平安時代

陰陽師・安倍晴明が一千年前の国家官僚だったという意外な事実について調べてみた

伝説の陰陽師・安倍晴明

(出典 flickr Keisuke Mutoh)

 

2000年代に巻き起こったブームで「陰陽師」という存在はすっかりメジャーになった。

いまや和風ファンタジーでは陰陽師の存在は欠かせない。

そのなかでも、もっとも有名な陰陽師といえば安倍晴明だろう。

歌舞伎の演目や夢枕獏の「陰陽師」シリーズをはじめ、多くの創作物に登場するが、晴明は実在の人物だ。

京都には彼を祀った「晴明神社」という神社もある。

 

今昔物語宇治拾遺物語には、晴明がいかに優れた陰陽師だったかを示すこんな逸話がある。

ある貴族から「術で生き物を殺せるのか?」と聞かれた晴明は、

「可能だが、生き返らせる方法を知らないのでやりたくない」と答えた。

しかし、貴族は試しに庭の蛙を殺してくれと食いさがった。

晴明は気がすすまないままに葉っぱに呪文をかけ、蛙の近くに投げた。

すると、蛙はつぶれて死んでしまった。

あまりにもあっさりと蛙を殺した晴明に、貴族は顔を真っ青にした。

このような逸話があれば陰陽師を平安京の魔術師のようにとらえる人が多いのもむりはない。

しかし、実際のところ、安倍晴明の正式な肩書きを知っている人は少ないだろう。

彼は、現代でいうところの国家公務員、いわば官僚だったのである。

 

晴明が所属したお役所「陰陽寮」と「陰陽師」の仕事

 

(出典 flickr Kentaro Ohno )

 

安倍晴明は国家が設立した組織に属していた。

その名も「陰陽寮」。はっきりとした成立時期はわかっていないが、少なくとも7世紀後半には存在していたとされる。

8世紀初頭には中務省の管轄になった。「中務省」とは、天皇の側近事務を行う役所である。

現代でいうところの、内閣府の一機関といったところだろうか。

陰陽寮では「陰陽頭(おんみょうのかみ)」をトップに据え、14人ほどが在籍していた。

そのなかで、管理職ではなく現場で陰陽師としての活動をしていたのは「陰陽博士」「歴博士」「天文博士」「漏刻博士」などの10人ほどだった。

彼らは一体、どのような仕事をしていたのだろうか。

少なくとも映画やライトノベルのような、妖怪や怨霊と派手に戦うといったものではなかったのである。

 

(出典 flickr Wei Jen Chang )

 

陰陽博士の仕事の基本は「占い」であった。

平安時代の人々は怪異現象が起こると「何かおそろしいことが起こる前触れではないか」と考え、陰陽博士たちがその裏に隠された天からのメッセージを占いで読みとっていた。

また、土木工事前に土地の相を占いで判定する、というのも陰陽博士の仕事だった。

現代でいうところの、市役所の土木課の地質調査といったものだろうか。

 

「歴博士」の仕事は、名前の通り暦の作成だった。

現代人の感覚だとカレンダーづくりは国家の仕事ではないように思えるが、さまざまな自然現象の引き起こす神々の働きを計算して暦を作ることは、陰陽道の知識が必要だったのだ。

 

「天文博士」の仕事は、天体観測と気象観測。

今日では天体ショーとして親しまれている宇宙の現象も、平安貴族から見れば原因不明の怪奇現象である。

天体ショーの吉凶を占うのも彼らの仕事だった。

 

「漏刻博士」の仕事は時間の管理だ。

水時計を使って時間を計測し、鐘を鳴らして時刻を伝える「守辰丁」と呼ばれる者たちの管理だった。

 

卜占や天体観測を、民間が勝手に行うことは禁止されていた。

なぜ、これらの仕事を国家が管理していたのだろうか。

天皇は「天」という字が入るように「天に代わって政治を行う」と考えられていた。これは、中国における皇帝と同じ考え方だ。

朝廷自体が祭祀集団だったと主張する学者もいる。

天の運行や神々の働きを読み取ることは、朝廷にとってかなり重要なことだったのだ。

 

国家官僚・安倍晴明の仕事は陰陽師だけではなかった

(出典 flickr 惡魔小偉 )

 

安倍晴明はどのような仕事をしていたのだろうか。

彼は「天文博士」だった。

天体や気象の観測が主な仕事である。

晴明は15年間、この役職についていた。

大鏡』には「晴明が花山天皇の退位を、天体観測で予知した」というエピソードが登場する。

 

陰陽寮の陰陽師は貴族でもあったため、一般人の数十倍の給料を得ていた。

職分田と呼ばれる領地を与えられ、そこを経営することで収入を得ていたのだ。

安倍晴明というと陰陽師としてのイメージが強いが、彼が官僚として行っていた仕事は、陰陽師だけではなかった。

 

晴明は天文博士を務めたのち「主計権助」という役職についている。

これは徴税にまつわる仕事だ。

 

さらには、現在の岡山県西部の国司である「備中介」、儀式に使う供物を用意する「大膳大夫」、京都の東側を統括した「左京権大夫」と、陰陽師とは関係のないさまざまな役職を歴任していた。

 

まとめ

陰陽師の仕事は占いのほか暦の作成、天体観測、さらには時刻の管理と、意外と地味なものであった。

さらには、彼らは陰陽師としての仕事にとどまらず、さまざまな役職を異動していた。

陰陽師は、まぎれもなく国家官僚だったのである。

 

<参考文献>

繁田信一『安倍晴明 陰陽師たちの平安時代』吉川弘文館 2006年

斎藤英喜『安倍晴明 陰陽の達者なり』ミネルヴァ書房 2004年

豊嶋泰國『安倍晴明読本』原書房 1999年

 

 

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 「鎌倉殿の13人」第4回ついに頼朝が挙兵!運命の8月17日を『吾…
  2. 『今昔物語集』が伝える平良文と源宛の一騎討ち
  3. 【平安の京No.1の絶世美女】 常盤御前 ~華やかな宮廷生活から…
  4. 『源氏物語』に登場する女性たちの人気ランキングベスト5
  5. 源頼朝は伊豆の流人からどうやって将軍になれたのか?
  6. 清少納言は「かき氷」にシロップをかけて食べていた 【平安時代の驚…
  7. 「止むことのない災厄の嵐!」桓武天皇を恐怖させた早良親王の荒ぶる…
  8. 中宮定子 ~清少納言が憧れた才色兼備の才女

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【ホムンクルスと四大精霊】パラケルススについて調べてみた

人類は昔から「人が人を作る」という魅力にとり憑かれてきた。それは人形であったり、ある意味ではミイ…

高天神城へ行ってみた【続日本100名城 観光】

──みどり木 踊る 山の上 高天神城よ 何想う♪高天神城へ行ってきました。寒…

中世の騎士について調べてみた

「勇気」「忠誠」「礼節」「騎士」には、このような言葉がイメージされやすい。しかし、これは…

蜂須賀正勝 〜豊臣秀吉の出世を支えた名脇役

墨俣一夜城で有名蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)は、小六(ころく)の名で一般的に知られた武…

江戸時代の変わった殿様たち 「温水プールを作った、ブリ好きが原因で自害、7度も強制引っ越し」

今回も前編に引き続き、江戸時代の殿様の暮らしと、変わった殿様たちについて解説する。殿様の1日…

アーカイブ

PAGE TOP