植物を愛する優しい心の持ち主

家重は植物が好きだった。

あるとき、近江国宮川藩主が浅草の下屋敷に咲く赤芽桜を献上したところ、あまりに見事だったので家重は大いに喜び、赤芽桜を庭に移植したいと言い出した。

※桜 イメージ画像 wiki c

桜は老木なので移したら枯れてしまうという話を聞いた家重は、「それならば、ひこばえを植えて育てよう」と無理を通さなかったという。

そんな家重の植物好きを知った大名が、豪華な蒔絵の器に花を植えて献上してきた。すると、家重はとたんに不機嫌になり、「だいたい草木は花そのものを愛でるべきで、器を飾るなどあってはならないことだ。」と言って持ち帰らせたという。

また、家重はを見るのも好きだった。庭師の回想によると、家重は花の枝を折るためによく庭にやって来た。庭師たちが木の植え替えや手入れをしていると、庭師たちに菓子を与え、自分は座敷の奥から静かにその様子を眺めていたという。

人とうまく関われず大奥に引きこもりがちだった家重が、唯一心安らかに過ごせたのは植物を愛でている時だけだったのかもしれない。

宝暦10年(1760)、腹心の大岡忠光が亡くなると、家重は将軍の座を長男・家治に譲り、大御所となった。

翌年、忠光のあとを追うように家重は息を引き取った。享年51であった。

参考文献:黒板勝美,国史大系編修会編輯(1966)「国史大系第46巻 徳川実紀第9編」.吉川弘文館
鈴木尚(2009)「骨が語る日本史」.学生社

 

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