NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第14回放送で平家を京都から追い払った木曽義仲(演:青木崇高)らは、悲願の上洛を果たしたものの後白河法皇(演:西田敏行)と対立。ついには叛乱を起こし、法皇を幽閉してしまいます。
逆賊となった義仲を討つ。ここに上洛の大義名分を得た源頼朝(演:大泉洋)は弟の源範頼(演:迫田孝也)と源義経(演:菅田将暉)に討伐を命じますが、鎌倉では御家人たちが謀叛をたくらみ分裂の危機に。
そんな寿永2年(1183年)、小四郎こと江間義時(演:小栗旬)は思いの通じた八重姫(演:新垣結衣)との間に長男を授かりました。
金剛(こんごう)と名づけられたその子は、後に鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時(演:坂口健太郎)となります。その母は阿波局(あわのつぼね)と伝わりますが、八重姫をここに当てはめたのですね。
「金剛とは仏法の守り神。源氏を支えるべく生まれた者にふさわしい名じゃ」
※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16回あらすじより
金剛杵(こんごうしょ。破邪の法具)を奮って仏敵を退散せしめる守護神(金剛力士)。そんな期待に泰時は応え、後に鎌倉存亡の危機となった承久の乱(承久3・1221年)に勝利を収めたのは有名です。
(総大将は義時ですが鎌倉におり、前線での陣頭指揮は泰時がとっていました)
今回は頼朝からも寵愛された泰時の少年時代エピソードを紹介。些細なことに思えても、それが後に重要な意味を持ってくることは世の中少なくありません。
金剛の前で下馬せぬ御家人を叱責する頼朝
時は建久3年(1192年)5月26日。金剛が道を歩いていると、その前を御家人である多賀二郎重行(たが じろうしげゆき)が馬で通過しました。
現代人の感覚なら「だから何だ」と言うこともない光景ですが、それを聞いた頼朝は激怒し、重行の所領を没収してしまいます。
「子供だからスルーして構わぬと思ったのか。たとえ子供であっても、金剛はお前ら御家人とは格が違うのだ。この無礼者め(意訳)」
【原文】礼者老少を論ず不可(べからず)。且は又、其の仁に依る可き事歟(よるべきことか)。就中に、金剛の如き者、汝等(なんじら)傍輩に准(なぞら)う不可事也(べからざることなり)。爭(いかで)か後聞(こうぶん)を憚ら不哉(はばからずや)……
これに対して、重行は恐縮したものの「そんなことはしておりませぬ。若君らにお尋ね下され」と返答。そこで金剛らにそれぞれ問うたところ、
金剛「はい、確かに多賀殿の言う通り、そんなことはありませんでした」
同行していた奈古谷橘次(なごや きつじ)「多賀殿は下馬されましたよ」
と、それぞれ証言が違います。つまり、これらの証言が嘘と判断できます。
恐らく重行は罪を逃れるためにとっさの嘘をつき、金剛は重行をかばうために嘘をつき、そして橘次も重行をかばうため最も無難な嘘をついたのでしょう。
「まったく二郎め、すぐにバレるような嘘をつきおって、小賢しい!」
【原文】後の糺明を恐不(おそれず)。忽ち謀言を搆へ、一旦の科(とが)を贖(あがな)はんと欲する之條、心中と云ひ所爲(しわざ)と云ひ、太(はなは)だ奇怪(きっかい)……
ましてや可愛い金剛に嘘をつかせるなどけしからん……とばかり、しつこくしつこく責め立てたと言います。
「それに引き換え、金剛は幼いながら人を助けようという慈悲深さ。古来『嘘も方便』と言う。まったく見上げた心がけである!」
【原文】若公(わかぎみ)幼稚之意端に仁惠(じんけい)を挿(さしはさ)み、優美之由御感(ぎょかん)有り。御劔於(ぎょけんを)金剛公に献ぜ被る(けんぜらる)。
たいそう感心した頼朝は、以前から大切にしていた太刀を金剛に与えたということです。
終わりに
多賀二郎重行被収公所領。是今日江間殿息童金剛殿歩行而令興遊給之處。重行乍令乘馬。打過其前訖。幕下被聞食之。礼者不可論老少。且又可依其仁事歟。就中如金剛者。不可准汝等傍輩事也。爭不憚後聞哉之由。直被仰含。重行乍怖畏。全不然。且可被尋下于若公与扈從人之由陳謝。仍被尋仰之。若公無如然事之旨申給。奈古谷橘次。又重行慥下馬之由所申之也。于時殊有御氣色。不恐後糺明。忽搆謀言。一旦欲贖科之條。云心中云所爲。太奇怪之趣。仰及數廻云々。次若公幼稚之意端挿仁惠。優美之由有御感。被献御劔於金剛公。是年來御所持物云々。彼御劔者。承久兵乱之時。宇治合戰帶之給云々。
※『吾妻鏡』建久3年(1192年)5月26日条
ちょっと依怙贔屓な気もしますが、頼朝の武士団では門葉(もんよう。源氏一門)・家子(いえのこ。御家人から抜擢された頼朝親衛隊)・侍(さむらい。一般の御家人)とランク付けがありました。
義時の子であった金剛は間違いなく家子であり、侍の多賀二郎重行とは格が違うことを示したものと考えられます(さすがに所領没収はやり過ぎであり、『吾妻鏡』の曲筆とする説も)。
なお、この時に頼朝が金剛に与えた太刀は承久の乱に際して佩いていた(装備携行した)とのこと。頼朝が永年愛用していた太刀となれば、鎌倉武士にとってはまさに伝説の神器。全軍の士気を大いに奮い立たせたことでしょう。
この辺りのエピソードも大河ドラマに盛り込まれるか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
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