「また始末書かよ、これで何度目だよ」
「うるせぇ、次はバレないようにやるさ」
……なんてマンガのような会話をどこかで聞いたような、やらかした不始末について反省と再発防止を誓約するために書かされる始末書。
「私は仕事をサボって彼女とデートしてしまいました。次はバレないよう反省します」
まぁ、これで反省するタマならそもそも始末書を書かされるような悪さはしませんし、一方で書かされる手合いは何度書いても(むしろ慣れ切ってしまって)あまり反省しないものです。
よってあまりに反省しない者については減給や停職、果ては免職(クビ)という厳しい処分が待っているものですが、昔は逆に「こんな不祥事でも始末書ですんじゃうの?」という事例もありました。
そこで今回は平安時代、朝廷に出仕する貴族たちがやらかした不祥事の一例を紹介。なかなかアバウトな面があったようです。
内裏の警護を怠った隙に盗賊が侵入!
時は寛仁元年(1017年)1月、新年早々に内裏へ盗賊が侵入する騒ぎが発生しました。
「宿直(とのゐ)の者たちは、いったい何をしておったのだ!」
「それが……」
問いただしたところ、その夜宿直に当たっていた者の多くがサボっており、内裏が隙だらけだったと言います。
もし盗賊の目的が金品ではなく、陛下(第68代・後一条天皇)のお命だったとしたら……考えるだけでもゾッとする話です。
……が、摂政の藤原道長(ふじわらの みちなが)は彼らに対して怠状(たいじょう。始末書)を提出させるだけでその罪を免じました。
現代に例えるなら宮内庁関係者が警備をサボっている隙に、皇居へ不審者の侵入を許してしまったようなもので、その罪まさに「万死に値する」と考えてしまいます。
にもかかわらず、始末書一枚(実際に紙何枚かは不明)で済まされてしまったのはなぜか……その理由は詳しく記されていないものの、恐らく彼らは道長のお気に入りだったか、あるいは「貸し(後日の取引材料)」にしたなどの利害があったのでしょう。
もちろん道長も、厳罰に処する時は処しています。逆らうと怖いが、なつく者には甘くしてやる(事もある)……こうした飴と鞭の使い分けが、何だかんだ言われながらも道長が支持される要因でした。
(他にも諸行事の手伝いなどで褒美を弾み、貧しい下級官人たちを味方につけるなど、勢力基盤の構築に余念がなかったと言います)
不正は決して見逃さない!藤原実資は意気込むが……
そんな道長とは対照的に、伯父の藤原実資(さねすけ)はこうした不正に対して厳しく対処しました。
同じ寛仁元年(1017年)の12月、来年正月に執り行われる白馬節会(あおうまのせちえ)に引き出す白馬の列見(事前点検)を行おうとした時のこと。
馬の調達を担当する馬寮(めりょう)の者がこう申し出たといいます。
「畏れながら、担当の者が触穢(しょくえ)であるため、列見がかないません」
触穢とは文字通り「ケガレにふれてしまう」ことで、周囲へケガレを伝染させぬよう、一定期間の謹慎(神事への参加を遠慮するなど)が求められました。
現代でも、喪中(近親者を喪った翌年)は一年間神社にお参りしないなどの風習として残っているところもありますね。
「それは困ったな、どうしたものか……」
しかし実のところ馬寮は触穢などではなく、単に饗料(きょうりょう。神事の費用)を工面できないから嘘の言い訳をしているとの密告がありました。
予期せぬ出費があったのか、あるいは担当者が使い込んでしまったのか……しかしそんなことで大切な神事に手抜きを許す実資ではありません。
「触穢とは、何のケガレか。また何日謹慎するつもりか。そして触穢によって列見を行わなかった先例は存在するのか」
その訊問に対して右近府生の紀保方(きの やすかた)が報告します。
「そういう先例はないようです。ただし左馬寮(さめりょう)は去年の列見を行っておりません」
どうも左馬寮と右馬寮が毎年交代で列見を実施しているようで、去年左馬寮がやらなかったのだから、理由はともかく今年もやらなくていいではありませんか。
……とばかりの言い草に、実資は「いい訳あるかい!」と右馬属(うまのさかん。属は官庁の四等官)である光方(みつまさ。姓は不明)に予定通り実施するよう命じます。
が、この光方も「すいません、触穢になっちゃいました。『堅固の身の慎しみ』をもってご辞退申し上げます」と直前にドタキャン(欠怠)。
「まったく、どいつもこいつも!」
重ねて問いただした実資でしたが、結局今年の列見も行われなかったのでした。謹慎期間中、一日十枚くらい怠状を書かせてやりたいところですね。
終わりに
……とまぁこんな具合に、隙あらば理由をつけて仕事をサボろうとする者と、何とか仕事をさせようとする者の構図は今も昔も変わらないようです。
「まぁまぁ伯父上(実資)、そうカッカせんでもいいじゃありませんか……」
「ズルいぞ!そなた(道長)はいつもそうやって甘い顔で連中を取り込みおって……尻拭いする身にもなってみろ!」
そんなやりとりがあったかどうだか。かくて政庁には誠意のない始末書が山と積み上げられ、うんざりグダグダと処理されていったようです。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
角田さんの文章は面白いが創造でしょう
コメントありがとうございます。
拙文を「面白い」と言って下さって、本当に嬉しいです。
さて、確かにご指摘下さった通り、史料にこれらのやりとりが網羅されている訳ではありません。多分に推測や想像、仮説なども混じっています。
とは言え、史料の隙間を仮説や想像で埋め、つなぐ手法は三谷幸喜さんなども使っています。
あくまでも文献半分、読み物・語り物半分というつもりで楽しんでいただけたら幸いです。
これを励みに、ますますブラッシュアップしていけるよう精進して参ります。