皆さん、今年は何年ですか?
「令和3年(2021年)でしょ?」小学生でも分かりますよね。あるいは西暦で答える方もいるでしょう。まぁ紀元(日本の建国からカウント、皇紀とも。ちなみに今年で2681年)で答える方は流石にまれでしょうが……。
この令和に相当する部分を「元号(げんごう)」と呼び、日本では大化元年(645年)から独自に制定、使われてきました。
ちなみに、元号を制定できるのは独立国家に限られたため、独自の元号は独立国家の証でもあったのです。
日本以外の国では中国大陸の歴代王朝や朝鮮、ベトナムなどでも使われて来たものの、中国では辛亥革命(1911~1912年)によって元号を廃止(※)、朝鮮やベトナムでも1945年に廃止されたため、現代では日本のみが受け継ぐ文化となっています。
(※)滅亡した清王朝の後継国家・中華民国(現:台湾)の建国(1911年)から始まる民国紀元を元号とする考え方もあります(2021年で民国110年)。
さて、そんな世界で唯一となった日本の元号文化ですが、実は廃止させられる危機がありました。
今回は文字通り命がけで日本の元号文化を守り抜き、現代に伝えた偉人の一人・影山正治(かげやま まさはる)のエピソードを紹介したいと思います。
元号は古くてダサい?戦後の風潮にモノ申す
事の発端は、日本が大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)に敗れ、連合軍(GHQ)に降伏した昭和20年(1945年)。
日本を占領した連合軍は元号の法的根拠となる旧皇室典範(こうしつてんぱん。皇室に関する法律)を廃止、これに代わる法律を作ることを許しませんでした。
彼らは皇室の権威を徹底的に貶め、日本人を自分たちに服従させるため、元号の存在が邪魔になると考えたのです(特に明治時代以降は、元号が天皇陛下の諡となるため、国民がどうしても皇室の存在を意識してしまいます)。
かくして元号の根拠となる法律が制定できないまま歳月は流れ、このままだと「今上陛下(現:昭和天皇)の昭和を最後に、日本の伝統である元号がなくなってしまうかも知れない」という不安の声が上がりました。
その後、昭和27年(1952年)に日本は(沖縄などを除いて)占領状態から脱し、連合軍もいなくなったのですが、元号の法制化はなかなか進みません。
なぜかと言えば、日本国内にも共産党や社会党などの反皇室主義者がおり、日本人に皇室を意識させる元号などもってのほか!と主張していたからです。
「そもそも元号とか古臭い文化はダサくてめんどくさいし、グローバルに通用する西暦で統一すべきだ!」
そんな元号不要論が徐々に浸透しつつあった中、援護射撃とばかりに朝日新聞は昭和51年(1976年)の元日から、日付表示をそれまでの元号優先から西暦優先に変更しました。
昭和50年(1975年)12月31日⇒1976年(昭和51年)1月1日
これを皮切りに他の新聞やメディアも追随するようになり、マスコミの影響力もあって、国民の間でも元号不要論が浸透していってしまいます。
「やっぱ、元号とかいらねーんじゃね?」
しかし、それでも元号を守り抜くことを諦めない者たちは必死に抵抗。その大切さを人々に訴え続けたのです。
「いっときの流行りに乗って、先進的な西洋文化に酔うのもいいだろう。しかし、先人たちがどのような思いで元号を定め、守り抜いて来たのかに思いを致して欲しい。捨てるのは簡単だが、後悔して取り戻そうにも、先人たちと同じかそれ以上の歳月と労苦を要するのだ」
かつて日本がどこの奴隷でもない、独立国家として世界に名乗りを上げた大化の元号。永い歳月の中で、幾多の困難と苦渋を味わいながら守り抜いて来た先人たちの思い。
それを「ダサくて古臭い」からと切り捨ててしまえるような人間は、もはや日本人ではありません。そういう意味では敗戦後、多くの日本人はその根本精神を忘れ、日本人でなくなってしまったと言わざるを得ないでしょう。
腹を切り、散弾銃で…影山正治の壮絶な最期
