人は、容易に到達できない謎めいた場所にロマンを感じる。
探検家たちは、その浪漫を求めて危険を顧みず、地球のあらゆる危険な場所を探検してきた。
深海もその一つであり、現代に至るまで多くの発見がなされたが、依然として多くの謎が残されている。
今回は、南シナ海で発見された、沈没船の謎に迫っていきたい。
発見された2艘の沈没船
中華人民共和国国家文物局は、2023年5月21日に南シナ海北西の深海(深さ1500メートル)で2艘の沈没船を発見したと正式に発表した。
これらの沈没船は「南海西北陸坡1号」と「南海西北陸坡2号」と名付けられた。
今回の調査では、中国の深海探査船が大いに活躍した。
この深海探査船は500日の間に63回の有人潜水を行い、542時間の作業を実施。さらに、無人潜水においても3回の潜水で928件の物品を海面へ引き上げた。
これらの物品は非常に良好な保存状態であり、船は明朝時代のものであることが判明した。
沈没からすでに500年以上が経過していることになる。
1号船には多くの陶器製品が積まれていた。
沈没の衝撃や海流の影響で、物品は1万平方メートル以上に散乱していたが、その保存状態は非常に良好だったという。
陶器の食器は山のように積み重なり、美しい絵付け模様が鮮明に見えるほどであった。
この陶器の多さから、1号船は陶器を輸出する商船であったことが判明した。
さらに後の調査で、陶器製品の中に「珐華」という陶器の装飾方法が使われていたことが確認された。
これらのことから、1号船の年代は明正徳時代(1506年〜1521年)と特定されている。
1号船の近くで発見された2号船には、大量の木材が積まれていた。その他の物品は見つからなかったため、木材を海外から輸入していた商船だったと推測されている。
この2艘の沈没船は非常に近い場所にあり、約10海里の距離で沈んでいた。
この時の調査で、これらの船がほぼ同じ時代、同じ時期に沈没した可能性が高いことが明らかになった。
どこへ向かっていたのか?
物品を積んだまま沈没していたことから、この2艘の船がどこを出発し、どこへ向かっていたのかが疑問となる。
1号船は広東省または福建省の港を出発し、海南島沿岸を経由して南シナ海北西で沈没。目的地は現在のマレーシアにあるマラッカであったと考えらている。
2号船はマラッカで木材を積み、ベトナム中南部を経由して広東省または福建省に戻る途中で、沈没したと推測されている。
積まれていた木材はカキノキ属の「コクタン」で、明朝時代には家具や弦楽器の材料として貴族に好まれていた。
おわりに
1号船の陶器に見られる「珐華」技法や、2号船に積まれていた「コクタン」は、歴史的に非常に興味深い発見である。
これらの発見は、明朝時代に海上シルクロードが繁栄していたことや、他国との交流が活発であったことを示している。今後の研究結果が期待されている。
参考 :
国家文物局
文化新觀察|見證海上往來 填補考古空白
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