光る君へ

これはパワハラ? 源倫子と紫式部の静かなバトルがこちら 【光る君へ】

優しくおだやかで、辛いことがあっても気丈に振舞った源倫子(りんし/ともこ/みちこ)。

才知に恵まれながらも奥ゆかしい彼女は、夫の藤原道長を公私ともに支えたと言います。

道長の間には4女2男をもうけ、娘たちを次々と入内させることで夫の栄達を助けたのでした。

まさに良妻賢母を絵に描いたような倫子ですが、彼女もまた人の子。時には意地悪なことをすることもあったようです。

今回はそんな一幕を紹介。時は寛弘5年(1008年)9月9日、重陽の節句を祝う宴席でのことでした。

菊綿の贈り物

菊の着せ綿。朝露と菊の香りがよくしみ込む。

重陽(ちょうよう)の節句とは、毎年9月9日に行う年中行事です。当時は旧暦なので、現代の10月上旬になります。

この時期は季節の変わり目で体調を崩しやすいため、菊の薬効をもって心身を整える目的で始まりました。

例えば菊の花を酒に浸した菊酒や、菊の花に綿をのせて朝露に湿らせた菊綿など、様々な形で堪能します。

この菊綿には菊の香りや薬効成分が朝露とともに含まれており、これで身体を拭うと若さと健康を保てるのだとか。

いつの時代も女性は若く美しくあり続けたいものだから、倫子も菊綿を愛用したことでしょう。

「これ、兵部のおもとや」

「はい」

「こちらの菊綿を、式部さんのところへ持って行ってあげてね」

「かしこまりました」

兵部(ひょうぶ)のおもとと呼ばれる倫子の女房は、菊綿を同席していた紫式部の元へ持っていきました。

「式部さん、ごきげんよう」

「これは兵部さんもごきげんよう」

「北の方(倫子)様より、こちらの菊綿を式部さんに、って」

「まぁ、菊綿ですか。こんな貴重なものを、本当にありがとうございます」

当時の綿は貴重だったため、紫式部は大変喜んだことでしょう。

ここまでなら、特に問題はなかったのです。しかし兵部のおもとは、余計な一言をつけ足したのでした。

菊綿に包まれた真意?余計な一言が火種に

兵部のおもとが放った一言(イメージ)

「そうそう。北の方様はこう仰っていたわ。『これでお身体の老いをよぉ〜っくふき取って、いつまでもお若くいらして下さいましね』って」

……は?

いま貴女、何と仰いまして?

お身体の老い?

誠に残念ながら、紫式部は察してしまいました。そういうヤツなのです。

(つまり倫子さまは、この私をババアだと仰りたいのですね?)

だいたいアンタの方が私より歳上(年齢差は諸説あり)だろうがよぉ……紫式部のこめかみに青筋が走ったとか走らないとか。

しかしここでキレてはいけません。現時点ではあくまでも好意の形をとっているからです。

人間誰しも大なり小なり老いるものだし、若々しくあるよう願うのは、むしろ好意の表れです。少なくとも表向きは。

もしここで怒りを示そうものなら、寄ってたかって紫式部の「勘繰り」を避難することでしょう。

ここまで読んで嫌がらせをするのが、やんごとなき平安貴族の嗜みというもの。よろしくて?

……とは言え一矢報い、もとい気の利いたお返事をせねば、それはそれで笑いものです。

表向きは倫子の好意を喜びつつも、反撃の皮肉を併せ持つイカした一首を……。

よしできた。紫式部は瞬く間に「お礼」の和歌を詠み上げました。

「若返りはアンタこそ必要なんじゃないの?」紫式部の皮肉

源倫子と紫式部の静かなバトルがこちら

画像:紫式部 public domain

菊の露 若ゆばかりに 袖ふれて

花のあるじに 千代は譲らむ

【意訳】菊綿に含まれた若返りの朝露は、私ごときにはもったいないので、袖がふれるお気持ち程度いただければ十分です。むしろ花のように美しい貴女様こそ、いついつまでもお若くお美しくあるよう、残りはお返しいたしますわ。

