アメリカ合衆国の首都として知られるワシントンD.C.
連邦政府の中枢が集まるこの地は、建国初期の政治的妥協と国家理念によって誕生した中立的な首都であった。
今回は「D.C.」という名称の意味や由来、その設立の背景、そして歴史的経緯について見ていきたい。
D.C.の意味

画像 : ワシントンD.C.の航空写真。市街東部から西南西方向を望む。 public domain
「D.C.」は「District of Columbia」の頭文字であり、日本語では「コロンビア特別区」と訳される。
「コロンビア」という名称は、アメリカ大陸の象徴として用いられた詩的表現であり、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)に由来している。
18世紀後半から19世紀にかけて、「コロンビア」はアメリカ合衆国の擬人化や国家の象徴として広く用いられ、詩、文学、地名などに取り入れられた。例として、オハイオ州コロンバス市や南米のコロンビア共和国が挙げられる。
ワシントンD.C.は、連邦政府の首都として特別に設けられた区域であり、州ではなく「特別区(District)」として扱われる。
ゆえに、ワシントンD.C.は他の州とは異なる法的地位を有し、連邦政府の直轄地として運営されている。
D.C.設立の背景

画像 : 『独立宣言』フィラデルフィアで開催された第二次大陸会議でアメリカ独立宣言草稿を提出する五人委員会のメンバー public domain
ワシントンD.C.が設立されたのは、アメリカ合衆国が独立を果たした後の首都選定を巡る議論と課題に起因する。
独立後、首都は当初フィラデルフィアやニューヨークなど、既存の主要都市に置かれた。
されど、どの州に首都を置くかについては、州間の対立が顕著であった。
とりわけ、北部と南部の州の間では政治的・経済的利害が衝突し、特定の州に首都を設置することは、その州に過度な影響力を与えると懸念された。
この問題を解決すべく、1790年に「レジデンス法(Residence Act)」が制定され、連邦政府の首都をどの州にも属さぬ中立的な区域に設置することが決定された。
ポトマック川沿いの土地が選定され、この新しい首都は初代大統領ジョージ・ワシントンの名にちなみ「ワシントン」と命名された。
また、この区域は「District of Columbia」として、連邦直轄の特別区とされた。
名称の由来
当時、コロンブスのアメリカ大陸発見は、新大陸の歴史の起点とみなされ、彼の名は新国家のアイデンティティを象徴するものとして尊ばれていた。
前述したように「コロンビア」は、アメリカの自由や独立の精神を表現する言葉として浸透しており、新しい首都の区域を「コロンビア特別区」と名付けることは、自然かつ適切な選択であったのだ。
「District(特別区)」という言葉が用いられたのは、この地域が州ではなく、連邦政府の直接管理下に置かれることを明確にするためである。
連邦政府の機能を円滑に遂行し、州間の均衡を保つため、中立的な特別区が必要とされた。
歴史的経緯

画像 : ホワイトハウス public domain
ワシントンD.C.の建設は、フランス人技師ピエール・シャルル・ランファンにより計画された。
彼は、広大な公園、壮大な通り、象徴的な政府建物を備えた都市を設計し、今日のD.C.の特徴的な景観の基礎を築いた。
1800年、連邦政府はフィラデルフィアからワシントンD.C.に移転し、以来、ここがアメリカ政治の中心地となる。
当初、D.C.の領域はメリーランド州とバージニア州から譲渡された土地で構成された。しかし、1846年にバージニア州側の一部が返還され、現在のD.C.の範囲はメリーランド州由来の土地のみとなった。

画像 : ワシントンD.C.の位置の位置図 public domain
この区域は、連邦政府の運営を目的とした最小限の範囲に設定され、住民の自治権は制限されてきた。
長年、D.C.住民は連邦議会での投票権を持たず、州と同等の地位を求める運動が続いている。
おわりに
このように、ワシントンD.C.の「D.C.」は「District of Columbia」を意味し、コロンブスにちなむ「コロンビア」と、連邦直轄の「特別区」を表す。
どの州にも属さぬ中立的な首都として設立された背景には、州間の対立と連邦政府の独立性確保の必要性があったのだ。
今もワシントンD.C.はアメリカの政治、文化の中心として、特別区としての独自の地位を維持している。
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部
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