ミリタリー

ドイツ戦車・ティガーに見る戦略のパラドックスとは

1940年のドイツによるフランス侵攻

1939年9月1日、ドイツによるポーランド侵攻を受けてイギリス・フランスがポーランドとの相互援助条約に基づき宣戦布告したことから第二次世界大戦が始まりました。

ポーランドに対しては、同9月17日からのドイツとの密約を結んでいたソ連軍の侵攻もあり、10月1日には独ソ両軍による、驚異的な速度で制圧されることとなりました。
ドイツ軍はこの後に、フランスへの侵攻作戦を計画していましたが、冬季の悪天候によって十分な航空機支援が行えないことから、延期となっていました。

翌1940年5月10日、ついにドイツ軍はフランス方面に向けた侵攻作戦を開始します。ドイツ軍は大きく以下の3つの
軍集団に編成され、進軍を開始いました。

1.A軍集団:アルデンヌの森林地帯から侵攻する装甲師団主力の部隊
2.B軍集団:ベルギーとオランダに侵攻する歩兵主力の部隊
3.C軍集団:マジノ線の要塞群で防衛するフランス軍守備隊への陽動部隊

この内のひとつ目である。A軍集団の侵攻が「電撃戦」と呼称され、第二次世界大戦初頭におけるドイツ軍の快進撃を支えた戦術として知られることになりました。

先のポーランド侵攻は、軍事上からは、狭義の「電撃戦」とは定義されておらず、フランス侵攻こそが、第二次世界大戦初の「電撃戦」と言える作戦でした。

その違いとは、狭義の「電撃戦」は敵への縦方向への集中攻撃を必須としていることにあります。ポーランド戦は敵を包囲し、各個撃破を意図した作戦であった点が「電撃戦」との相違点となっています。

電撃戦とドイツ戦車

ここでは、第二次世界大戦における狭義の「電撃戦」の特徴を整理したいと思います。

※ハインツ・グデーリアン Heinz Guderian wikiより

ドイツ陸軍の「電撃戦」生みの親とも言うべきハインツ・グデーリアンは、

1.航空兵力による敵拠点の爆撃・破壊を行い、敵兵力の集中を防止
2.無線通信による連携を受けた機甲部隊・機械化歩兵等の高機動力部隊が、敵の防御態勢が整う前に突撃
3.突撃する部隊は縦方向に深く進撃、最大速度で突破するため、柔軟な対応を取れるよう指揮権を現場指揮官に委譲

の要素を盛り込み、従来の歩兵部隊から完全に独立させた機甲部隊を創設しました。

こうして生み出された部隊が、その高い機動力を活用した「電撃戦」において縦に侵攻する「」となる戦術を攻勢する存在となりました。

フランス侵攻の際に用いられたドイツ軍戦車は、Ⅰ号・Ⅱ号の軽戦車や、Ⅲ号戦車でも20トン級の中戦車でした。Ⅲ号戦車の主砲には、初期型のものは37mm/ 46口径砲が搭載されていました。

フランス侵攻作戦は鮮やかな成功を収めた「電撃戦」ではありましたが、既にこの時点の戦いにおいても、敵のイギリス軍のマチルダⅡ戦車を破壊することは困難であり、逆に敵の対戦車砲によって多大な損害を受けていました。しかし、イギリス・フランス軍の戦車運用もまた、歩兵の支援用の砲台とでもいうべきものに留まり、組織化された攻撃に使用された訳ではありませんでした。

このためドイツ軍の勢いを止め、戦いの趨勢に影響を及ぼすことはありませんでした。

ティーガー戦車が抱えた戦略のパラドックス

先に挙げたⅢ号戦車以後、フランスの降伏を受けドイツの主要な交戦国はソ連となっていきました。

この独ソ戦においてソ連軍のT-34(30トン級)やKV-1(40トン級)戦車に遭遇したドイツ軍は、戦車対戦車の戦いにおいて圧倒的な劣勢であることを思い知らされました。そのため、50mmの主砲を搭載したⅢ号戦車も投入されましたが、ソ連の戦車に対する非力さは否めませんでした。

次いで投入されたⅣ号戦車は、戦車という括りでは第二次世界大戦中のドイツで最も多く生産された車両でしたが、この最終型の75mmの長身砲をもってしても、ソ連の戦車に対して優位に立つとは言えない状態でした。

※シチリア駐留の第504重戦車大隊第2中隊の初期型ティーガー(1943年):最前列の転輪が外されている。wikiより

そうした中でついに1942年8月、レニングラード近郊の戦闘にティーガーI型戦車が投入されます。

この戦車こそ、それまでのドイツ戦車の設計思想を転換させた戦車でした。60トン近い重量と56口径8.8 cm 主砲を備え、前面の装甲の厚さは100mmにも達するという重戦車でした。これ以前のドイツ戦車は、機動力・火力・防御力のバランスを考慮した設計思想から生まれたものでしたが、この戦車は自らが成功させた「電撃戦」に必須の機動力を切り捨て、防御力火力に重点を置いた戦車でした。

正に戦車戦略のパラドックスを生じさせたと言える戦車で、ここに至って「攻め」から「守り」へとドイツ軍の戦車の位置づけを変えてしまった兵器でした。

ティガー戦車は確かに強力な戦車で、一両で多数の連合軍戦車を撃破したというエピソードも多数残されています。
しかしそれはあくまで「防御兵器」として強力であったものと言えます。機動力・火力・防御力の総合的なバランスからは、ソ連のT-34から学び、避弾経始を考慮した傾斜装甲を備えたパンター戦車の方が、遥かに攻撃的な戦車と言えると思います。

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学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

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