要するに「このように大変貴重な贈り物、お気持ちだけで胸がいっぱいです。これほど素敵なものは、花のような貴女様にこそふさわしゅうございます」という感謝と気遣い……というのはあくまでも表向き。

その真意は「好意のテイをとっているから一応気持ちだけはもらっとくけど、こう言うアンチエイジングは、アンタの方こそ必要でしょ?年下相手にナニ見栄とか張ってんの?」つまり「ババア無理すんな」というメッセージですね。

このエピソードは紫式部ファンの間でもけっこう評価が分かれており、あくまで表向きの美しい主従関係を信じる派と、裏側のギスギスした真意を疑わない派がいるようです。

紫式部の性格からして、筆者は絶対後者だと思うのですが、あなたはどちらだと思いますか?

さぁてコイツ(皮肉の和歌)をアイツ(倫子)にぶちかましてやろうじゃないか……。

満を持して兵部のおもとに和歌を渡そうとしたのですが、倫子はすでに帰ってしまったのでした。

(チッ。悪運の強いヤツめ!)

今から追いかける訳にはいかないし、後日改めて和歌を贈るのも野暮というもの。

倫子のヒット&アウェイ(一撃離脱)を喰らってしまった紫式部。今回は美しくも苦い黒星を喫することとなりました。

終わりに

画像 : 月岡芳年「古今姫鑑 紫式部」

……九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、「これ、殿の上の、とりわきて。いとよう老のごひ捨てたまへと、のたまはせつる」とあれば、菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむとて、かへしたてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、ようなさにとどめつ。……

※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)9月9日条

以上『紫式部日記』より、倫子と紫式部の美しく静かなバトルを紹介してきました。

倫子が紫式部に喧嘩を売ったのは、紫式部が道長の愛人(妾)だったからではないかとの説があります。

※紫式部を道長の妾としている文献は『尊卑分脈』のみであり、その信ぴょう性は微妙ながら……。

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、親友のような関係を保っている?まひろ(紫式部)と倫子。これからどんな展開が待っているのか、目が離せませんね!

※参考文献:

  • 藤岡忠美ら校註『新編 日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年9月
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. あまりに理不尽!平安時代の人々はどのように離婚していたのか? 【…
  2. 蛇の怨霊に憑り殺された藤原道兼の長男・福足君とは 【光る君へ】
  3. 【光る君へ】 一条天皇の女御・藤原元子が父に勘当された理由は?
  4. 【光る君へ】祇子女王(稲川美紅)の女房名「進命婦」とは何? 歴史…
  5. 【光る君へ】 一条天皇(塩野瑛久)は『大鏡』にどう書かれているの…
  6. 【光る君へ】 敦康親王の悲劇 ~藤原定子が遺した一条天皇の第一皇…
  7. 【光る君へ】 逃亡した藤原伊周の末路… どこへ行ってどうなった?…
  8. 「光る君へ」で注目の平安時代。 律令法・律令制と身分階級について…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

秀吉の2回目の大返し「美濃大返し」について解説 【羽柴秀吉vs柴田勝家】

美濃大返しとは「美濃大返し(みのおおがえし)」とは、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)…

【月百姿】 月岡芳年が描いた月の光 「最後の浮世絵師 血みどろ芳年」

月岡芳年(つきおか よしとし)といえば「血みどろ芳年」の異名で知られる通り、残忍な無残絵で名…

フレデリック・ショパンの生涯とオススメ曲【ピアノの詩人】

フレデリック・フランソワ・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin:1…

坂下門外の変【厳重な警戒の中で失敗した水戸藩士らの襲撃テロ】

桜田門外の変の二番煎じ「坂下門外の変」(さかしたもんがいのへん)は江戸城の坂下門外におい…

沿岸海域の温暖化で「人食いバクテリア」の感染が拡大中 【約5人に1人が死亡】

米国では、毎年推定80,000人がビブリオ菌に感染し、100人が死亡している。しかし近年、温…

アーカイブ

PAGE TOP