群雄が割拠し、争いを続けていた戦国時代。男たちが戦に身を投じている一方で、女たちは動乱の世をいかに生きたのか。
今回は関ヶ原の戦いで、すさまじい経験をした少女・おあんの戦争体験記『おあん物語』(※おあむ物語とも)を紹介しよう。
『おあん物語』とは
『おあん物語』は、江戸時代前期に土佐・高知城下で老尼が語った昔話を聞き書きした戦国女性の体験記である。
成立は、正徳年間(1711年 – 1716年)。戦国時代の武家の女性の暮らしぶりを記した貴重な史料であり、語りをそのまま聞き書きしていることから、江戸の人の話し言葉を知りうる貴重な手がかりともなっている。
老尼の名は、おあん。
彼女は話し上手で、子どもたちから、「むかし物がたり、なされませ」とせがまれると、自身の壮絶な戦争体験を赤裸々に語って聞かせた。
おあんの出自
おあんの父親は、石田三成の家臣・山田去暦で知行300石取りだった。
彦根に暮らしていたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、石田方の美濃大垣城に入った。
おあんは当時17歳。一家(父・母・弟)で岐阜の大垣城に籠城し、地獄の生活をおくることになる。
血なまぐさい生首が転がる天守での籠城生活
徳川方の軍勢からの砲撃が激しくなる中、武士の妻や娘たちは天守閣に集められ、鉄砲玉を鋳造する作業に駆り出された。
おあんは、「はじめのうちは生きた心地もせず、石火矢(大砲)の音もただただ恐ろしいと思ったけれど、慣れてしまえばなんということもなくなった」と語っており、戦の場では恐怖感が麻痺してくるようである。
おあんたちには、鉄砲玉づくりの他に「首化粧」という恐ろしい仕事も課せられていた。首化粧とは、討ち取った首を水で洗い、髪を梳き、薄化粧をほどこす作業である。
生首は天守閣に集められ、誰が討ち取ったのか、誰の首なのかが分かるように、まずそれぞれの首に札がつけられる。その後化粧がほどこされるのであるが、当時鉄漿(おはぐろ)は身分の高さを表すものであり、高貴な身分の武将の首には、戦後の恩賞のため鉄漿(おはぐろ)をほどこすこともあった。
生きるか死ぬかという籠城生活で、生首を前に「血が怖い」「気色悪い」などと言っていられる状況ではない。おあんは昼間は鉄砲玉を作り、夜はせっせと首に鉄漿(おはぐろ)を塗る仕事を気丈にこなしていった。
彼女は、「首は怖いものではなく、血だらけの生首がゴロゴロ転がる血なまぐさい城の天守で寝たこともある」と当時を振り返っている。
悲劇が訪れたのは徳川方の攻撃が一層激しくなり、おあんたちのいた本丸も銃撃にさらされた時だった。
おあんの目の前で14歳の弟に銃弾が命中し、弟はひくひくと痙攣し息を引き取った。冷たくなっていく弟をおあんはただ黙って見ているしかなかった。
「むごいことを見ておじゃったのう」老尼のおあんは子どもたちにそう語った。
城からの脱出。逃げる途中でなんと出産
落城が刻一刻と迫る中、おあんは暗い天守の中で、明日には死ぬのかもしれないと心細くなっていた。
そんな中、父親の去暦が秘かに天守へやって来て、こっちへ来いと手招きをした。去暦は城から家族を脱出させる手はずを整えていたのだ。
母親と一緒に父についていくと、城の北側のお堀端へ出た。塀のわきから梯子がかけてあり、水堀を渡るための大きなたらいが用意してあった。おあんはたらいに乗りこみ、必死に漕いでなんとか堀の向こう側へ渡ることができた。
たらいから降りると、おあんたち家族はわずかな家来を引き連れ、闇に紛れ逃亡した。
城を離れて5,6町(500~600メートル)ほど行ったとき、母親が腹痛を訴えた。
この時おあんの母は妊娠中で、しかも臨月だったのだ。
急に産気づいた母親の腹の痛みはどんどん強くなり、そのまま道ばたで娘を出産した。赤子はすぐに田んぼの水で産湯を使い、供の者が自分の懐に入れて包んだ。
出産直後の母親を父親が肩にかついで歩き、おあんたちはなんとか落ち延びることができた。
おあんのその後
その後おあん一家は、親類を頼って土佐へと渡った。
元浅井家家臣で山内一豊に仕えていた雨森氏康(あめのもりうじやす)が迎え入れ、父は浪人となり、兄は土佐藩主・山内一豊に馬廻衆として仕えた。
おあんは雨森氏康の孫・氏行に嫁ぎ、夫の死後は甥の山田喜助清次のもとで暮らした。
その後は出家し、寛文年間(1661-73)に80歳を過ぎて生涯を終えたという。
おあんの語る昔語りは、少女時代の壮絶な戦争体験談である。落命と隣り合わせの脱出劇を「こわいことじゃったのう」とおあんは語った。
徳川がもたらした戦のない安寧の世を誰よりも喜んだのは、戦国時代をたくましく生き抜いた女性たちだったのかもしれない。
おあむ物語だったと思うのだが…?
本文も「おあん」と「あおん」がごちゃ混ぜに出てくるので、話が話が入ってこない。せめて主人公の名前は間違えないでほしい。
一部あおんになってましたね。ご指摘ありがとうございます。
修正させていただきました。