はじめに
前回の記事「なぜ第一次世界大戦は起きたのか? 「国民国家」という暴力装置」では、フランス革命を通じて「国民国家」と「民主主義」が誕生したことを解説しました。
今回の記事では、なぜフランス革命はそもそも成功したのか、その理由を探っていきたいと思います。
フランス革命を主導したのは、ブルジョアジーや農民など、いわゆる「普通」の人々です。「民衆」とも言っていいでしょう。そして国王側には訓練された傭兵集団がいます。普通に考えると、民衆は国王に太刀打ちできません。なぜ素人集団(民衆)が傭兵を倒し、国王を捕えて、処刑できたのでしょうか。
その理由は、ある道具の存在があったからです。
圧倒的な暴力によって支配が成り立つ
フランス革命以前の「フューダリズム」や「絶対王政」の時代、権力(政治力)を持っていた人々は「騎士(ナイト)」と呼ばれていました。厳しい軍事訓練を受けた、軍事的エリートです。
日本史で説明すると、騎士(ナイト)は「武士」になります。
軍事訓練を受けること、また装備品(馬や武器)を整えるには、お金がかかります。騎士たちは圧倒的な財力と武力、つまり“暴力”を背景に、自分の支配地域(荘園)に住む農民などから税金を巻き上げていたのです。この時代を「フューダリズム(封建制)」といいます。
こうした騎士の中から次第に力を付け、広大な領土を支配し、多くの騎士を束ねる者が現れました。これを「国王」と呼び、国王を頂点とした支配構造を「絶対王政(絶対主義)」と言います。
絶対王政とは、日本史でいう幕府のようなものです。将軍(国王)とは多くの武士(騎士)を取りまとめる、管理職(社長)のような立場であると考えられます。
権力を獲得することは、圧倒的な暴力を所有できるかどうかなのです。
国王(暴力)に対抗できる「暴力」の獲得
そして「ある道具」の登場が、この絶対王政を壊す原動力になります。
その道具とは「銃」です。歴史上において、銃の登場は革命的な変化をもたらします。
フランス革命を主導した民衆たちは、身分制社会のなかで、中間から下に位置する人々です。いわゆる中産階級から下層階級に位置する、商人や農民が中心になります。今までは彼らが反乱を起こしても、騎士階級である国王の圧倒的な武力によって鎮圧されるだけでした。
しかし、国王や騎士がやりたい放題だった時代も終わりをむかえます。民衆が銃を手にすることで、国王に対抗する力を手に入れることができたからです。
銃の登場は「フランス革命」だけでなく「アメリカ独立戦争」など、多くの市民革命を引き起こす引き金になりました。
近現代の戦争は国民全員が参加する
銃が市民革命を成功させ、絶対王政は崩壊します。軍事訓練を受けてきた騎士も、銃という「飛び道具」の前では無力でした。
革命の結果として「国民国家」が作られ、そして「民主主義」が誕生します。
ここで重要な点は、銃が徴兵制を可能にしたことです
1度やり方を覚えてしまえば、銃は誰でも扱うことが可能です。戦闘経験がない農民であっても、子どもや女性でも使うことができます。銃は“素人”の戦争参加を可能にしたのです。
前回の記事(「なぜ第一次世界大戦は起きたのか? 「国民国家」という暴力装置」)でもお伝えしたように、国民国家と民主主義は「ナショナリズム」を助長させます。
「正義と悪」という二項対立を作り、国民を感情的(攻撃的)にするのが、ナショナリズムです。
「“悪”は徹底的に排除されなければならない」という感情を生じさせ、国民は戦争の継続を望むようになります。また政治家も選挙に勝つために、戦争の継続を主張せざるを得ません。結果として戦争が意味もなく延長されてしまう、という悪循環が起こるのです。戦争はどちらかがボロボロになって、戦争ができなくなるまで続きます。
加えて国民国家は徴兵制を導入することで、国民全体が戦争に参加するようになります。男性は戦場に行き、女性は武器工場で働くという「総力戦」に発展します。
ナショナリズムと総力戦によって、近現代の戦争は長期化し、また消耗戦となったのです。
戦争が終わっても、ナショナリズムは続く
「総力戦」だった第一次世界大戦は、戦争の落とし所を見失ったまま、ダラダラと3年ほど続きます。
しかし「ロシア革命」と「アメリカの参戦」という2つの出来事が、戦争を終結へと導きました。
ロシア革命(1917年3月と11月)によって、ロシア帝国は崩壊。権力を握ったレーニンはドイツと単独講和を結び、第一次世界大戦から離脱しました。
一方のドイツも追い詰められて、自暴自棄になってしまったのか「無制限潜水艦作戦」を決行。その結果として、アメリカの民間船「ルシタニア号」を攻撃してしまい、多くのアメリカ人が犠牲になりました。この事件を受けて、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決定します。
第一次世界大戦のパワーバランスは大きく変化しました。総力戦によって消耗し尽くしたドイツ国内でドイツ革命が起こり、ついに戦争は終結へと向かいます。
ドイツの臨時政府は降伏に近い休戦条約を締結し、1918年11月、第一次世界大戦はようやく終了しました。
民主主義が第二次世界大戦をもたらした
1919年1月に開催された「パリ講和会議」では、敗戦国のドイツが激しく非難され、ドイツへの報復合戦が展開されます。
「総力戦で使い果たしたお金を、どれだけドイツから搾り取れるか」が、会議のメインテーマでした。
フランス首相のクレマンソーは「ドイツに何もかも払わせてみせる」と言い、イギリス首相のロイド・ジョージは「レモンの種が泣くまで、ドイツをしぼれ」と豪語したそうです。
厳しかった戦争に勝利したとしても、国民の納得する見返り(賠償金)がなければ、選挙に負けてしまうからです。この会議でドイツは徹底的にいじめられ、天文学的な賠償金を請求されます。ドイツが賠償金を払い終えたのは、2010年10月です。
自分たちのことしか考えないフランスやイギリスの間違った対応によって、このあとヨーロッパには、ヒトラーというモンスターが生まれてしまいます。
そして「第二次世界大戦」が引き起こされるのです。
※参考文献:ゆげひろのぶ、ゆげ塾ほか『ゆげ塾の構造がわかる世界史』ゆげ塾出版、2018年4月
フランス革命?バカがただむかつくからって暴れたあれだっけ?w