島津4兄弟の長兄
島津義久(しまづよしひさ)は島津氏の代16代当主を務め、同氏の最大版図を築いた「中興の祖」と呼ぶべき人物です。
義久の弟たちは義弘・歳久・家久とそれぞれに秀でた武将ぞろいで、義久をよく援け島津氏の隆盛に貢献しました。
殊に次男の義弘の武勇は高名で、朝鮮出兵での活躍ぶりは朝鮮・明両軍にも恐れられ、また関ケ原の合戦での敵中突破・島津の退口でもつとに知られているかと思います。
そうした義弘に比して、個の武勇の面では一歩譲りつつも豊臣・徳川を敵に回しながら島津家の安寧を保った義久の政治力は称賛に値するものではないかと思います。
鉄砲についての洞察
義久は天文2年(1533年)に島津氏の第15代当主・貴久の長男として生まれました。祖父にあたる忠良からは大将としての器にふさわしい人徳を備えた人物と評されています。
巷説では忠良から種子島に伝来したばかりの鉄砲をどう思うかを聞かれた義久は、「実戦に用いるにはまだ問題がある」と答えたとされ、幼少の砌から高い洞察力を発ししていたと伝えられています。
義久の初陣は天文23年(1554年)のことと伝えられており、この時代の武将としては遅い方であったと言えます。
しかし、それから12年後の永禄9年(1566年)には父・貴久の隠居によって義久が当主となります。
そしてそれから4年後の元亀元年(1570年)に島津氏は遂に宿願であった薩摩統一を果たしました。
薩摩・大隅・日向統一
義久の島津氏は天正2年(1574年)に大隅の肝付氏と伊地知氏を臣従させて、大隅一国の統一も成し遂げました。
同時進行で進められていた日向方面の侵攻も天正4年(1576年)に伊東氏の高原城を陥落させると、これを皮切りに伊東氏の配下の国人達を島津氏側に付け、ついに伊東義祐(いとうよしすけ)を駆逐して薩摩・大隅・日向の三国を統べることに成功しました。
耳川の戦い
伊東義祐は豊後の大友宗麟を頼って落ち延びたことから、天正6年(1578年)10月には大友勢の大軍が日向へと兵を進めてきました。
大友の約4万の軍勢に対し、島津勢は家久らが高城に兵3千余りで籠城しました。大友勢は高城を包囲し、籠城戦となりました。
同年11月に義久自らが約2万の手勢を率いて日向の佐土原に向かいました。義久らの島津勢は寡兵にも関わらず大友勢への奇襲を繰り返し、大友勢と対峙すべく根城坂に陣を構えました。
ここで義久は島津氏の得意とする戦法「釣り野伏せ」を用いて大友勢を巧みに誘い出しては殲滅していきます。
この合戦において島津方勢は大友勢の名だたる武将・田北鎮周、佐伯宗天、吉弘鎮信、斎藤鎮実、角隈石宗らを悉く討ち取り大勝利を収めました。
この合戦が義久の武功として名高い 耳川の戦いでした。
秀吉からの惣無事令
九州北部においては大友氏の衰退後、龍造寺氏が台頭してきました。
島原の有馬氏から救援の要請を受けた義久は、天正12年(1584年)に家久を総大将に命じて島原へ向かわせました。
家久は有馬勢と合わせても寡兵な兵力にも関わらず、総大将の龍造寺隆信を討ち取り勝利を挙げました。
その後、龍造寺氏も島津氏に臣従、残りの肥後や筑前の国人達も島津氏の軍門に下り、天正13年(1585年)には肥後の平定も成し遂げました。
しかし、この頃中央では豊臣秀吉の支配が進行しており、大友宗麟が秀吉へ救援を請うたこともあり、大名間の私戦を禁じる惣無事令が島津氏へも通告されました。
薩摩・大隅の安堵
義久は惣無事令に従わず、筑前・筑後・豊後への攻略を進めました。
天正14年(1586年)12月に秀吉の命を受けた仙石秀久らの四国勢約6,000名の豊臣軍先遣隊が上陸、迎撃にでた家久が戸次川の合戦でこれを破り、大友氏の居城・府内城も陥
落させました。
しかし、翌天正15年(1587年)に豊臣軍の約10万の大軍が日向方面に兵を進め、続いて秀吉が率いる本体約10万も小倉から肥後方面へと攻め寄せました。この大軍に島津氏は本国への退却を余儀なくされ、結果秀吉の軍門に降ることになりました。
しかし秀吉の処分は義久に薩摩、義弘に大隅を与え、事実上2か国を島津氏の領土とすることで存続が許されました。
家康からも本領安堵を獲得
秀吉の没後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦において島津氏は京にあった義弘が石田三成方の西軍として参戦しました。
義弘は薩摩・大隅の本国に対し追加の兵を送るように要請していましたが義久はこれを黙殺し、戦後の徳川家康に対しても西軍への加担は義弘の独断であり、自らは認めていない旨を主張し、家康からの再三の上洛の命へも病を理由に拒み続けました。
この義久の粘りが功を奏し、結果として島津氏は本領を安堵され薩摩・大隅の2か国の支配を認められたのでした。
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