元号法制化を訴え続けた有志らの甲斐あって、いよいよ元号法制化が実現するかどうかの瀬戸際までやって来ます。
「さぁ、最後の仕上げだ……!」
昭和54年(1979年)5月25日、これまで元号法制化を熱烈に訴え続けた影山正治は、同志らと共に開拓した大東農場(だいとうのうじょう。東京都青梅市)で切腹。その遺書にはこう書いてありました。
「一死以て元号法制化の実現を熱祷しまつる」
【意訳】この命を奉げ、元号法制化の実現を熱くお祈り申し上げる
古式ゆかしく腹を切り裂いてから散弾銃で脳天を撃ち抜くという壮絶な自決を遂げた12日後の6月6日、ついに元号法(昭和54年法律第43号)が成立。6月12日に公布・施行されたのでした。
元号法をここに公布する。
御名 御璽
昭和五十四年六月十二日
内閣総理大臣 大平正芳
法律第四十三号
元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項に基づき定められたものとする。
内閣総理大臣 大平正芳
……もしかしたら、いや、たぶん影山が切腹しなくても、ここまでこぎつけたのですから、恐らく元号法は実現したでしょう。それでも、影山には腹を切らねばならぬ理由がありました。
時を遡ること昭和20年(1945年)8月25日。父・影山庄平(しょうへい)は13名の門下生と共に切腹していたのです。
「清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」
【意訳】我ら14名の魂を奉げ、永遠に皇室をお守りすることを誓う
日本が大東亜戦争に敗れ、このままでは皇室が滅ぼされてしまう。自分たちに出来ることは、死んで護国の鬼となるばかり……そんな悲壮な覚悟で、14烈士は腹を切ったのでした。
当時、大陸に出征していた影山は父や同志たちに死に後れてしまい、自分が命を賭けてやり遂げるべき事業を探し求め、元号文化を守り抜く闘いに身を投じたのです。
「これで、少しは日本のお役に立てたろうか……」
ただ一心に皇室を想い、祖国を想い、同胞を想って腹を切ったその姿は、公の為に私(わたくし)を滅する武士の魂を宿し、その末裔に恥じないものであったと言います。
終わりに
「どうして皇室や元号のために、切腹までするの?」
「なんか、狂気じみてて怖いんだけど」
ここまで読んできて、そう思われた方は少なくないでしょう。現代的な価値観に照らし見るならば、まぁ無理もありません。
ただ、日本人にとって皇室とはそれだけかけがえのない存在であり、先人たちが恐ろしいまでの情念をもって奉戴してきた歴史こそが、例えばアメリカ大統領をして最敬礼させしめる世界的権威の源となってきたのです。
平成21年(2009年)11月、来日したオバマ大統領が天皇皇后両陛下に対して深々とお辞儀したエピソードは、まだご記憶の方も多いでしょう。
その権威は、皇室の紋章である「菊の御紋」が入った日本のパスポート一つでも実感できるのではないでしょうか。少なからず恩恵に与(あずか)っている方はいるはずです。
「元号なんて、めんどくさい」
「伝統文化なんて、古臭い」
当たり前のように恵まれすぎているからそれが分からず、何となく遠く異国のモノ珍しい文化ばかりが羨ましく(そして素晴らしく)思えてしまうのは日本人の悪い癖(好奇心旺盛とも言えますが)。
捨てることなど、いつでも出来る。でもその前に、自分たちの持っている文化や伝統が、本当に捨ててしまっていいものかどうか、じっくりと見直すことこそ、先人たちへのリスペクト、そして次世代への愛と言えるのではないでしょうか。
※参考文献:
葦津珍彦ら『元号-いま問われているもの』日本教文社、1977年12月
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小学館、2014年11月
金美齢『日本人に生まれて幸せですか』海竜社、2000年11月
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