神話、伝説

『悪魔にされてしまった』邪教として異端視された多神教の神々たち

画像 : 神と悪魔は表裏一体 pixabay cc0

世界各地には、さまざまな民族によって語り継がれてきた多種多様な神々の伝承が存在する。

しかし、異なる神を信じる者同士の間では、時に対立が生じ、互いの神を侮辱し合うような事例も少なくなかった。
とりわけ、一神教の信者が他宗教の神々を「悪魔」とみなしてその尊厳を否定する行為は、古代において頻繁に見られた。

今回は、そうした異教徒の手によって「堕落」「悪堕ち」させられてしまった神々について紹介していきたい。

1. バエル

画像 : バエル『地獄の辞典』より public domain

バエル (Bael) は、ヨーロッパに伝わる悪魔である。

中近世頃に流行した魔術書、いわゆる「グリモワール」にて、その記述がみられる。
そのうちの一つである『レメゲトン』の第一部『ゴエティア』によれば、バエルは東方一帯を支配する強大な魔王であり、66の軍団を従えているとされる。

フランスの作家コラン・ド・プランシー(1793~1881年)の著作『地獄の辞典』において、バエルは蜘蛛の胴体に、猫・カエル・王冠を被った人間の頭が生えているという、極めて奇怪でグロテスクな姿で描かれている。

バエルの起源は、はるか古代のカナン(地中海・ヨルダン川・死海の間の地域)や、その周辺地域において信仰されていた、バアル(Baal)という神にあるとされている。

画像 : バアルの像 public domain

バアルは雨と嵐の神であり、大地を肥やす農耕神として崇められていた。

だがカナンの地に、ユダヤ教徒のイスラエル人たちが入植をしてくると、古き信仰は徹底的に弾圧されることとなった。
バアルは異教の下賤な神だと決めつけられ、信者は惨殺され、神殿はことごとく破壊されてしまったのだ。『※ヨシュア記』

現在までに残る、神としてバアルの情報は極めて断片的なものでしかない。

やがてバアルは、「バエル」という名の悪魔へと姿を歪められてしまった。

異教の神を悪と断じ、滅ぼすことを正義とする勢力からすれば、まさに思惑通りの結末だったといえるだろう。

2. ギリメカラ

画像 : ブッダに襲い掛かるマーラ&ギリメカラ 草の実堂作成(AI)

ギリメカラ(Girimekhala)は、スリランカの伝承に登場する象である。

その全長は250由旬(約1750m)ほどもある、途方もない巨体だとされている。

ギリメカラは、上座部仏教の専門言語「パーリ語」により記された古代の詩『Buddha-jaya-maṅgala Gāthā』において、言及されている。

それによると、ある時、仏教の開祖「ブッダ」は、悟りを開くために瞑想をしていた。
そこへ煩悩を司る大魔王「マーラ」が、ギリメカラに乗ってブッダに襲いかかってきたという。

しかし、ブッダがまったく動じなかったことで、その雄大さと寛大さにマーラとギリメカラは恐れをなし、退散したとされる。

別の伝承によれば、やはり瞑想中のブッダを、マーラとギリメカラが襲撃した。
だがブッダは静かに大地に祈りを捧げると、なんと大地そのものが「ブッダは凄まじい修行を積んでいる。私が保証する」と語り出した。

ギリメカラは、そのあまりの徳の高さに戦意を喪失してブッダに跪き、乗獣を失ったマーラは、すごすごと敗走していったという。

ギリメカラの原型は、インドのヒンドゥー教に語られる、聖なる象「アイラーヴァタ」にあるとされている。
アイラーヴァタは、偉大なる神「インドラ」のヴァーハナ(神が乗る動物のこと)であり、インドではともに神聖視されている。

しかし、仏教が根強いスリランカと、ヒンドゥー教の根強いインドでは宗教的に対立することが度々あり、インドの神々が悪神として描写されることも、スリランカでは珍しくなかった。

聖なるアイラーヴァタは悪しきギリメカラとされ、ついでにその背に乗る神も、インドラからマーラへと変更されたというわけである。

3. ザクセン人の洗礼の誓いに記された悪魔たち

かつてドイツ北部には、「ザクセン人」と呼ばれる民族が存在していた。

彼らはスカンディナビア半島に伝わる土着の神々を信仰していたが、8世紀にフランク王国の攻撃に晒され、徹底的な弾圧を受けた。
ザクセン人はキリスト教への改宗を強制され、これに逆らう者は容赦なく処刑された。

いわゆる、ザクセン戦争(772~804年)である。

このことを記した古書物の一つに、『ザクセン人の洗礼の誓い(Sächsisches Taufgelöbnis)』がある。

画像 : 『Sächsisches Taufgelöbnis』の写本の複製 public domain

この文書には、「自らの信仰を捨て、キリスト教の神を信仰せよ」と強要する文言が並んでいる。

その中で名指しで悪魔と断じられている土着の神々が、ウォーデン(Wōden)、ズネル(Thunær)、サクスノート(Saxnōt)の三柱である。

では、それぞれの神について順に解説していこう。

ウォーデン

画像 : オーディン public domain

ウォーデンとは、北欧神話における主神・オーディンに相当する神である。

知恵と詩の神であり、ルーン文字を発見した逸話で知られる。
世界樹ユグドラシルに自らを吊るし、槍で身体を貫いて9日間苦しんだ末、啓示を得たとされるその姿は、苦行を通じて真理に至る求道者そのものだった。

しかしキリスト教的視点では、こうした神秘主義や異なる形の知恵の象徴は、しばしば「悪しき術」や「異端」として扱われた。

ウォーデンもまた、その典型例として悪魔に落とされたのである。

ズネル

画像 : トール public domain

ズネルは、雷神トールにあたるとされる。

雷と力の象徴であり、巨人族との戦いで知られる戦神でもある。
オーディン以上に庶民的な人気を集めた神であり、民衆の間では守護神として崇拝されていた。

だが、自然現象や武力の象徴を担うズネルは、キリスト教の「唯一神に従う平和な民」の理想とは相容れず、「野蛮で危険な異教の神」として断罪された。

サクスノート

画像 : テュール public domain

サクスノートは、ザクセン人にとって最も重要な民族神の一柱である。

北欧神話では、隻腕の戦神テュールと同一視されることがある。
戦場での正義と規律を司る神であり、狼フェンリルに右腕を噛みちぎられるという自己犠牲の逸話を持つ。

その勇気と誠実さは本来称賛されるべきものであったが、キリスト教的価値観のもとでは、他の神と同じく異教の象徴として排除された。

このように神と悪魔は、信じる側の視点によってその姿を大きく変える。

ある地では崇められた神が、別の地では「悪魔」として葬られる…それは、人類の宗教史が辿ってきた、もう一つの真実なのである。

参考 :『ゴエティア』『地獄の辞典』『ザクセン人の洗礼の誓い』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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