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お茶(緑茶・紅茶・烏龍茶)の歴史【世界史の裏側にはお茶があった】

お茶(緑茶・紅茶・烏龍茶)の歴史【世界史の裏側にはお茶があった】

緑茶紅茶烏龍茶とお茶は大きく3種類に大別できます。

その中でも様々な種類に分かれ、フレーバーを付けたり、スイーツにアレンジされたりと日常のあらゆるシーンで登場するお茶。

しかし世界で栽培されるお茶のもとになる木は実はたった2種類です。そんなお茶の歴史について調べてみました。

木の種類による茶の違い

チャノキ

※チャノキ

基本変種。幹が枝分かれした低木で寒さにも強く100年程度栽培が可能。

カテキン含有量は少なく、酸化発酵がしにくいことから緑茶向き。中国、日本、イラン、グルジア、トルコなど冬の寒さが厳しい場所で栽培される。

インドのダージリンやスリランカでも栽培される。

アッサムチャ

お茶(緑茶・紅茶・烏龍茶)の歴史【世界史の裏側にはお茶があった】

※アッサム wiki(c)Paweł Więcek

基本変種の変種。単幹の高木。

刈込みしながら栽培しても利用可能は40年程度。発酵しやすいため紅茶向き。

インドのアッサム地方、スリランカ地方、インドネシア、ケニアなどで栽培される。

茶葉の発酵度合による茶の違い

不発酵・・・緑茶
半発酵・・・烏龍茶
完全発酵・・・紅茶

世界で一番最初にお茶を飲んだのは?

紀元前2740年ごろ、中国に伝わる天地創造の神話に登場する薬祖神の伝説があります。草木をなめてその効能を調べたことから、医薬の神様としてまつられている神農が茶を発見したとされています。が、神話なので確証はありません。

紀元前59年に書かれた中国の奴隷売買の契約書に、当時の町の、「武陽で茶を買う」という記述があります。

2011年に中国とイギリスの研究チームが、紀元前1世紀の中国皇帝の墓から世界最古の茶葉の塊を発見したことにより、奴隷売買の契約書の茶の記録は裏付けられました。

紀元前1世紀ごろに書かれた中医四大経典の一つであり、現存する漢方薬の本で一番古いとされる「神農本草経」にもお茶についての記述があります。

世界最古のお茶の専門書

お茶(緑茶・紅茶・烏龍茶)の歴史【世界史の裏側にはお茶があった】

760年ごろ中国の文筆家の陸羽(りくう)によって書かれて「茶経」は、中国各地を旅して発見したお茶の製法や飲み方道具に関する知識をまとめたものです。

中国における茶の歴史

世界最古のお茶の歴史を持つ、中国での茶の歴史を調べてみました。

3世紀ごろ

茶葉を餅状に丸めたものを焙って搗き、湯をかけてみかんの皮、ねぎ、生姜と混ぜて煮るスープとして飲んでいました。

唐の時代(618~907年)

