世界三大財閥として、「ロックフェラー家」「ロスチャイルド家」「モルガン家」が有名である。
この中で世界の金融を握り、長い歴史を持った家系がロスチャイルド家である。
ロスチャイルド家は、何故ここまで世界中に力を及ばせる事が出来たのだろうか?
今回は、ロスチャイルド家の歴史について紐解いてみる。
ロスチャイルド家の人物
マイアー・アムシェル・ロートシルト (ロスチャイルド家 当主)
アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト(フランクフルト家)
ザロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(ウィーン家)
ネイサン・メイアー・ロスチャイルド (ロンドン家)
カール・マイアー・フォン・ロートシルト (ナポリ家)
ジェームス・ド・ロスチャイルド (パリ家)
ロスチャイルド家の歴史
ロスチャイルド家「ロスチャイルド」は英語読みであり、ドイツ語読みは「ロートシルト」である。
ロートシルト家は、神聖ローマ帝国、帝国自由都市フランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)で暮らすユダヤ人の家系だった。
彼らは法律・社会的に様々な制約を受け、職業は制限されていた。
ロートシルト家も代々商売していた家柄だったが、小規模に過ぎず生活も貧しかった。
ロスチャイルド家を勃興させたのは、マイアー・ロートシルトである。
マイアーは、1760年代からフランクフルトで古銭商を始め、やがてフランクフルト近くのハーナウの宮殿の主であるヘッセン=カッセル方伯家の嫡男ヴィルヘルムを顧客に獲得。ここからロスチャイルドの繁栄が始まる。
1769年にはその宮廷御用商に任じられた。
ヴィルヘルムは閨閥の広さによる資金力を活かし、他の王侯ならびに軍人・官吏・各種産業に貸し付け業を行っていた。
ヴィルヘルムは、傭兵の貸し出しビジネスも行っており、アメリカ独立戦争でも傭兵を貸し出した。
1789年には、ロスチャイルド家もヘッセン・カッセル方伯家の正式な金融機関の一つに指名されるに至り、その対外借款の仕事に携われるようになった。
1789年、フランスで発生したフランス革命を恐れたヨーロッパ諸国の君主たちはフランスに宣戦布告をした。
「自由主義」を掲げるフランス革命は、虐げられた立場にあったユダヤ人たちにとって解放される絶好のチャンスとなり、ロスチャイルド家にとってもヘッセン・カッセル方伯の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却するきっかけになった。
1799年からマイアーの三男ネイサンはイギリス・マンチェスターに常駐し、産業革命で大量生産されていた綿製品を安く買い付けてドイツに送り、莫大な利益を上げるようになった。その金を元手にネイサンは1804年からロンドンの金融街シティに移り、N・M・ロスチャイルド&サンズを創設して金融業を開始した。
1803年、ロスチャイルド家は宮中代理人の称号を得ている。
1806年にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、プロイセン侵攻のついでにヘッセンにも侵攻。
ヘッセン選帝侯となっていたヴィルヘルム1世は国外亡命を余儀なくされたが、この際に選帝侯の巨額の財産の管理権・事業権はロスチャイルド家に委託された。
大陸中を駆け回って選帝侯の代わりに選帝侯の債権の回収にあたり、回収した金は選帝侯の許しを得て投資事業に転用し、莫大な利益を上げるようになった。
1806年、ナポレオンは大陸封鎖令を出して、支配下の国々に敵国イギリスとの貿易を禁じた。
しかしロンドンのネイサンはイギリスで商品を安く買って大陸へ密輸し、父や兄弟たちが大陸内で確立している通商ルートを使って大陸各国で売りさばいた。これによってロスチャイルド家は莫大な利益を上げた。
1812年、ロスチャイルド家を勃興させたマイアー・アムシェル・ロートシルトは68才で死去した。
彼は5つの訓令を息子たちに残した。
1・ロートシルト銀行の重役は一族で占めること
2・事業への参加は男子相続人のみにすること
3・一族に過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が継ぐこと
4・婚姻はロートシルト一族内で行うこと
5・事業内容の秘密厳守
父の遺訓に従って、フランクフルトの事業は長男アムシェルが全て継承し、ウィーンには二男ザロモンが1820年に移住した。
三男ネイサンはロンドン、四男カールは1821年にナポリに移住した。五男ジェームスはパリにすでに移住していた。
彼らはヨーロッパ中に交通ネットワーク網を張り巡らせ、各国の兄弟たちに連絡がすぐに行えるようにしていた。伝書鳩も飼育して緊急時にはこれを活用した。
この情報伝達の速さはロスチャイルド家にとって大きな武器となり、ワーテルローの戦いにおいてもナポレオンの敗戦をいち早く知ることができ、イギリス公債の売買で巨額の利益を得た。
1822年、ロスチャイルド一族全員がハプスブルク家より男爵位を与えられ、五兄弟の団結を象徴する五本の矢を握るデザインの紋章も与えられた。
1835年、ウィーン家のザロモンは皇帝の認可を得て鉄道会社を創設し、中欧の鉄道網整備を行った。
フランクフルト家のアムシェルも中部ドイツ鉄道、バイエルン東鉄道、ライン川鉄道などの整備を行い、パリ家のジェームスもフランスや独立したばかりのベルギーの鉄道敷設に尽力。
1853年、パリ家が総合水道会社ジェネラル・デゾーを設立。
1901年、相次ぐ戦争や新しい金融システムに迎合できなかった影響で、フランクフルトの本家が断絶、ナポリ家も閉鎖。
1914年に勃発した第一次世界大戦で、ロスチャイルド家は敵味方に引き裂かれる。
1938年、ウィーン家閉鎖。
1940年、ナチス・ドイツのフランス侵攻でパリが陥落すると、パリ家の銀行や邸宅はナチスに接収された。
またパリ家は美術品の収集で知られており、陥落直前に美術品の外国移送に励んだが、移送できなかったものは陥落後に押収された。パリ家の人々の多くはアメリカへ亡命した。
1949年、パリ家の戦後復興が、正式に当主となったギー・ド・ロチルドを中心にして行われる。
2003年、ロンドン家とパリ家の両銀行が統合されたロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスが創設される。
ロスチャイルド家とワイン
最高の格付けを得ている「5大シャトー」と呼ばれるブドウ園のうち2つが、ロスチャイルド家の所有となっている。
・『シャトー・ムートン・ロートシルト』は、ネイサン・ロスチャイルドの三男ナサニエルが1853年に購入。
・『シャトー・ラフィット・ロートシルト』はマイヤー・ロスチャイルドの五男ジェームスが1868年に購入。
ロスチャイルド家の現在
・『エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行』はスイスに本拠を置く金融グループであり、2011年においてその総資産は140.2億スイスフラン(約1.6兆円)
・『ロスチャイルド&カンパニー』はロスチャイルド家のパリ家とロンドン家が共同所有する金融持株会社であり、ロスチャイルド銀行グループの中核企業としてN・M・ロスチャイルド&サンズ(イギリス)やRothschild & Cie Banque(フランス)などを所有し統括している。2019年においての総資産は141億5700万ユーロ(約1.7兆円)
・『RITキャピタルパートナーズ』は1980年に設立され、ロンドンのスペンサー・ハウスに本拠を置き、アメリカやイギリスを中心として世界中の会社に投資を行っている。2012年において総資産は22.1億ポンド(約3300億円)である
ロスチャイルド家の総資産
ロスチャイルド家全体の推定資産は、3,500億~2兆ドル(約37兆4,900億~214兆2,700億円)
ロックフェラー家の資産は3360億ドルである。
ロスチャイルド家まとめ
初代当主のマイアーは優秀な金融業者であったが、その息子達も非常に優秀であった。兄弟間でネットワークを築き助け合っていたことが、ロスチャイルド家を世界最大の金融家系へ押し上げた大きな要因となった。
世界の歴史においても、繁栄した家系が衰退する一番の要因は、家族間、兄弟間の争いである。
事実、ロスチャイルド家が一時期衰退した原因は、第一次大戦で各国の分家がそれぞれ敵味方同士になったことである。
そう言った意味では、ロスチャイルド家の血の繋がりの強さを大切にする教えは、ハプスブルク家と共通している。
ロスチャイルド家は、ロックフェラー家やモルガン家に資金提供している事から、世界最大の金融家系であると言える。
ナチスがユダヤ人を迫害するキッカケになったロスチャイルド家。