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【幻のハワイ,アジア連合】カラカウア国王について調べてみた

アメリカ50番目の州であるハワイ諸島

世界で最も知られたリゾート地である。このハワイがかつて大海原で隔絶されていた頃、そこには独自の文化が育まれていた。

しかし、18世紀後半、このハワイは欧米列強の太平洋進出の波に曝されることとなる。英国人クックの来航をきっかけに、探検家や商人たちが乗り込んできた。

そして、19世紀になるとアメリカもハワイへと進出してくる。日本にペリー率いる黒船が来航したのもこの時期だ。当時、アジアはイギリス、フランス、オランダなどが覇権を争う舞台と化していた。そこに太平洋を隔てたアメリカが食い込むには、太平洋上に拠点を必要としていた。それがハワイだったのだ。

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迫るアメリカの影


【ハワイ国王カラカウア】

ハワイに乗り込んだアメリカ人の多くは、サトウキビ農園を経営し、富を蓄えていった。ちょうどその頃、ハワイに新たな王が即位した。

ハワイ第7代国王「デイヴィッド・カラカウア」である。

37歳で即位したカラカウアは、アメリカ人の友人に囲まれ、西洋式の教育を受けて育った。早速、アメリカ人資本家たちは本国との通商条約締結を勧める。その内容は、ハワイからアメリカに輸出するサトウキビなどの関税を撤廃するものだった。

これにより、ハワイの経済も潤うという説明にカラカウアは署名する。しかし、この署名が後のハワイの運命を大きく左右するのだった。

アメリカ人資本家たちは、サトウキビの輸出で得た利益でハワイの土地を買い、条約締結からわずか15年で、ハワイは国土の半分を失うことになる。さらにハワイの政界にも進出し、政府の主要閣僚もアメリカ人が占めた。そして、ハワイに軍事拠点を置くため、極秘裏に視察団を派遣し、真珠湾に軍艦が停泊できると調査をまとめている。

カラカウア国王 アジア歴訪

カラカウア

事ここに至って、カラカウアはアメリカがハワイを太平洋の拠点にしようとしていることに気付いた。

しかし、もはやカラカウア一人で状況を打開できる状態ではない。そこで、カラカウアが目を向けたのがアジアである。

なぜなら、アジアもまた西洋列強の支配に対抗すべく模索していたからだ。そこで、導き出したのは「ハワイ・アジア連合」という前代未聞の構想であった。

1881年1月、カラカウアは議会に世界周遊の旅に出たいとアメリカ人議員たちを納得させ、ハワイを旅立った。しかし、監視役として2人のアメリカ人も随行する。

清・香港・シンガポール・インドなど3ヶ月で10の国と地域を回る計画だったが、その多くが西洋列強に侵されている国だった。そして、その旅の最初の目的地が日本である。しかし、カラカウアには不安があった。「ハワイ・アジア連合」に日本が参加するかどうかは無論のこと、カラカウア一行を日本が迎え入れてくれるのか。

そんな不安を抱きつつ、1881年(明治14年)、カラカウアは日本に到着する。

予想外のもてなし


【カラカウアが視察した東京砲兵工廠(1930年(昭和5年)当時)】

しかし、到着したカラカウアの耳に聞こえてきたのはハワイ国歌「ハワイ・ポノイ」であった。

日本は、カラカウアの来日を知ると、急遽、ハワイ国歌の楽譜を取り寄せて、歓迎の演奏をしたのである。

明治天皇により、カラカウアは国賓として迎えられ、連日丁寧なもてなしを受けた。この接待を取り仕切ったのは、外務卿の「井上馨(いのうえかおる)」であった。

井上がカラカウアをここまでもてなしたのには理由がある。ペリー来航後、欧米と不平等条約を結ばされた日本にとって、アメリカとの条約改正は最優先事項であった。そこでカラカウアを通じてハワイの実権を握っているアメリカに好印象を与えようとしたのだ。

井上はカラカウアを陸軍の観兵式や、兵器工場などに案内し、カラカウアを心底感心させた。その結果、カラカウアはひとつの決心をする。

日本の軍事力、技術力を目の当たりしにて、「アジア連合をおこすとなれば、天皇陛下こそ盟主にふさわしい」と。

カラカウア の決意


【※カラカウアの姪・カイウラニ王女】

カラカウアは二人のアメリカ人随行員の目を盗んで、アジア連合の話を日本側と話したかったが、滞在8日目に事件が起こる。カラカウアが滞在先から忽然と姿を消してしまったのだ。

困惑する随行員を残し、カラカウアは赤坂御所に向かっていた。明治天皇に単独で会見を申し込むためである。この極秘会見は実現し、カラカウアは、来日の本当の目的を天皇に告げた。さらにアジア連合が実現した場合、日本にも列強諸国に治外法権撤廃を認めさせることができると、そのメリットを強調する。カラカウアは誠意を持って話すが、天皇にとっても即答できる話ではない。そこで、カラカウアは自分の姪を日本の皇族と縁組させたいというのだ。

このときの明治天皇の返事は「熟慮の上、回答します」というものだった。

カラカウア来日の真相を知った政府は、伊藤博文岩倉具視らを集めて対応を協議する。一方、赤坂御所から戻ったカラカウアが、明治天皇と極秘会談を行っていたことを知ったアメリカ人随行員は、不信感を露にする。以後、カラカウアは何の行動も起せないまま滞在期限を迎えた。

意外な理由


【※ハワイとの窓口となった井上馨】

日本を後にしたカラカウアだったが、その後もアジア各地を巡る。だが、随行員の強硬な反対により、その後の首脳会談は実現しなかった。

こうして9ヶ月の航海を経てハワイに帰国したカラカウアだったが、皮肉にもこの頃からアジア各国では西洋列強の支配からの独立を目指す運動が高まりつつあった。そして、日本でも欧米支配からアジアを守るための連合が必要だとの声も上がる。

アジアの動きはカラカウアにとって追い風のように思えた。

1882年(明治15年)3月22日、明治天皇の回答書がカラカウアの元に届く。会見から1年、彼が待ちわびた書簡である。しかし、日本の答えはアジア連合の必要性を認めながらも、あまりに遠大な計画であり「現段階での実現は不可能」というものだった。

この問題を担当した外務卿・井上馨は、ギリギリまで答えを出せずにいたのだが、それまで条約改正交渉に応じようとしてこなかった欧州諸国が、突如としてその考えを翻したのである。日本が単独で条約改正を実現できるのなら、ハワイとの連合はかえって欧米の心象を悪くしかねない。このような意図が働いていたのだ。

こうして、日本とハワイを中心としたアジア連合は幻と消えたのである。

最後に

日本からの協力を取り付けられなかったカラカウアは、その後もハワイの主権を取り戻そうと内閣改造などを行うが、1887年7月、遂にアメリカ人勢力によって国王の議会に対する権利を剥奪されてしまった。影響力を失ったカラカウアは、1891年1月、病により静かにこの世を去る。享年54。

その後もアメリカは太平洋地域での領土拡大を続け、1898年8月には、ハワイもアメリカに併合されたのであった。

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