お茶(緑茶・紅茶・烏龍茶)の歴史【世界史の裏側にはお茶があった】

※七子餅茶の表側 wiki(c)Jason Fasi

蒸した茶葉を突き固め乾燥させた餅茶(へいちゃ)が主流でした。全国で栽培されるようになり、流通に便利な固形茶でした。

削って粉砕し、塩を入れた湯を加えて煮て、器に入れて飲みました。

宋の時代

詩を吟じ、書をたしなみ、絵を描き、哲学を論じながら茶を楽しむ、富裕な市民の嗜好品へと変遷します。

餅茶からの基本的製法は変わりませんでしたが、宋代あたりから固形茶は「団茶」と呼ばれるようになりました。

茶葉をより細かく粉砕する為に臼ではなくすり鉢を使ったり、より高級な茶が生み出されていきます。

明の時代

明の初代皇帝洪武帝が、団茶は本来のお茶の美味しさを損なうことと、製法に手間がかかりすぎるという理由で団茶禁止令を出しました。

※散茶(プーアル茶)Amazon

その代わりに登場したのが釜炒り製法による「散茶」です。花茶が登場したのもこのころです。

浙江省のロンジン茶や安徽省の緑茶も知られはじめ、福建省の武夷茶などは高値で取引されました。

清の時代

中国茶や茶器はほぼ完成されます。

福建省では青茶(烏龍茶)が開発されます。

現代の中国

1951年中華人民共和国の建国後、中国茶は発展を続けていましたが、文化大革命により贅沢の象徴の茶は栽培が制限され、中国に代わって台湾茶が世界的に有名になります。

ヨーロッパにおける茶の歴史

アメリカ独立戦争をも引き起こした、ヨーロッパでの茶の歴史です。

オランダによる茶の独占販売

大航海時代を迎える17世紀になると、西欧諸国が中国産のお茶を輸入し始めます。

1610年ごろオランダの東インド会社が中国茶を持ち帰ります。1640年ごろのオランダで緑茶の習慣が始まりました。

イギリスの茶の歴史

※イギリスに紅茶を飲む習慣をもたらしたキャサリン・オブ・フラカンサ(Catherine of Braganza)

1662年にポルトガルのキャサリン王女はお茶と砂糖を持参してイギリス王室に嫁ぎ、イギリス王室にお茶を流行らせました。

当時お茶の輸入を独占していたオランダに対し、お茶の輸入を拒否して戦争を始めます。これが第三次英蘭戦争(1672~1674年)です。オランダに勝利したイギリスはお茶を輸入する権利を奪い、中国福建省の厦門(あもい)と貿易を開始します。

厦門で扱われるお茶は緑茶ではなく、半発酵の武夷茶でした。ブラックティーと呼ばれたこの半発酵茶の人気が、イギリスでの紅茶文化の花を咲かせることになります。

ボストン茶会事件

18世紀後半、紅茶はアメリカでも大人気でした。

アメリカを植民地としていたイギリスは高額な税金をかける印紙税法を施行(1765年)します。これに反発したアメリカ人はイギリス商品の不買運動を起こします。

※ボストン茶会事件を描いたリトグラフ(1846年)

課税反対運動が白熱した結果、1773年ボストン港に停泊していたイギリス船に積まれていた342個の茶箱を海に投げ捨てるというボストン茶会事件が起こります。

これがきっかけにとなり、ついにはアメリカ独立戦争へとつながっていきます。

アッサム種の発見

1823年、イギリスの冒険家ロバート・ブルースがインドのアッサム地方で自生の茶葉を発見します。1839年アッサムティーが誕生します。

茶葉が大きなアッサム種は収穫量が多く大量生産が可能となります。

中国種とアッサム種の交配もすすみ、英国東インド会社代表で植物学者のロバート・フォーチュンが中国から製法を盗み出し、植民地のインドやスリランカでも栽培が広がってイギリスの紅茶文化は花開いていきました。

日本におけるお茶の歴史

日本における緑茶、紅茶、烏龍茶の歴史を調べてみました。

日本に初めてお茶を持ち込んだのは?

奈良・平安時代の8~9世紀にかけて中国に渡った遣唐使や留学僧によって日本に伝来しました。

※最澄

805年、天台宗の開祖の最澄(さいちょう)が中国から持ち帰り、比叡山のふもとに植えたのが日本茶の歴史の始まりです。同時期に空海も茶を持ち込んだとの記述もあります。

平安時代初期の歴史書「日本後紀」には「近江の梵釈寺(ぼんじゃくじ)で僧の永忠が嵯峨天皇に茶を煎じて献上した」と日本最古のお茶に関する記述があります。

当時のお茶はとても高価で、前述した蒸して固め乾燥したものを粉末状にして釜で煮て飲む「団茶」や「餅茶(へいちゃ)」でしたが、貴族や僧侶のみ口にすることができました。

しかし、嵯峨天皇崩御とともに茶の文化は廃れます。

2度目の茶文化の到来

再度茶の文化が起こるのは、鎌倉時代です。

1191年中国の宋から僧の栄西が茶の種子を持ち帰り、福岡県と佐賀県の境の脊振山(さふりさん)に種子をまきました。1211年に日本初のお茶の専門書「喫茶養生記」でお茶の効能と製法を紹介します。

