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【京都の名庭園を訪ねる】 大本山妙心寺塔頭・桂春院、大心院、退蔵院の庭園鑑賞に行ってみた

京都を旅する魅力の一つに、社寺・名所にある庭園を訪ねる旅があります。京都には各時代に作られた数多くの庭園があり、種類も坪庭・枯山水・池泉廻遊式などバラエティーに富んでいます。

各々の庭園には造られた時代の歴史や文化が反映され、庭園ゆかりの人々の想いが込められているのです。

今回は、そんな庭園を鑑賞しに、京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺(みょうしんじ)の寺域にある、3つの塔頭寺院「桂春院」「大心院」「退蔵院」を訪ねました。

4つの露地庭と枯山水がある「桂春院」

画像:桂春院(撮影:高野晃彰)

画像:桂春院(撮影:高野晃彰)

京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている妙心寺へは、JR 京都駅からJR嵯峨野線に乗車して花園駅で下車。丸太町通りを渡れば、目の前には「大本山妙心寺」の名が掲げられた総南門が。駅から南門まで徒歩約5分で到着します。

先ずは妙心寺境内を奥に進み、禅寺らしい4つの露地庭と枯山水がある「桂春院」へ。

同寺は、織田信長の孫・津田秀則が創建。のちに旗本の石河貞政が亡父の追善供養のために方丈・書院・茶室などを設け、両親の法名の一字である「桂」と「春」をとって「桂春院」と改称した寺院です。

方丈の三方にある4つの庭は、それぞれ「清浄の庭」「思惟の庭」「真如の庭」「侘の庭」と称されます。

画像:清浄の庭の石組。西南の隅に巨岩で枯滝を表現する(撮影:高野晃彰)

画像:清浄の庭の石組。西南の隅に巨岩で枯滝を表現する(撮影:高野晃彰)

方丈の北側にある「清浄の庭」は、白砂で渓流、巨岩・巨石で滝を表現する枯山水。心の清浄を願い造られた庭です。

方丈東に位置する「思惟の庭」は、方丈下の窪地を利用して茶室・既白庵の外露地として作られた苔庭。築山や石を配し、苔の上に置かれた飛び石は、書院前の既白庵の露地庭「侘の庭」へ。

十六羅漢石や、中央の礎石を座禅石に見立てて、まるで仙境に遊ぶような趣きを表現。

画像:思惟の庭。既白庵の外露地で仙境に遊ぶ趣を表現(撮影:高野晃彰)

画像:思惟の庭。既白庵の外露地で仙境に遊ぶ趣を表現(撮影:高野晃彰)

質素で清浄感に溢れ、飛び石の配置や灯籠の佇まいが絶妙なバランスをみせます。

既白庵は寛永8(1631)年に近江長浜城から移築された、千宗旦四天王の藤村庸軒好みの茶室です。

画像:侘の庭。書院から飛び石伝いに既白庵を通じる(撮影:高野晃彰)

画像:侘の庭。書院から飛び石伝いに既白庵を通じる(撮影:高野晃彰)

南側の「真如の庭」は低地を利用して作られ、方丈手前に刈り込みを配し、さらにその先に段差を付けた苔庭。

杉苔の中にツバキやカエデの低木を植え、十五夜の満月を表現するという小さな石を七・五・三に配置します。

時間が許せば、方丈の縁に腰を下ろし、静寂の中で、心静かにゆったりとした気持ちで観賞したい庭です。

画像:真如の庭。手前に刈込を配し、段差を付けた苔庭が広がる(撮影:高野晃彰)

画像:真如の庭。手前に刈込を配し、段差を付けた苔庭が広がる(撮影:高野晃彰)

苔の美しさで知られる名園がある「大心院」

画像:阿吽の庭。苔と白砂、17の石が織り成す鮮やかな調和はまさに阿吽の呼吸(撮影:高野晃彰)

画像:阿吽の庭。苔と白砂、17の石が織り成す鮮やかな調和はまさに阿吽の呼吸(撮影:高野晃彰)

続いては、総南門方面に戻り「大心院」に向かいます。

同寺は、1479(文明11)年、室町幕府の管領・細川政元が、景堂和尚に帰依して創建。その後、細川幽斎により同地に移築・復興。その嫡男・忠興が保護に務め、現在の本堂は、蒲生氏郷の孫・忠知が建立しました。

書院の前に広がる枯山水庭園は、「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家・中根金作の代表作で、「阿吽の庭」と呼ばれ、苔の美しさで定評があります。

画像:阿吽の庭の東の築山。多数の樹木を配し、優雅な雰囲気を漂わせる(撮影:高野晃彰)

画像:阿吽の庭の東の築山。多数の樹木を配し、優雅な雰囲気を漂わせる(撮影:高野晃彰)

東西に細長い長方形の地割で、東南部分にスギ苔で覆った築山を配し、三尊手法による石組を中心に左右に数個の石を置き、築山の下の白砂には、州浜形の曲線を描いて変化を持たせます。

この他、本堂の南庭は、苔地と白砂の州浜形の地割があり、二列の長方形の石を一直線に配した斬新さが特徴です。

画像:切り石の庭。本堂南庭で一直線に配された白砂と長方形の石はモダンさを感じさせる(撮影:高野晃彰)

画像:切り石の庭。本堂南庭で一直線に配された白砂と長方形の石はモダンさを感じさせる(撮影:高野晃彰)

大心院」は、宿坊も行っています。

「阿吽の庭」に面した部屋もあるので、明るいうちチェックインし庭園を眺めつつ、静かな夜を過ごしてみるのも良いでしょう。

室町期の枯山水と昭和の名園を有する「退蔵院」

画像:狩野元信作の伝承がある方丈南面の庭。各所に石を配した絵画的な枯山水(撮影:高野晃彰)

画像:狩野元信作の伝承がある方丈南面の庭。各所に石を配した絵画的な枯山水(撮影:高野晃彰)

最後は、妙心寺塔頭の中でも屈指の歴史をもつ「退蔵院」を訪ねました。

同寺は、藤原秀郷の子孫で越前を領有した波多野出雲守重通が、1404(応永11)年に創建したのがはじまりで、のち日峰宗舜により妙心寺山内に移されました。一時期、荒廃したものの、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉により中興された寺院です。

「退蔵院」の境内には良く手入れされた趣の異なる庭園があります。中でも、「方丈南面の庭」と、昭和の名園として知られる「余香苑」が有名。

「方丈南面の庭」は、室町時代の画聖・狩野元信の作庭と伝えられる貴重な枯山水。

元信らしく絵画的な趣の観賞本位の庭で、竹藪・樹木・石組・築山などにより深山幽谷を表現します。

画像:余香苑。最も低い位置から鑑賞すると全体の構成がよくわかる(撮影:高野晃彰)

画像:余香苑。最も低い位置から鑑賞すると全体の構成がよくわかる(撮影:高野晃彰)

余香苑」は、中根金作が3年もの歳月を費やして完成させた昭和の庭園。

大刈込みの間から三段落ちの滝が、手前の池に流れ落ちる池庭で、深山の大滝を見るような風情を感じさせます。

伝統的な造園技術を駆使し、正面から観賞することで奥域が生まれ、庭園全体が雄大に見える工夫が加えられている中根の代表的な庭です。

終わりに

今回訪ねた3つの塔頭寺院がある妙心寺には、多くの歴史的建造物が広い境内に点在。そのほとんどは、内部の拝観が叶いませんが、境内を歩くとまるで江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気が味わえます。時間が許せば、境内散策を楽しんでみましょう。

※参考文献
高野晃彰編 京都歴史文化研究会著『歴史と文化を愉しむ 京都庭園ガイド』メイツユニバーサルコンテンツ 2010年3月

 

高野晃彰

高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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