時は建久4年(1193年)5月28日、曽我十郎祐成(そが じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟が工藤左衛門尉祐経(くどう さゑもんのじょうすけつね)を殺害。
「父上の仇!」
♪……聲(声)を掛(かく)れば祐経は 枕元なる刀をば
取つて起きんとする折を 十郎疾(と)くも肩先を
五郎がついで首を取る……♪※剣光外史 編『新編軍歌集』所収「曾我兄弟夜討の歌」より
これが世に言う「曽我兄弟の仇討ち」事件。忠臣蔵(赤穂浪士討入事件)・伊賀越えの仇討ち(鍵屋辻の決闘)と並ぶ「日本三大仇討ち」として知られています。
父を殺されて(※)から17年越しの復讐を果たした兄弟ですが、彼らの標的は祐経だけではありません。
(※)兄弟の父・河津祐泰(かわづ すけやす)は安元2年(1176年)に工藤祐経に殺され、兄弟は母が再婚した曽我祐信(すけのぶ)の養子となり、復讐の機会を狙っていたのでした。
「……そこにおわすは鎌倉殿か」
御家人たちの包囲を突破して源頼朝(みなもとの よりとも)の宿所までやって来た時致(兄・祐成は仁田忠常に討ち取られる)。
「左衛門尉(祐経)に命じて我が父を討たせた怨み、今こそ晴らすおくべきか!」
いざ斬りかからんとしたところ、護衛であった御所五郎丸重宗(ごしょの ごろうまるしげむね)がこれを取り押さえ、頼朝は事無きを得たのでした。
ところで、この曽我兄弟による頼朝襲撃の黒幕が北条時政(ほうじょう ときまさ)であるとの説があるようです。
頼朝の舅(正室・政子の父)である時政がなぜ?今回はその動機と可能性について検証してみましょう。
北条時政が黒幕だった動機と可能性は……
曽我兄弟による頼朝襲撃事件の黒幕が北条時政だった……とする根拠は、概ね以下のようです。
一、弟・時致は時政を烏帽子親(えぼしおや)として元服し、時の字を拝領する(偏諱を受ける)ほどの絆があった
一、時政は祐経の殺害現場となった富士野(富士の巻狩り)の受け入れ準備を担当しており、頼朝暗殺の段取りを整えていた
烏帽子親とは元服する者に成人の証である烏帽子をかぶせる役目で、かぶせられた者は烏帽子子(えぼしご)と言って、実の親子に等しいかそれ以上の絆で結ばれました。
筥王(はこおう。時致の幼名)は一族に伝わる祐の字(通字)を捨てて北条氏の時を受けたことから、北条の縁者と言っても過言ではありません。
だから兄・祐成はともかく時致は烏帽子親である時政の意を受け、父殺害の実行犯である祐経を討った後も頼朝を狙った……というのです。
しかし、そもそも時政が頼朝を暗殺したい動機ってなんでしょうか。
一般的に、誰かが誰かを殺したい理由としては利害の対立や怨恨などが考えられます。でも、時政と頼朝の利害が対立しているようには思えません。
頼朝の嫡男である源頼家(よりいえ)は時政の娘・政子が産んでいるため、このまま頼家が家督を継いでくれれば、時政の地位は安泰です。
ましてやこの「富士の巻狩り」は次期将軍となる頼家のお披露目であり、じっさい頼家が初めて鹿を射止めた時は、矢口の祭りを営んでいます。
矢口の祭りとは武士の子が初めて射止めた獲物を山の神様にお供えし、神様から一人前の武士として認めていただく重要な祭礼。
つまり頼家にとってはとても大切な行事であり、父・頼朝はもちろん祖父の時政にとっても誇らしいハレ舞台。周囲に対して「この頼家こそ、次期将軍である」という絶好のアピールとなりました。
それをあえて台無しにしてしまうようなことは、常識的に考えられないでしょう。しかし
「もしかしたら、建久3年(1192年)に生まれたばかりの源実朝(幼名:千幡)を擁立したかったかも知れないじゃないか!」
という声もあるかも知れません。確かに頼家の乳母父(めのと)は北条にとってライバルである比企能員(ひき よしかず)であり、頼家がこのまま次期将軍となったら北条の立場が損なわれる可能性も否定はできません。
とは言え、生まれて間もない子供がすぐに死んでしまうことも珍しくなかった時代、それで頼朝を(何なら頼家も)排除してしまおうと考えるのはあまりにもリスキーです。
また、乱戦の中で祐成を討ち取った仁田忠常は時政の側近であり、祐成が時政を討とうとした可能性が考えられます。
これが明確な意思によるものか、それとも誰彼構わず手当たり次第に暴れ回った結果なのかは不明ですが、明らかに時政の意思とは無関係の行動です。
もし時政が頼朝暗殺を持ちかけるなら、兄弟共に意思を確認しておくのが定石ではないでしょうか。
以上のことから、曽我時致が頼朝を襲撃した件について、北条時政が黒幕だった可能性は限りなく低いと言えそうです。
エピローグ
果たして生け捕られた時致を訊問した頼朝は、その孝心と武勇を惜しんで赦免を検討します。
しかし討たれた祐経には犬房丸(いぬぼうまる。犬吠丸)という9歳の息子がおり、父を殺された怨みをもって抗議しました。
「父上の仇!この!この!」
犬房丸は手にしていた扇で時致の顔面を二度三度と殴りつけますが、縛られている時致は逃げも抵抗もせず、笑って犬房丸に語りかけます。
「まだ幼いのに、感心なことだ。打て打て、もっと打つがよい。犬房よ、我らもそなたほどの頃(祐成は5歳、時致は3歳)、父をそなたの父に討たれたのだ。その時の思いが甦ったようだ……」
これを聞いた頼朝は時致を憐れみ、兄弟の養父である曽我祐信(共謀の容疑で拘束されていた)を召し出してこれを赦免。所領である曽我荘の年貢を免除する代わり、兄弟の菩提を弔うよう命じました。
かくして時致は処刑され、復讐の連鎖は断ち切られたということです。
終わりに
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、第2回放送「佐殿の腹」以降フェイドアウトしている工藤祐経(演:坪倉由幸)が再登場するのでしょうか。
※劇中で河津祐泰(演:山口祥行)がフェイドアウトしたのは、第2回時点で殺されているからです。祐経の及び腰から、とてもそうは見えませんでしたが……。
頼朝がピンチを迎える山場の一つ(そして、源範頼が失脚するキッカケとなる事件)なので、是非ともやって欲しいところ。今後の展開も楽しみですね!
※参考文献:
- 石井進『中世武士団』講談社学術文庫、2011年9月
- 坂井孝一『曽我物語の史的研究』吉川弘文館、2014年11月
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
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