西洋史

【女装したスパイ】 シュヴァリエ・デオンの異色の人生 「フランスとロシアを繋いだ男」

シュヴァリエ・デオンの異色の人生

画像:デオンの肖像(サントーバン画)public domain

18世紀のヨーロッパは、各国が自国の利益確保と領土拡大に熱心な時代でした。

そんな時代の中で、一人の美青年が王の勅命を受け、女性としてスパイ活動を行っていました。

フランスとロシアの冷え切った関係を改善させたその人物、シュヴァリエ・デオンは、男性としての人生と女性としての人生を同時に生きた稀有な存在です。

今回は、このシュヴァリエ・デオンの足跡と素顔を辿ります。

女性と見まごう美貌の青年

シュヴァリエ・デオンの異色の人生

画像:甲冑を着たデオンとされる肖像画 public domain

1728年、デオンはブルゴーニュ地方トネールで、法律家の父と貴族出の母の間に生まれました。
デオンの幼少期については、彼自身の自伝以外に情報が少ないため、その真偽は不明です。

しかし、抜きんでた優秀さは確かであったようで、エリートコースであるパリのマザラン学院で法律学を修めただけでなく、政治経済から剣術・武術、文芸一般に至るまで深い関心を抱き、その習得に励んでいました。

しかも、デオンは女性と見まごう美貌の持ち主であり、士爵の称号を持っていました。

そんなデオンに、ルイ15世が白羽の矢を立てます。

当時、複雑さを増す国際関係の真っただ中にあって、外交官として重用できる人物が求められていたのです。

「女性」としてロシア女帝のお気に入りに

画像:ロシアに入国したデオンはマドモワゼル・リア・ド・ボーモンと名乗った public domain

1755年、ルイ15世はデオンに女性としてロシアに赴き、諜報活動を行うよう命じました。当時、ヨーロッパではロシアの脅威が増大しており、ほぼ断絶状態にあった仏露間の国交を回復させる必要があったのです。

デオンは女性としての旅券を携えてロシアに入り、ピョートル大帝の娘である女帝エリザヴェータに近づきました。

エリザヴェータは、大帝の没後、紆余曲折を経てクーデターで女帝の座に就きましたが、彼女の関心は政治よりも文化的な事柄にありました。

画像 : エリザヴェータの肖像画 第6代ロシア皇帝。ピョートル1世の娘、母はエカチェリーナ1世。public domain

父ピョートル大帝はロシアのヨーロッパ化に熱心でしたが、エリザヴェータにとってそれはファッションや宮廷作法という表面的な事柄に留まっていました。

「フランス風」に憧れるエリザヴェータにとって、フランスから来たデオンの優美な身なりと立ち振る舞いは強い関心を引き、デオンはすぐに女帝の心を掴むことに成功します。

こうしてエリザヴェータのお気に入りとなったデオンは、彼女のフランス語教師に任命され、諜報活動に勤しみました。デオンは女帝の側で彼女の動向や政府の思惑を観察し、まずは女帝からルイ15世への書簡を携えて一旦帰国します。

そして翌年には、なんとフランス語教師の「兄」という設定で男装し、再びロシアを訪れ、数々の舞台裏工作の末、ついにロシアとフランスを同盟させることに成功したのです。

男性?女性?イギリスでも物議

画像:イギリス国王ジョージ3世の妻、王妃シャーロットの肖像。スキャンダルの相手は王妃ではないかと噂された public domain

こうして抜群の成果をあげて帰国したデオンに、ルイ15世は次に大使館の秘書官として渡英することを命じます。イギリスでのデオンは、男装と女装を巧みに使い分け、その性別を巡ってロンドンで賭けが行われるほどの話題を提供しました。

デオン自身もこうした騒ぎをどこか楽しんでいたようで、男性として時にはイギリス王室さえ巻き込みかねないスキャンダラスな情事にふけったかと思うと、窮地になると女装で危機をやり過ごすような事すらありました。

その一方で、任務は着々と遂行していたデオンでしたが、それを快く思わない人物がいました。

それは政敵でもある在英フランス大使のゲルシー伯爵でした。

デオンとゲルシー伯爵は激しく対立し、結果伯爵は失脚しましたが、恨みを抱いたゲルシー伯爵の陰謀によって、デオン自身もまた地位を剥奪されたのです。

しかし、実際には状況の鎮静化のため表面上デオンは追放されただけで、ルイ15世は彼に十分な年金を与え、デオンもまた引き続きルイ15世の逝去まで政治の舞台裏で活躍し続けます。

その後1777年にデオンがフランスに帰国すると、フランス宮廷は世代交代を終え、ルイ16世の治世となっていました。ルイ16世の妻マリー・アントワネットもデオンの女装を気に入り、彼女のお抱え裁縫士にデオンの衣装を作らせるほど寵愛したのです。

以後、デオンは秘密裡ではなく正式に女装を命じられ、『女騎士デオン』と署名し、名乗る事となったのです。

見世物になった不遇な晩年

シュヴァリエ・デオンの異色の人生

画像:サン・ジョルジュとフェンシングの試合をするデオン(1780年代末頃) public domain

ヨーロッパ各地で外交の表裏にわたって活躍したデオンでしたが、晩年は不遇に見舞われます。

1778年、英仏の国交断絶に伴い、デオンはフランス政府に逮捕・監禁されるという憂き目にあうのです。それでも辛うじて脱獄に成功し、その後渡英した後は、二度と祖国の地を踏むことはありませんでした。

しかし、イギリスで待ち受けていたのは、かつての輝かしい活躍からは想像もつかないほどの困窮した生活でした。もはやデオンを顧みる人々はおらず、経済的にも追い詰められた彼は、かつて磨いた剣の腕前を売り物にします。

女装姿で剣術の試合に出場してみたり、別名「黒いモーツァルト」と呼ばれ、かつてはフランス王室と繋がりもあった音楽家サン・ジョルジュと組んで、フェンシングの見世物をしてみたりと、その姿にはもはや過去の栄光の名残はありませんでした。

しかし、デオンの困窮ぶりに救いの手を差し伸べる人物が現れました。
イギリス国王ジョージ3世が、見かねてデオンに年金を与えることを決めたのです。

以降、デオンは1810年に息を引き取るまでイギリスに留まり、フランス絶対主義王政の翳りから大革命という、まさに激動の時代を生き抜き終えたのです。

参考文献 : フランス革命の女たち (とんぼの本) 新潮社
池田 理代子 (著)

 

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草の実堂編集部

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