NHK朝ドラ『虎に翼』では、「共亜事件」が解決し、寅子たちは現在の司法試験にあたる「高等試験(高等文官試験)」に挑むことになりました。
史実では、寅子のモデル・三淵嘉子(みぶち よしこ)さんと同じタイミングで二人の女性が合格しています。
ドラマでは、だれが合格を手にするのでしょうか?
史実をもとに、三淵嘉子さんの受験エピソードを紹介します。※ネタバレを少し含みます。
高等試験(高等文官試験)とは?
高等試験は、行政科、外交科、司法科の三試験からなり、官僚や外交官、裁判官、検察官といった公務員の幹部候補を選抜する試験です。
昭和11年からは、女性も司法科を受験できるようになりました。
試験は毎年6月末から7月上旬に行われ、貴族院と衆議院の建物が会場となり、全国から大勢の受験生が永田町に押し寄せました。
会場の外では、受験生のためにお湯と茶碗が用意され、出店にはパンや牛乳、寿司などが並び、今さらな気もしますが、問題集も売られていたそうです。
試験には筆記試験と口述試験があり、筆記試験は必須科目と選択科目に分かれていました。
必須科目は、憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、または刑事訴訟法から1科目を選択し、選択科目は、哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、国史、国文および漢文、行政法、破産法、国際公法など多岐にわたる分野の中から2科目を選択します。
筆記試験に合格したものだけが、口述試験に進むことができました。
三淵嘉子(当時は武藤)の受験エピソード
昭和11年、弁護士法が改正されると同時に、女性にも司法科試験の門戸が開かれ、19人の女性が受験しましたが、残念ながら合格者はいませんでした。
三淵嘉子が初挑戦した昭和13年の試験では、受験者数は2986人、合格者は242人で、倍率12倍を超える狭き門でした。
その時の女性の受験者は、20名ほどだったそうです。
受験を決めてからというもの、嘉子は毎日、早朝から深夜まで勉強に打ち込みました。半紙を二つ折りにして問題と回答を対比させたサブノートを作り、手垢で真っ黒になるまでひたすら暗記し、試験に挑みました。
筆記試験初日、帰宅した嘉子は「試験に失敗した」と玄関で泣き崩れ、動かなくなってしまいます。
慌てた母親が、以前武藤家の書生をしていて裁判官となった野瀬高生(のせ たかお)を家に連れて来ました。
野瀬が嘉子から回答内容を詳しく聞き出し「絶対大丈夫」と励ましたところ、嘉子は落ち着きを取り戻し、翌日も試験に出かけて行きました。後で分かったことですが、その時の試験結果は抜群の成績だったそうです。
嘉子は無事に口述試験に進み、昭和13年11月1日、合格発表の日を迎えます。当時、発表はラジオでも行われ、後日官報にも記載されました。
三淵嘉子は、試験初挑戦で見事合格を手にしたのです。
三淵嘉子とともに試験に受かった女性とは
昭和13年の試験では、嘉子の他に、久米愛と田中正子の二人の女性が合格しています。
久米愛は、受験当時、明治大学法学部3年生で嘉子の後輩です。
津田英語塾で英語を学んだ後、明治大学専門部女子部に入学。戦後は弁護士として活動しながら女性の社会進出を支援し、市川房枝らとともに女性運動において指導的な役割を果しました。
田中正子(結婚後は中田正子)は、女子経済専門学校、日本大学の専科生を経て、明治大学専門部女子部に編入しています。嘉子とは同級生ですが、年齢は正子の方が4歳年上です。
明治大学法学部在学中の昭和12年に高等試験を受験し、口述試験で落ちたものの、翌年2度目の挑戦で合格しました。
戦時中は夫の実家のある鳥取県に疎開し、戦後も鳥取で弁護士として活躍。鳥取県弁護士会会長、日弁連の理事を務めています。
女性初の弁護士の誕生は世間に驚きや反響をもたらし、新聞各社は「法服を彩る紅三点」「女弁護士初めて誕生」といった大きな見出しとともに、嘉子たち三人の写真入りの記事を掲載しました。
三人そろって明大女子部及び同法学部の出身だったため、大学では盛大に祝賀会が開かれ、穂高教授のモデル・穂積重遠(ほづみ しげとお)も出席しています。
また、婦人団体でも祝賀会や座談会が催され、彼女たちは一躍時の人となりました。
戦前、女性は裁判官や検察官になれなかった
新聞各紙が「弁護士」と書いたのは、戦前、女性は高等試験司法科試験に合格しても、裁判官や検察官になれなかったためです。
口述試験を受験した際、嘉子は控え室の壁に「司法官試補」採用の告示を見つけます。「司法官試補」とは裁判官と検察官の修習生です。告示には黒々と「日本帝国の男子に限る」と記されていました。
それを目にした彼女は、こう思ったそうです。
「私はそれまで、日本の男女差別についても、あるがままに認識していたというか、特に憤るということもなかったのですが、(裁判官は)なぜ日本帝国男子に限るのか。同じ試験を受けて、どうして女子は駄目なのかという悔しさが猛然とこみ上げてきたことが、忘れられません」(『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』)
女性に裁判官や検察官の道が開かれるのは、戦後、男女平等を謳った「日本国憲法」の公布まで、待たなければならなかったのでした。
おわりに
史実では、三淵嘉子の同級生である中田正子と後輩の久米愛が高等試験に合格し、三人同時に女性初の弁護士となりました。
個人的には書生の優三さんに合格して欲しいと願うばかりですが、ドラマでは、どのように描かれるのでしょうか?楽しみに放送を待ちたいと思います。
参考文献
佐賀 千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』. 日本評論社
清水聡『三淵嘉子と家庭裁判所』.日本評論社
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