西洋史

なぜ民は王に触れたがったのか?中世ヨーロッパで信じられた「ロイヤルタッチ」とは

中世ヨーロッパの王たちは、剣や冠だけでなく「奇跡の手を持つ」と信じられていたことをご存じでしょうか。

王が病人に触れることで病を癒すと考えられていた、この神秘的な儀式は「ロイヤルタッチ」と呼ばれ、数百年にわたりイングランドとフランスの王朝で行われてきました。

宗教、王権、医学、そして民衆の希望が入り混じったこの儀式は、単なる迷信と片づけられるものではなく、王の正統性と神聖性を人々に印象づける舞台でもあったのです。

今回は、このロイヤルタッチの起源から最盛期、そして消滅に至るまでを、歴史上の名だたる王たちの足跡をたどりながらご紹介していきます。

ロイヤルタッチの起源

画像 : ロベール2世 (フランス王) public domain

「ロイヤルタッチ」が文献に登場するのは11世紀からですが、その起源はさらに古いと考えられており、諸説あります。

フランスでは、カペー朝のロベール2世(敬虔王、在位996〜1031)が、最初に癒しの力を行使したと伝えられています。

ただし、これは後世の修道士や年代記作者による記録にすぎず、確実な史料とは言えません。
その伝承は12世紀に広まり、ルイ6世やルイ7世といった後代の王も同じ力を持つと信じられるようになり、やがて儀式として定着していきました。

とりわけ有名なのが「聖王」ルイ9世(在位1226〜1270)です。

画像:ルイ9世(エル・グレコ画) public domain

ルイ9世は、第7回・第8回十字軍の遠征で知られ、篤い信仰心を持ち、民に深く愛された王でした。

彼は当時、ヨーロッパの人々を広く悩ませた「王の悪」と呼ばれた首や皮膚に腫れをつくる病(結核性頸部リンパ節炎)などで苦しむ患者らに触れ、「主があなたを癒されんことを」と祈りをささげました。

その光景は奇跡として語り継がれ、彼の死後、教会はルイを聖人に列しました。

一方、イングランドでは、エドワード懺悔王(在位1042〜1066)が癒しの力を示したと信じられました。

彼もまた死後に聖人とされ、後の王たちがロイヤルタッチを行う際の重要な前例となります。

こうしてフランスとイングランドの両国で、王が「癒しの手」を通じて、神に選ばれた存在であることを示す伝統が築かれていったのです。

癒しの儀式と民衆の期待

ロイヤルタッチの儀式は、単なる象徴ではありませんでした。

それは、王と民衆が直接向き合う場であり、ときに何百人もの病人が王を求めて集まる壮観な催しとなったのです。

儀式は厳粛に行われ、病人は教会や宮殿に集められました。

司祭が祈祷を唱え、王は一人ひとりに手を触れ、首に「タッチピース」と呼ばれる金貨を掛けました。

画像:ヘンリー6世のタッチピース wiki c Classical Numismatic Group,Inc.

