シンガポールと聞いて、多くの方がまず真っ先に思いつくイメージは「マーライオン」なのではないだろうか。
マーライオンは、頭がライオンで下半身が魚であるが、シンガポールという国名もライオンに由来しているのである。
シンガポールの名の由来
シンガポールについての最も古い文献は、三国時代の中国の呉の史料だとされている。
呉の孫権に仕えていた康泰(こうたい)が東南アジアに派遣され、「呉時外国伝」という書を著した。そこに蒲羅中(半島の先端の意)という地名があり、これが最も古いシンガポールの文献とされている。
7世紀頃になると「テマセック」という名の漁村として知られるようになり、その後は海賊を生業とする住民が住み、外国船も多く寄港していたという。
14世紀末になると、古代サンスクリット語で「ライオンの町」を意味する「シンガプーラ」という名称が定着し、現在の「シンガポール」の由来となった。
「シンガ」は古代サンスクリット語で「獅子」の意味があり、「プーラ」は街を指す。合わせて「ライオンの街」ということになる。
ライオンがいないのに、なぜ獅子の街になったのか
「ライオンの街」と聞けば、誰しもが「かつてライオンがいたのだろう」と想像してしまうと思うが、実際にはシンガポールにライオンが生息していた記録はない。
ではなぜ「ライオンの街」と名付けられたのだろうか? これには諸説ある。
1. 11世紀頃、スマトラ島の王族・サン・ニラ・ウタマがこの島に向かって航海していた時に、海が嵐で大変荒れた。そこで王冠を海に投げ入れると嵐が静まり、なんとか上陸することができた。その時に不思議な生き物に遭遇し、現地人にライオンであると教えられた。(しかし実際は虎だったともされている)
2. 11世紀初頭、この島を襲った東インドの王が、理由は不明だが「獅子の街」と名付けた。
3. 12世紀、この島を攻略したスマトラの王が、王家の反映の為に「獅子の力」にあやかろうとして名付けた。
4. 「シンガ」は「獅子」の他に「寄港」も意味し、単に寄港地という一般名称だった。
このように諸説あるが、シンガポールではサン・ニラ・ウタマによって建設され、この名がつけられたとする説が通説となっている。
マーライオンの下半身はなぜ魚なのか?
1964年、シンガポールで政府観光局が設置され、ヴァン・クリーフ水族館の館長レイザー・ブルーナーによりマーライオンは作られた。
彼は伝承に残るライオンと海のイメージを組み合わせて、マーライオンのデザインを考案したのである。
当初は彫刻ではなく「シンガポール観光局のロゴマーク」として利用されており、ロゴも1997年まで使用されていた。
ちなみに人魚のようなマーライオンであるが、性別は雄であるという。
このように、元々生息していなかったライオンに加え、途中から人魚属性も加わり謎の生物として誕生したマーライオンであるが、かつては「世界三大がっかり観光名所」の一つとして数えられたが、現在では移転、修復されて徐々に人気を取り戻している。
参考文献 : 地理の話大全
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