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『古代の奇策』ペルシア軍は猫を盾にして勝利した?ペルシウムの戦いとは

「ペルシウムの戦い」とは、紀元前525年にアケメネス朝ペルシアと、古代エジプトの間で起きた戦いである。

画像 : キュロス2世 public domain

当時、ペルシア帝国の国王だったカンビュセス2世は、中東一帯を制した偉大な初代国王キュロス2世の後を継ぎ、さらなる領土拡大を目指して古代エジプト攻略に乗り出した。

遠征の動機については複数の説がある。

ヘロドトスによれば、エジプト王アマシス2世が、娘の婚姻をめぐってカンビュセスを欺いたことや、アマシスの顧問官フェニースがペルシア側に寝返ったことが決定的な要因とされる。

また、当時のエジプトはペルシアの支配下に入っていない数少ない大国であり、その征服はカンビュセスにとって「シャーハンシャー(諸王の王)」としての威信を確立するための戦略的課題でもあった。

当時のエジプトは「二万もの都市を擁する」とされるほど強大であった。

父キュロスですら手を出さなかったこの大国に対し、カンビュセスは慎重に準備を進め、侵攻の機をうかがっていた。

ペルシウムの戦い

画像:ペルシウムの戦い後のカンビュセス2世とプサムテク3世の会談。フランス人画家アドリアン・ギネ作。 public domain

エジプト攻略のためにカンビュセスが狙いを定めたペルシウムの街は、下エジプトのナイルデルタの最東端に位置する大都市だった。

当時、エジプトを治めていたアマシス2世は、平民出身ながらも有能な統治者で、ギリシア世界との同盟や交易を進め、農業や経済を発展させたことで知られる。

アマシスの治世下では、強大なペルシア帝国ですら容易には手を出せなかった。

しかし、いかに偉大な人物であろうと命には限りがあるもので、紀元前526年にアマシスは死去し、その跡を嫡男であるプサムテク3世が継いだ。

アマシスの死は、いつかエジプトを攻略しようと考えていたカンビュセスからすれば、またとない朗報だった。

カンビュセス率いるペルシア軍はシナイ半島を越え、エジプト東方の「入り口」と呼ばれたペルシウムへ進軍した。

しかし、この地は古来より「エジプト防衛の要」とされる難攻不落の拠点であり、ペルシア軍であっても攻略は容易ではなかった。

一説によると、なんとペルシア軍の兵たちは、エジプト兵の戦意を削ぐために、エジプト人が神聖な動物として崇拝していた「」を盾にして進軍したという。

「神聖な猫」を犠牲にできずに大敗?

画像:猫の姿をしたバステト wiki cc

古来よりエジプトでは、「猫」は太陽神ラーの親族とされる女神バステトの化身とみなされ、極めて神聖視されていた。
猫のミイラも大量に発見されており、高位の人物と共に埋葬されていた例もある。

猫の家畜化は、紀元前4000〜3000年頃のナイル流域で始まったと考えられている。

当初は、農耕の弊害となるネズミなどの害獣駆除のために家畜化された猫であったが、いつしかエジプト人は猫を神聖化すると同時に、家族同然に愛すべき存在とみなしていた。

2世紀のローマ時代の著述家ポリュアイノスは、この信仰を逆手に取ったカンビュセスの戦術を伝えている。

カンビュセスは、自軍の兵士たちに猫を抱かせて進軍させたほか、盾に猫を縛り付けたり、その絵を描かせるなどして、エジプト軍の攻撃をためらわせたという。

画像 : 猫を抱いて進軍するペルシア兵 草の実堂作成(AI)

神聖な猫を盾にされてしまっては、いかに百戦錬磨のエジプト兵であろうと攻撃できず、ほとんど抵抗もできないまま壊滅させられた。

ペルシウムの戦いで勝利したカンビュセスは、猫のために国を犠牲にしたエジプト人を侮蔑し、その顔に猫を投げつけたという。

ただし、この戦術についてはヘロドトスやクテシアスといった同時代の史料には記録がなく、後世に生まれた伝説とみなす研究者も少なくない。

画像:『ペルシウムの戦いで手に猫を持つカンビュセス王』 public domain

ペルシウムを攻略したカンビュセスは、プサムテク3世が逃れた古代エジプトの首都メンフィス(現在のカイロ近郊)を包囲し、エジプト軍は最終的に降伏した。

プサムテクは捕らえられ、ここにおいてエジプト第26王朝は終焉を迎える。

王族や貴族の多くは公開処刑され、残った者は奴隷とされた。

プサムテク自身はその後、反乱を試みたが鎮圧され、ヘロドトスによれば毒を飲まされて死亡したとされる。
ただし、自害したとする説もあり、詳細は定かではない。

また、カンビュセスは先代ファラオのアマシス2世の墓を暴き、ミイラを鞭打ち、最後には焼却したという。

ペルシア軍の犠牲者は約7000人、エジプト側の犠牲者は5万人に及んだと伝えられている。

ペルシア王にして新ファラオとなったカンビュセスの最期

画像:ルーヴル美術館所蔵のアピスの像、エジプト第30王朝時代のもの wiki c Rama

父王キュロスが成し得なかったエジプト征服を果たし、ペルシア王でありながらエジプト第27王朝の初代ファラオの地位も手に入れたカンビュセスであったが、その栄光は長く続かなかった。

エジプト平定後、カンビュセスは南方のクシュ王国(ヌビア)征服を目指した。

だが、補給線を軽視した無理な進軍は長期化し、兵士たちは深刻な食料不足に陥る。
一部の兵は生き延びるため、仲間の遺体に手を伸ばすほど追い詰められ、結局遠征は失敗に終わったという。

その後も領土拡大を試みたが成果はなく、帝国の権威は徐々に揺らぎ始めていった。

やがて、かつてカンビュセスの命で暗殺されたはずの弟スメルディスが、遠征中のカンビュセス不在を狙って蜂起し、ペルシア王位を奪う事態が起きた。

しかし、この「スメルディス」は実際にはペルシアの神官(マギ)ガウマタが成りすました偽者であった。
反乱の報せを受けたカンビュセスは鎮圧に向けて進軍したものの、すでに王国の掌握は進んでおり、挽回はほぼ不可能な状況だった。

絶望的な状況に追い込まれたカンビュセスは、帰還途中に急死した。

死因については諸説あり、自害、事故死、病死など複数の説が伝わるが、ペルシウムの戦いから約3年後の紀元前522年のこととされる。

エジプトでは、カンビュセスの突然の死は神々の怒りによるものだと恐れられた。

当時メンフィスでは聖牛アピスが神として崇拝されており、カンビュセスがこの神聖な牛を侮辱し、殺害したために「神罰が下った」と語り継がれたのである。

さらに、ペルシウムの戦いで神聖な猫を利用した逸話も重なり、後世の人々の間では「カンビュセスは神々の逆鱗に触れた」とする見方が広く語り継がれることとなった。

参考 :
富田園子 (著), 山本宗伸 (監修)
教養としての猫 思わず人に話したくなる猫知識151
松平千秋 (翻訳)
ヘロドトス 歴史 上
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部

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