西洋史

共通の敵の前に手を結んだローマ・カトリック教会とナチス

共産主義とヒトラー

共通の敵の前に手を結んだローマ・カトリック教会とナチス

1933年にドイツにおいてアドルフ・ヒトラーとナチスが政権を握った際、実は概ね世界でも好意的に受け止めらていました。

当時のローマ教皇ピウス11世は、ヒトラーを共産主義に立ち向かう指導者として認め、その就任に歓迎の意を評しました。

この理由は、共産主義が唯物史観という宗教を認めない思想だったためであり、ローマ教皇のみならずイギリスやフランスにおいても資本主義を脅かすソ連に対し、これと対する対決する姿勢を示すヒトラーに期待したという側面がありました。

キリスト教とユダヤ人

キリスト教には、ユダヤ人は神であるイエス・キリストを殺した「神殺し」の民族であるとして、古くからユダヤ人の迫害を行ってきた歴史がありました。

これが中世のヨーロッパにおいてはユダヤ人を隔離して居住させたゲットーや、宗教裁判など多くのユダヤ人を迫害する政策に繋がっていました。

こうしたユダヤ人を迫害する行いの根底には、カトリック教会を中心としたキリスト教が多大な影響を与えており、教皇ピウス12世はナチスが行ったホロコーストを見て見ぬふりをしたとも言われています。

ユダヤ人迫害の歴史

バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂 wiki(c)

当時の世界において10億人もの信者を抱えていた教会、それがローマ・カトリック教会でありその元締めがバチカンでした。
このバチカンがヒトラーを好意的に迎えた原因はいくつかあります。

第一点としては前述のようなキリスト教が抱えていた反ユダヤの思想です。ヒトラーが提唱した反ユダヤ主義はナチスが造り上げたものではなく、また突如として世界に現れたものでもありませんでした。

反ユダヤの思想はキリスト教徒が生み出した、キリスト教の2,000年に及ぶ歴史そのものでした。

政教条約(コンコルダート)

1933年7月にナチスとバチカンのとの間で締結された条約が「政教条約(コンコルダート)」でした。この条約の結果、ナチスはドイツ国内のカトリック教徒の迫害を行わないことを誓約し、カトリック教会は、政教の分離を約束することになりました。

ここにバチカンはナチスを承認すると同時に、自らの聖職者に対してはナチスに対する忠誠までも要求しました。

ヒトラーらナチスにとっては、この「政教条約」締結は公的にナチスの政権を認知させる効果をもたらしました。

こうしてバチカンは、世界においてナチスのて政権を公に承認した初の国となったのです。

ナチスのカトリック弾圧

しかし1936年には早くもヒトラーはこのバチカンとの提携を反故にして、カトリック教会を弾圧する行動に及びました。ナチスの思想を担ったアルフレート・ローゼンベルクの号令の下でカトリック教徒への迫害を本格化させました。

共通の敵の前に手を結んだローマ・カトリック教会とナチス

ピウス11世 (ローマ教皇)

ナチスの変貌に対して教皇ピウス11世は、1937年に2つの回勅を出して非難しました。

この2つ回勅はナチスのアーリア人種・国家観は異端であり、ゲルマン民族優越主義は暴論であるとしたものでした。

ナチスはこの回勅の印刷を行った印刷所を接収するなどの弾圧強化で臨みました。

聖職者達は裁判にかけられ、上位にあった聖職者の多くが強制収容所に送り込まれることになりました。

ナチスを擁護した教皇

バチカンの教皇は1939年にはピウス11世から12世へと変わっていました。

しかし先の弾圧は第二次世界大戦が同年に開始されたことで、一時中断されていました。

そして1941年6月、ナチスがソ連への侵攻を始めると、あろうことか無神論者である共産主義を嫌ったピウス12世は、この行為をキリスト教文化を守る行いと擁護する発言を行いました。

ローマ・カトリック教会のバチカンにおいては、無神論を唱える共産主義の方がナチスよりも有害なものと考えられたためでした。

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