
画像:西洋文明の発展に多大な影響を与えた哲学者プラトン public domain
西洋の歴史は、ある一人の哲学者が奴隷市場から救出されたか否かで、全く異なる姿になっていたかもしれません。
その哲学者とは、古代ギリシアのプラトンです。
恩師ソクラテスの教えを受け継ぎ、弟子アリストテレスを育て上げた彼は、西洋哲学史におけるまさに巨人です。
私たちが目にする不完全な世界の奥に、完全で永遠の真理である「イデア」が存在すると説き、西洋の哲学、科学、さらには宗教にまで、計り知れないほど大きな影響を与えました。
プラトンが著した『国家』や『ソクラテスの弁明』といった対話篇は、哲学を志す者ならば必ず学ぶべき重要なテキストであり続けています。
さらにアテナイ郊外に創設した学園「アカデメイア」は世界で初めての高等教育機関として、アリストテレスなど多くの知性を輩出し、学問の発展に大きく貢献しました。
今回は、後世に伝えられた逸話のひとつとして「プラトンが奴隷として売られた」という劇的なエピソードをご紹介します。
その真偽については諸説ありますが、彼の人生を語るうえで象徴的な場面として今なお語り継がれています。
理想国家への挑戦
紀元前388年頃、プラトンは壮大な思索を胸に抱き、アテナイの港から船を出しました。
彼が目指したシチリア島には都市国家シラクサが君臨し、地中海世界の中心地として栄華を極めていました。
現実の政治を実際に確かめるため、プラトンはこの地を訪れたのです。

画像 : シチリア島シラクサ cc-by-2.0
当時のシラクサでは、僭主ディオニュシオス一世が強大な権力で君臨していました。
プラトンはディオニュシオス一世本人に謁見する機会を得ると同時に、その義理の弟にあたるディオンという青年と運命的な出会いを果たします。
プラトンの高潔な人柄と哲学に深く感銘を受けたディオンは、生涯にわたる弟子(親友)となりました。
宮廷での理想と現実の衝突
ディオニュシオス一世に客人として招かれたプラトンは、壮麗な王宮で自らの思想を説き始めました。
「国家の舵取りは、富や家柄ではなく、知恵と徳を備えた哲学者にこそ委ねられるべきだ」。
しかし、自らの力を絶対と信じる僭主ディオニュシオス一世の逆鱗に触れてしまいます。
王をはじめとする貴族たちの目には、プラトンが自分たちの地位を根底から覆そうとする危険な思想家として映ったのです。
シチリア島の複雑な現実を無視したかのような改革案は、たちまち激しい反発を呼んでしまいました。
宮廷内では陰謀が渦巻き始め、純粋な理想国家を巡る対話は、剥き出しの権力闘争へと変質していきます。
次第に孤立を深めるプラトンの立場は、日を追うごとに危うくなっていきました。
哲学者から奴隷への転落

画像 : ディオニュシオス1世 public domain
ディオニュシオス一世の怒りは、ついに頂点に達しました。
プラトンをただ追放するだけでは許されないと判断した王は、彼をスパルタの提督に引き渡すという異例の措置をとります。
こうしてプラトンは、スパルタの支配下にあるアイギナ島で奴隷として競売にかけられたと伝えられています。
崇高な思想を語っていた哲学者は、エーゲ海に浮かぶ島の奴隷市場で「商品」として、人々の前にさらされることになったのです。
厳しい状況に置かれたプラトンを支えていたのは「肉体は束縛できても、魂の自由までは奪えない」という自身の信念だったのかもしれません。
絶望からの再生とアカデメイアの誕生

画像 : プラトン時代のアカデメイアを描いたモザイク画 public domain
プラトンが奴隷として売られたという衝撃的な知らせは、すぐさまアテナイの仲間たちに伝わりました。
プラトンを深く敬愛していた哲学者のアニケリスが、すぐさま身代金を工面します。
プラトンの身代金を用意した人物については、いくつかの説があります。
3世紀前半の伝記作家ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』によると、アニケリスが身代金を支払ったと記されているため、今回はこちらの説を採用したいと思います。
こうして奇跡的に自由の身を取り戻したプラトンは、アテナイへの帰還を無事に果たしました。
身代金は20〜30ミナと伝えられており、現在の相場でおよそ数百万円になるそうです。
屈辱と絶望に満ちた経験を糧にして、このあとプラトンはアテナイ郊外の聖なる森に、学問を探求するための拠点「アカデメイア」を創設します。
「アカデメイア」からは、アリストテレスをはじめとする多くの才能が巣立ちました。
歴史を変えた「もしも」の重み

画像:ラファエロのアテナイの学堂に描かれたプラトン役のレオナルド・ダ・ヴィンチ public domain
アニケリスによる救出劇がなければ、プラトンという偉大な知性は、名もなき奴隷として歴史の闇に消えていたかもしれません。
アリストテレスが彼の弟子になることもなく、西洋文明が依拠した論理や哲学の骨格はまったく異なっていたはずです。
しかし九死に一生を得る経験をしてもなお、プラトンの情熱が尽きることはありませんでした。
彼はシラクサで出会った親友ディオンに協力するため、このあと二度にわたってシチリア島を訪れ、現実の政治と格闘し続けたのです。
ヨーロッパのみならず、人類の学問全体を左右したかもしれないプラトンの数奇なエピソードは、歴史がいかに不確かな偶然性の上に成り立っている事実を教えてくれます。
参考文献:
ディオゲネス・ラエルティオス(1984)『ギリシア哲学者列伝(上)』(加来彰俊 訳)岩波書店
納富信留(2019)『プラトン哲学への旅:エロースとは何者か』NHK出版
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部
この記事へのコメントはありません。