歴史とは単なる事実の積み重ねではなく、人々が生活する環境にも大きく左右されるものです。
地理や気候、そしてそこに生息する動植物も、歴史を形作る重要な要素の一つと言えるでしょう。
今回は、ある植物が人類の歴史に与えた影響についてご紹介いたします。
身近な植物がどのように歴史に関与したのか、驚きの発見があるかもしれません。
マリー・アントワネットも愛した花
「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」
誰もがどこかで耳にしたことがあるであろうこの言葉は、ご存じフランス王妃マリー・アントワネットの、飢餓と重税に苦しむ民衆への無理解を象徴するものとして有名です。
しかし、実際には彼女がこの言葉を発したわけではなく、フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーが自伝『告白』の中で、別の王女の発言として回想したものです。
マリー・アントワネットがこの言葉を発したとされる時期、彼女はオーストリアからフランスに嫁ぐ前で、9歳でした。
無教養で浪費家、世間知らずといったイメージが強いマリーですが、飢饉の際には宮廷費を削減して寄付を行うなど、実際には民に寄り添う心優しい王妃でした。
そんな王妃が愛した花は、夫ルイ16世の提案で、宮廷中に流行った植物でした。
それはジャガイモです。
ジャガイモは当時、既にヨーロッパに広まっていましたが、フランスではあまり知られていませんでした。
そんな中で、フランスが大飢饉に見舞われた際、小麦の代替となる食料案が懸賞金付きで募集されたのです。
これを知ったパルマンティエという一人の男爵が、ジャガイモを提案します。
かつて、フランスとプロイセン王国が七年戦争を行った時、男爵はプロイセン側の捕虜となり、ジャガイモを食べて生き延びた経験があったのです。
パルマンティエの提案を採用したルイ16世は、加えて一計を案じました。まず、自身がジャガイモの花を上着のボタンホールに挿して飾ります。そして、妃のマリーにもジャガイモの花飾りを身に着けさせたのです。
王と王妃がまとう美しい花飾りは宣伝効果抜群で、フランスの上級階級の間でジャガイモの栽培が一気に広まりました。
次に、ルイ16世とパルマンティエ男爵は、国営農場にジャガイモを植え、
「この植物は美味で滋養に富み、王侯貴族が食するものである。盗んで食した者は厳罰に処す」
との、お触れを出しました。
王は人心の動きをよく理解していたのでしょう。
人々はこのジャガイモなる植物に興味津々となり、わざと警備が手薄にされた夜間に次々と盗み出しました。
こうして、飢えにあえぐ庶民の間にもジャガイモは広まったのでした。
イギリスでのジャガイモ
このように、花を飾れば清楚で美しく、食べれば美味しく栄養に富むジャガイモは、南米のアンデス山地が原産です。
それがコロンブスの大陸発見後、多くのヨーロッパ人が南米を訪れるようになり、16世紀以降、ジャガイモはヨーロッパに広まりました。
元来、土地が痩せており、麦類以外の作物を栽培しにくいヨーロッパの土壌にあって、これは大革命でした。
しかし、ジャガイモが自生しなかったヨーロッパでは、誤って芋の部分ではなく、芽や緑色の部分を食べてしまう誤食も起こりました。実の部分は栄養豊富ですが、芽や緑色の部分にはソラニンという毒が含まれています。これは多くの方がご存知でしょう。
このソラニン中毒にあたってしまったのが、イギリスの女王エリザベス一世でした。
女王はまず、上流階級の間でジャガイモを広めるためにパーティーを開きましたが、料理人たちがジャガイモの調理方法を知らなかったため、彼女自身がソラニン中毒になってしまったのです。
こうしてイギリスでは、女王の計画とは裏腹にジャガイモの普及が遅れる結果となったのです。
大航海時代にも影響
16世紀以降、ヨーロッパに広まったジャガイモは、船乗りたちにとっても重要な食料となりました。
大航海時代、長い船旅の中で船員たちは様々な原因で命を落としていました。その一つが壊血病です。
皮膚や粘膜から出血し死に至るこの病は、20世紀になってようやくビタミンCの不足が理由と判明しました
しかしそれよりも以前、貯蔵性に富むジャガイモが航海食として使われるようになると、次第に壊血病は減っていったのです。これはジャガイモが多くのビタミンCを含むためでした。
こうして、船乗りたちの健康状態は改善され、より長い航海が可能となったのです。
その遠い航海の先には、日本も含まれていました。日本にはオランダ人によって最初のジャガイモが長崎に持ち込まれました。
現代では日常的に食べることが多いジャガイモですが、その歴史を知ると、改めてそのありがたみを感じるのではないでしょうか。
痩せた寒冷地でも育つこの素朴な植物は、飢えと戦い続ける人類の歴史において、貴重な立役者と言えるでしょう。
参考文献:『世界史を大きく動かした植物』稲垣栄洋(著)PHP研究所
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