イングランドでは大天使ミカエルが竜を退治する図柄の「エンジェル金貨」が用いられ、やがて専用の小型メダルが鋳造されました。

これらの金貨は「癒しの印」として、生涯大切にされたと伝えられています。

イングランドのヘンリー7世(在位1485〜1509)は、王位の正統性を示すためにロイヤルタッチを制度化しましたが、実施規模は小さく、行わない年もありました。

本格的に大規模化するのは後の時代で、チャールズ2世は年間四千人を超える病人に触れたことで知られています。

一方、フランスでは、ルイ14世(在位1643〜1715)の時代に、儀式が壮麗に行われるようになりました。

画像 : 病の人を見るルイ14世 public domain

彼は「太陽王」として絶対王政を確立した人物であり、宗教と王権を結びつける巧みな演出家でもありました。

1680年の復活祭には約1600人の病人に触れたと伝えられ、長時間にわたり「王が人々を癒す」姿を示しました。

こうした演出は、王の神聖性を強めると同時に、民衆統治の技術としても機能していたのです。

揺らぐ信仰と変化の時代

しかし、17世紀から18世紀にかけて、ロイヤルタッチは次第に陰りが見え始めます。

その背景には、宗教改革と科学の勃興がありました。

イングランドでは16世紀にヘンリー8世がローマ教会と断絶し、イングランド国教会を成立させたことで、「王の神聖性」という考え方が再定義されました。

さらに、ピューリタンの台頭と、1642年に始まった清教徒革命は、王権神授説を根本から問い直すことになります。

画像 : 王権神授説に基づくチャールズ1世の肖像画 public domain

そして、ロイヤルタッチを行っていたイングランド王の一人、チャールズ1世が清教徒革命で敗れ、1649年に処刑されると、儀式も一時的に途絶えました。

しかし1660年にチャールズ2世(在位1660〜1685)が王政復古を果たすと、ロイヤルタッチも復活します。

亡命中にフランスでルイ14世の儀式を見ていた彼は、即位後に積極的に取り入れ、在位中に延べ9万2千人以上、年間4千人を超える病人に触れたと記録されています。

これは慈善行為であると同時に、王政の正統性を再び人々に印象づける手段でもありました。

一方で17世紀後半には、近代医学が力をつけ始めていました。

感染症や結核といった病気の原因が、神の意志ではなく自然現象にあると理解されるようになり、王の手による癒しは次第に迷信と見なされるようになっていったのです。

終焉とその後に残されたもの

画像:ジョージ1世 public domain

18世紀に入ると、ロイヤルタッチは次第に王家の儀礼から姿を消していきました。

イングランドのジョージ1世(在位1714〜1727)はドイツ出身のハノーヴァー朝の王で、この慣習を全く信じていませんでした。

彼は儀式の廃止を決断し、それ以降、イングランドでは正式な形でロイヤルタッチが行われることはなくなります。

フランスでは、ルイ16世が1775年の戴冠式で一度だけロイヤルタッチを行い、約2400人に触れました。
しかし、その後は儀式を再開せず、以降フランスでも途絶えていくこととなります。

最後にこの儀式を行ったのは、1825年に即位したシャルル10世でした。

彼は戴冠式後、伝統に倣って121人の患者に触れましたが、その頃にはすでに「懐古的な行為」と見なされ、多くの人々は信仰よりも懐疑の目で儀式を見ていました。

しかしロイヤルタッチは、単なる迷信と片づけられるものではありませんでした。
そこには宗教儀礼としての重みと、王権の正統性を示す政治的な意図が込められていたからです。

人々にとっても、王が自分たちの苦しみに直接手を差し伸べてくれるという、希望の象徴だったのです。

病を癒す手は、剣や王笏に並ぶもうひとつの「支配の道具」であったと言えるでしょう。

参考 :
『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』
『The Royal Touch: Sacred Monarchy and Scrofula in England and France, Routledge & Kegan Paul, 1973』他
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 野心的だった青年が「神の声」を聞いて人生が一変 【聖フランチェス…
  2. 【冷戦はいつから始まった?】 ヤルタ会談から原爆投下まで、米ソ対…
  3. 【ヤマタノオロチ伝説】8つの頭を持つ恐ろしい大蛇とスサノオの壮絶…
  4. 『腫れ物の神様からがん封じへ』東大阪のパワースポット”…
  5. 【その生き様が表れる】戦場で壮絶に散った戦国武将たちの辞世の句
  6. 【べらぼう前史】吉原遊廓はいつ、どのように生まれた?その誕生秘話…
  7. 漢帝国を陰で操った「最凶の頭脳」陳平 ~韓信を罠にかけ、呂一族を…
  8. デュ・バリー夫人「ギロチン台で泣き叫んだルイ15世の愛人」

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

現皇室の血をつないだ知られざる女性「手白香皇女」秘められた古墳の謎

皇統の継承に大きな働きをした皇女日本史を通観すると、そこには時代ごとに大きな功績を残した…

源実朝は聡明で霊感があった 「若くして暗殺された三代目鎌倉殿の実像」

三代目鎌倉殿・源実朝(みなもとのさねとも)は、母・北条政子や叔父・北条義時に隠れた大人しい存在で、京…

纏足(てんそく)とはなにか 【女性の足を小さくする中国の奇習】

纏足とはなにか纏足(てんそく)とは、中国南唐後主の時代に宮廷に仕える女性から始まったとさ…

平家討伐「第一の矢」を放った佐々木経高。北条泰時が見届けたその壮絶な最期が泣ける【鎌倉殿の13人】

……經高者進於前庭。先發矢。是源家征平氏最前一箭也。【読み】経高は前庭に進み先ず矢を発つ。こ…

中秋節とは 【中国や台湾にもお月見があった?】

中秋節とは?中秋節とは、東アジアの伝統的な行事のひとつで。日本でいうところのお月見である。日…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP