
画像 : 人類の進化 pixabay cc0
現生人類、すなわち我々ホモ・サピエンスが誕生してから、約30万年が経過したとされる。
ホモ・サピエンスが世界各地へ拡散する以前、この地球上にはネアンデルタール人やデニソワ人など、複数の人類集団が並存していたことが知られている。
彼らはやがて独立した集団としては姿を消したが、現生人類との交雑が起きていたことは、近年の遺伝学研究によって明らかになっている。
ところが、人類が文字を持ち、世界を記録しはじめると、そこには生物学的には説明のつかない奇妙な人々の姿が描かれる。
「遠い辺境には、異様な身体を持つ者たちが暮らしている」そんな噂が、博物誌や旅行記を通じて、もっともらしく語られるようになったのである。
今回は、かつて実在すると考えられていた、摩訶不思議な「怪人種」たちの伝承をたどってみたい。
博物誌に見られる怪人種族

画像 : 大プリニウスことガイウス・プリニウス・セクンドゥス public domain
古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23~79年)は、『博物誌』と題する大著を残している。
この書は動物・植物・鉱物から、人間の生活習慣や社会のあり方に至るまでを網羅した百科事典であり、古代世界における知の集積を象徴する存在であった。
その一方で、著者自身の見聞だけでなく、過去の文献や旅行者の伝聞も多く含まれており、そこには現実には存在し得ない怪人種の話も数多く収められている。
その代表例が、インドに住むとされたモノコリ(Monocoli)である。
彼らは一本の脚しか持たない異形の人々であり、隻脚でありながら驚くほど敏捷に跳躍して移動すると伝えられる。
さらに彼らは、その大きな足を頭上に掲げ、強烈な日差しを避けるための日傘代わりにしていたとも語られている。

画像 : モノコリ public domain
こうした描写は、古代の人々が未知の辺境にどれほどの驚異と異形のイメージを抱いていたかを、よく示している。
また『博物誌』には、ガンジス川の源流付近に住むとされたアストミ(Astomi)という、奇妙な人々の記述も見える。
彼らは口を持たず、食物や水を摂取することができない代わりに、花や果実の香りを鼻から吸い込むことで生命を維持する。
嗅覚は極めて鋭敏で、刺激の強い匂いを嗅ぐと命を落としてしまうこともあるという。
このほかにも、インドには犬の頭を持つ人々や、足の向きが逆になった人々、女性が非常に若年で出産し、寿命が極端に短いカリンギ族など、実在とは考え難い怪人種が数多く列挙されている。
『博物誌』には、インドでは万物が巨大化すると信じられていた形跡もあり、巨大な犬や、人が乗れるほどの葦、平均身長が5キュビト(約2.2m)を超える人々といった、誇張された話が平然と記されている。
一方、インド以外の地域にも怪人は配置された。

画像 : ブレムミュアエ public domain
エチオピア周辺には、頭部を持たず、胸に顔があるとされるブレムミュアエ(Blemmyae)という異形の種族が存在すると語られている。
彼らもまた、古代の博物誌的想像力を象徴する存在であった。
中世の怪人種たち
中世ヨーロッパにおいても、こうした怪人種の存在を信じる人々が多くいた。
古代以来の博物誌や旅行記は、権威ある知識として写本で繰り返し書き写され、未知の土地に関する情報は、実見よりも伝聞や引用によって更新されていった。
その結果、怪人種の描写は消えるどころか、むしろ時代を下るごとに肉付けされていったのである。
その典型が、イングランドの騎士とされるジョン・マンデヴィル(?~1372年)の『東方旅行記』である。

画像 : 『東方旅行記』より モノコリに酷似した種族 public domain
同書には、エチオピアに住む巨大な一本足の人々や、ピタンという島で果実の香りを吸って生きる人々、肩に目を持ち腹に口のある首なし人間などが登場する。
これらの怪人たちは、明らかに「モノコリ、アストミ、ブレムミュアエ」といった古代博物誌由来の設定を踏襲したものである。
もっとも、マンデヴィル自身の実在性には疑問があり、『東方旅行記』も独自の体験談というより、既存の伝承や見聞録を編集した書物とする説もある。

画像 : マルコ・ポーロ public domain
また、イタリアの商人マルコ・ポーロ(1254~1324年)の『東方見聞録』にも、極東の島国ジパングが登場する。
そこではジパングは「黄金の国」として描かれる一方、戦で捕らえた敵を殺し、その肉を食べる風習を持つ人々が住む地であると伝えられている。
ただし、マルコ・ポーロ自身が日本を訪れた事実は確認されておらず、これらの記述も主に中国方面で得た伝聞に基づくものであったと考えられている。
山海経
古代中国の地理書である『山海経』にも、現実とはかけ離れた怪人種族の情報が数多く収録されている。
もっとも同書は、純粋な地理書というよりも、地誌・神話・伝承が重なり合った書物であり、記述内容も実在と想像が混在したものとして理解する必要がある。
同書によれば、南方にある盛海の東には、貫匈人(かんきょうじん)が住む、貫匈国が存在するとされる。

画像 : 貫匈人 public domain
彼らの外見は一見すると普通の人間と変わらないが、胸の中央に大きな穴が開いているという不思議な特徴を持つ。
高位の貫匈人の中には、その胸の穴に棒を通し、他の貫匈人に担がせて移動する者もいたという。
また、南山の東南には、羽民人(うみんじん)の住む、羽民国があると記されている。

画像 : 羽民人 public domain
羽民人は人と鳥が融合したような姿を持ち、繁殖方法も胎生ではなく卵生であるとされる。
ただし、身体は鳥ほど軽くはなく、長距離を自在に飛ぶことはできなかったという。
また、種族ではなく個体名だが、刑天(けいてん)という妖怪についての記述がある。

画像 : 刑天 ブレムミュアエに酷似している public domain
刑天は頭部を失った姿で描かれ、腹に顔を持つという異様な形態をしている。
伝説によれば、もとは五体満足の存在であったが、神の座を巡る争いに敗れて首を刎ねられた。
しかし彼は倒れることなく、乳首を眼とし、ヘソを口として再び立ち上がったという。
この刑天の姿は、胸に顔を持つとされたブレムミュアエの伝承と驚くほどよく似ている。
もちろん、両者のあいだに直接的な関係を示す史料は存在しない。
しかし遠く離れた国々の文献に、よく似た「首のない人間像」が繰り返し現れることは実に興味深い点である。
もしかすると、頭部を持たず腹に顔を備えた人間像は、見間違いや誤認といった形で、現実の何かが誇張されて生まれたのかもしれない。
そうした想像の連なりに思いを馳せると、怪人種族の伝承は、単なる荒唐無稽な作り話以上の魅力を放っているといえるだろう。
参考 : 『博物誌』『東方旅行記』『東方見聞録』『山海経』他
文 / 草の実堂編集部
























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