第一次世界大戦におけるアメリカの参戦は、従来の孤立主義を脱却し、民主主義を守るためのイデオロギーに基づいた決断でした。
ウィルソン大統領は「世界の民主主義」を守るためにアメリカが参戦すると宣言。
この主張は、アメリカ国民に対しても強い説得力を持ちました。
ウィルソンの理想主義は、政治が大衆の存在を強く意識するようになったことを示しています。
ヨーロッパの古典外交は終焉し、第一次世界大戦以降の国際関係に、大衆は大きな影響を与えました。
詳しくは前回の記事「【近代から現代へ】 第一次世界大戦とアメリカの参戦理由 “ウィルソンの理想主義が大衆社会を招いた?” 」を参照していただけると幸いです。
【近代から現代へ】 第一次世界大戦とアメリカの参戦理由 「ウィルソンの理想主義が大衆社会を招いた?」
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1917年のロシア革命は、社会主義体制の誕生を意味し、近代から現代への重要な転換点でもあります。
この革命によってアメリカの資本主義とソ連の共産主義という、根本的に対立する二つのイデオロギーへと分岐することになります。
イデオロギーの二極化は、世界の国際関係に大きな変化をもたらし、さらに大衆が大きな影響力を持つようになる「冷戦時代」へと繋がっていきます。
以下で詳しく見ていきましょう。
ロシア革命の時点から冷戦は始まっていた!?
1917年に起こったロシア革命は、社会主義体制の誕生という歴史的転換点をもたらしました。この出来事は「近代」から「現代」を区別する決定的な出来事として位置づけられています。
レーニンに導かれた革命はヨーロッパの思想に根ざしていたものの、結果としてアメリカの資本主義(自由)、そしてソ連の共産主義(平等)という、二つのイデオロギーに分岐します。
資本主義と共産主義は、ヨーロッパに基づくイデオロギーでありながらも、根本的に対立するものでした。共産主義は資本主義を否定し、階級闘争に勝利することを前提としています。
ロシア革命によって、世界で初めて社会主義を掲げる政権が成立したことで、社会主義は理念や思想の段階から、現実として国家を運営する政治体制へとのし上がったのです。階級闘争を国家間の対立へと昇華させたソ連の誕生は、のちに冷戦時代へと繋がります。
つまり冷戦とは、第二次世界大戦後のベルリン封鎖や、チャーチルの「鉄の壁」演説によって始まったわけではありません。
実質的には、1920年代にすでに始まっていたのです。
社会主義運動は「万国の労働者よ、団結せよ」というスローガンの下、国境を越えた労働者運動として、世界革命を目指していました。
レーニンやトロツキーによって推進され、普遍主義的な視点から社会主義の世界的な展開が期待されていました。
しかし世界革命の方向性は、スターリンによって放棄され、社会主義の理念は別の方向性をたどることになります。
イデオロギーの二極化
ウィルソンの理想主義(自由)とレーニンの社会主義(平等)。
二つの対立が先鋭化し「ウィルソンか、レーニンか」という選択が求められる状況が生まれます。
これまで国際関係は勢力均衡、つまりヨーロッパの大国間における軍事力や政治的影響力によってバランスが保たれていました。しかし第一次世界大戦後、ヨーロッパ中心の勢力均衡は崩れ去り、アメリカとソ連の二極対立構造に取って代わります。
アメリカとソ連による二極対立は単なる力の拮抗ではなく、資本主義と社会主義という互いの世界観やイデオロギーをめぐる闘争としての側面も強くありました。世界は二つの陣営のどちらかを支持せざるを得ず、アメリカとソ連の対立は、単なる意見の相違や利害の対立以上のものでした。
たとえばアメリカでは、共産主義を「悪のイデオロギー」と決めつけ、支持者に対する「赤狩り」が起きました。共産主義者は「国家の敵」「悪人」と見なされ、非道徳的と烙印を押されたのです。
一方のソ連も、資本主義を「金権主義の温床」であると批判。資本家を「搾取者」と呼び、道徳的に攻撃しています。
イデオロギー闘争は倫理的な争いになり、より過激になる傾向があります。
第一次世界大戦後、「正」と「悪」によって世界を二分する考え方が国際社会で広まりました。自国を「正義の味方」と位置づけ、他国を「悪の枢軸」などと非難する論理を使うようになったのです。
アメリカのウィルソン大統領は「世界の民主主義を守る正義の使命から大戦に参加した」としました。これは明らかに「正」と「悪」の世界観に基づいています。
1930年代、政権を掌握したヒトラーは「(ナチス・ドイツは)正義のための世界制覇を目指す」と提唱しました。ヒトラーもまた二項対立の世界認識で、外交政策を主張したのです。
ヒトラーの野望
第一次世界大戦が終わった後、ヨーロッパの指導者たちは大戦によって、世界の価値観が大きく変わったことを十分に理解していませんでした。指導者の多くは、戦前の「古い世界」に戻ろうとしていましたが、世界はもうすでに変化していたのです。
この時期、世界は「アメリカの自由主義」と「ソ連の社会主義」という二つの新しい力が形成されつつありました。
しかしアメリカは国際連盟への加盟を拒否し、孤立主義を強めました。
その一方で、ソ連でもトロツキーが追放。スターリンが権力を握り、ソ連も世界との関わりを弱めていきます。
つまり、両方の新しい力が同時に孤立主義を取ったため、ヨーロッパの指導者たちは世界の大きな変化に気付けなかったのです。
この混乱の中で、アドルフ・ヒトラーが台頭していきます。
アメリカとソ連の双方が掲げる価値観を拒否したヒトラーは、自分だけの野望を持っていました。ゲルマン民族主義者でありながら、旧来の価値観を超えた視野を持っていたのです。
ヒトラーの目標は世界的な帝国を築くことであり、かつての「神聖ローマ帝国」の復活を目指していました。
ヒトラーの壮大な野望は、他の指導者たちの想像をはるかに超えたものでした。
1938年のミュンヘン会談では、英仏の指導者たちはヒトラーに譲歩し、チェコのズデーテン地方を譲渡しました。しかしヒトラーは「勢力均衡」など眼中になく、合意文書を破り捨て、第二次世界大戦への道を進みました。
繰り返しになりますが、当時の世界情勢は「勢力均衡」や「古典外交」など、19世紀に基づく価値観ではもはや成立しないことは明白でした。
「大衆」の登場
この時代の変化とは、政治を動かす力が「エリート」から「大衆」へと移ったことです。感情と理想によって大衆を動かすことが、新たな政治の形となりました。
上記で述べてきたように、この変化の生み出したのはレーニンとウィルソンでした。
第二次世界大戦では、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領が「自由のために戦う」と宣言しました。戦争の大義は「正義の戦争」とされ、大衆の支持を得るためのレトリックとなりました。
アメリカの「正戦論」が、20世紀の戦争を支配し、21世紀にも引き継がれています。
第二次世界大戦後に起きた、冷戦やベトナム戦争、21世紀の対テロ戦争やイラク戦争、そしてウクライナ侵攻…。
全ての戦いが「正義と悪の戦い」とされたのです。
参考文献:佐伯啓思(2015)『20世紀とは何だったのか − 西洋の没落とグローバリズム』PHP研究所
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