1214年栄西はこの喫茶養生記をお茶と共に、将軍源実朝に献上。酒好きの実朝の二日酔いはこのお茶によってすっきりし、大いに喜んだという逸話も残っています。

栄西はこの「喫茶養生記」やお茶の栽培を奨励して喫茶の習慣を広めたほか、「抹茶法」を中国から持ち帰るなどして茶文化に貢献しため、日本茶の「茶祖」として崇められています。

華厳宗の僧、明恵上人が京都栂尾の高山寺に茶を植え、ここが最古の茶園とされています。

鎌倉末期から南北朝にかけて寺院を中核として茶園は、伊勢、伊賀、駿河、武蔵へと広がります。鎌倉時代の茶は、社交の一環として武士階級に浸透し、南北朝時代になると茶の飲み比べの「闘茶」も行われました。

室町~安土桃山時代

※宇治茶畑 wiki(c)vera46

足利義満宇治茶を庇護し、これは豊臣秀吉にも受け継がれ宇治茶ブランドが形成されます。※宇治茶とは京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、京都府内業者が府内で仕上加工したもの

15世紀後半、村田珠光が「侘茶(わびちゃ)」という様式を創出、これを受け継いだ武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休などによって「茶の湯(茶道)」が完成します。

豪商や武士たちに浸透していきました。

江戸時代

江戸時代になると武家社会において茶の湯は儀礼の場で正式に取り入れられ、欠かせないものとなっていきます。庶民の間では簡単な製法で茶葉を煮出したものを飲んでいました。

1738年、宇治田原郷の永谷宗円青製煎茶製法と呼ばれる煎茶の製法を編み出し「煎茶の祖」と呼ばれます。

この製法は18世紀以降日本各地に広がり主流となります。

1835年山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されました。

1858年、日米修好通商条約が結ばれ、1859年には長崎、横浜、函館に開港し、茶は181トン輸出されます。

明治時代~昭和初期

明治維新後、茶の輸出量は伸び続け、輸出総額の15~20%を占めました。

高林謙三による高林式製茶機械の発明により、省力化と品質の安定化に成功し、明治中期までは茶は花形輸出品となります。

その後インド、セイロン紅茶の出現で輸出は停滞し、茶は国内の消費へと変わっていきます。

国内向け嗜好品として日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期と以外に新しいものでした。

日本における紅茶の歴史

明治政府は日本での紅茶生産を目指して各地に試験場を作ったり、中国やインドで製造技術を学んだりしましたが、高品質な紅茶は作れませんでした。

※リプトン紅茶

1906年、明治屋リプトン紅茶を輸入販売。上流階級の人々にハイカラと受け入れられます。

1972年、三井紅茶(現日東紅茶)が日本発の国産紅茶を販売。これにより一般家庭でも紅茶は飲まれるようになります。

1971年、紅茶の輸入が完全自由化。世界中の色々な紅茶が日本で楽しめるようになりました。

現在日本で消費される紅茶は、ほぼ輸入品ですが、静岡、熊本、三重などで上質な国産紅茶も生産されています。

日本における烏龍茶の歴史

1970年ごろ烏龍茶が健康や美容に効果があるという噂が日本各地で広まり、当時のアイドルピンク・レディーが愛飲しているということで、1978年から79年の2年間で輸入量が280トンと一大ブームが巻き起こります。

その後、粗悪品が出回ったなどで人気が一時低迷しましたが、伊藤園やポッカが手軽な缶入りで販売したことで人気が回復。

さらに1985年に焼酎で割る「烏龍割り」や1991年の「レゲエパンチ」などのお酒と合わせて飲むことで再び脚光を浴びました。

現在では伊藤園やポッカに続き、サントリーやコカ・コーラなどもオリジナルの烏龍茶を販売し、国内で生産された烏龍茶の茶葉を用いた国産烏龍茶も販売されています。

歴史の裏側にあったお茶

世界にたった2種類しかないお茶の木ですが、壮大な歴史の中で世界各地で様々な手法で嗜好品として楽しまれてきました。

歴史を思い浮かべながらのティータイムもいいかもしれませんね。

 

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猫田茶々丸

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