エリザベス1世 (1533~1603)は、イングランド王国の女王として君臨した偉大な女王である。
生涯独身を通し、通称”ヴァージン・クイーン(処女王)”として名を残した。
日本では激動の戦国時代から江戸幕府が開かれた時代である。
彼女は優れた外交手腕を発揮し、多くの戦争に勝利することでイングランドを豊かな国に導いたと名君とされている。
君主(特に女性)が結婚するのが当たり前だった時代に、なぜ彼女は生涯独身を通したのだろうか。
今回は、彼女が生涯独身を貫いた理由を考察してみようと思う。
いびつな両親
エリザベス1世の父は、イングランド王ヘンリー8世である。
彼はシャルル・ペローの童話「青髭公」のモデルになったといわれており(諸説あり)、生涯に6人の妻と結婚・離婚を繰り返したことで有名である。
エリザベス1世の母であるアン・ブーリンは、ヘンリー8世の2番目の妃として迎えられる。
ヘンリー8世にはすでに長女メアリーが生まれていたものの、後継ぎに男の子を強く望んでいた彼は、最初の妻を離縁。
若く美しい女性、アンを後釜に据えるも、結局アンはエリザベス以外の子供に恵まれることはなかった。
ヘンリー8世はこれを不満に思い、アンと離縁して新しい妃を迎える。
しかも、アンの存在を邪魔に思ったヘンリー8世は、彼女に姦通の罪を着せ、処刑してしまうのである。
当時、わずか2歳半だったエリザベスは、母を殺されたばかりか、”罪人の子供”として王女の称号を奪われ、庶子として扱われるようになってしまう。
このことは幼かったエリザベスの心に深く影響を及ぼし、また彼女の人格形成に大きな影響を与えたと推察される。
父の横暴ぶりと母の不幸な最期を目の当たりにしたエリザベスは、心のどこかで「結婚」に対しての深い嫌悪感を持っていたのではないだろうか。
”未婚”は武器だった
エリザベス1世にとって、自身が未婚であることは大きな武器となった。
自国の民衆に対しては、「自分は国家と結婚した」と演説を行うことで、絶大な信頼と人気を得ることができたし、外交問題に対しては、自身が未婚であることをアピールし、相手に結婚をちらつかせて交渉するための大きな切り札になった。(当時のヨーロッパでは、婚姻が大きな外交手段となっていた。)
また、他国の王族や貴族と婚姻関係を持たないということは、夫の国からの政治的干渉を避けることも狙いだったという。
エリザベス1世の前にイングランド女王として即位していた、異母姉のメアリ(メアリ1世)は、スペインの王フェリペ2世と結婚していた。
フェリペ2世、メアリ1世ともに熱烈なカトリック教徒だったため、彼女の治世には、強硬なプロテスタントの弾圧が行われた。
実に300人ものプロテスタントが、火あぶりの刑や斬首刑に処せられ、人々はメアリのことを「血まみれメアリ(ブラッディ・メアリ)」と呼んで恐れたという。
この一連の事件に、同じくカトリック教徒だった夫の存在が無関係なはずはなく、エリザベス1世は異母姉と同じ轍は踏まないよう、未婚の道を選んだのではないかと推察される。
愛人たちとの激しい恋
“ヴァージン・クイーン(処女王)”と呼ばれたエリザベス1世だが、恋人がいなかったわけではない。
彼女には定期的にお気に入りの愛人がいて、その何名かは後年に名を残している。
中でも有名なのが、ロバート・ダドリー卿である。
彼はエリザベス1世が女王として即位して間もない頃、彼女を支えたといわれている。
一説によれば、エリザベス1世はダドリーと結婚したいと強く望んでいたという。
だが、ダドリーはすでに妻がいて、結婚することは叶わなかった。
その後、ダドリーの妻が不審な事故死を遂げると、エリザベス1世とダドリーの関係に反発する声が強まった(ダドリーが女王と結婚するために妻を殺害したのでは?という憶測が生まれたため)。
外聞が悪いという理由から、ついに2人は結婚に至らなかったが、エリザベス1世は後年までダドリーへの愛を引きずっていたという。
次に有名なのが、探検家ウォルター・ローリーとの恋である。
彼はアメリカ大陸で初のイングランド植民地、ヴァージニアを築き上げた人物である。
エリザベス1世は彼を深く寵愛し、傍に置いていたが、痛烈な裏切りに遭ってしまう。
なんと、ローリーはエリザベス1世の侍女と結婚し、子供までもうけてしまったのである。
これに激怒したエリザベス1世は、ローリーをロンドン塔へ幽閉。
しかし、彼女はローリーを罰しきることは出来なかったようで、その後、彼を開放し、再び寵臣として傍に置いている。
妻がいる男性を愛してしまったり、愛する男性からの裏切りを受けたりと、幸せな恋愛生活を送ることができなかったエリザベス1世は、結婚への儚き幻想を捨ててしまう他なかったのだろう。
さいごに
生涯未婚を貫いたことで自身を神格化したエリザベス1世だったが、女王としての手腕とは裏腹に、ひとりの女性としての生涯は苦悩に満ちたものだったといわれている。
一説には、エリザベス1世は不妊に悩まされていたとか、晩年に30歳以上年下の青年貴族との恋愛に溺れ、判断能力を低下させたなどのエピソードもささやかれている。
晩年には親しい友人を建て続けになくし、ひどいうつ状態に悩まされていたという。
やがて1603年、健康状態を悪化させたエリザベス1世は、69歳でその生涯に幕を閉じた。
偉大な君主として後世に名を残しながらも、ひとりの女性として苦悩し続けたエリザベス1世の生涯は、今も多くの人々に敬愛されている。
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