三國志

張飛は本当に脳筋だったのか?正史『三国志』が語る意外な実像

「乱暴者・張飛」というイメージ

画像 : 桃園三兄弟(劉備、関羽、張飛)public domain

『三国志』といえば、劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟として結ばれ、乱世を駆け抜けた「桃園の誓い」の物語を思い浮かべる人は多いだろう。

小説『三国志演義』や芝居、漫画やゲームに至るまで、この3人は中国史上もっとも有名なトリオとして描かれてきた。

その中で張飛は、黒い顔、逆立つ髭、常に怒鳴り、酒に酔い、蛇矛を振るう「粗暴な猛将」として登場する。

三国志の英雄たちの中でも、これほど荒々しい印象を与える人物はいないだろう。

しかし、その荒々しさは、後世の創作が誇張しただけではない。

曹操陣営の参謀・程昱や郭嘉は、劉備の勢力を評して「関羽、張飛はともに万人敵である」と述べている。

張飛は同時代の敵から見ても、1人で1万の兵に匹敵するほどの危険な武将だったのだ。

張飛の逸話でもっとも有名なのは、劉備の逃走を援護するため、長坂の一本橋で曹操軍を食い止めた場面である。

画像 : 張飛が長坂の橋で魏軍を睨み退ける場面 月岡芳年 public domain

長坂のほとり。逃走する劉備一行の背後から、曹操の騎兵が土煙を巻き上げて迫っていた。

その退路にかかる一本の橋に、大男の張飛が立ちはだかる。川を背にして矛を横たえ、目を見開き、声を張り上げた。

「我こそ張益徳なり!来たらば、共に決死の戦いをせよ!」

曹操軍は足を止め、誰ひとり橋を渡ろうとしなかった。

この場面は『三国演義』や講談、芝居、映像作品によって繰り返し強調されるうちに、やがて張飛そのものを表すイメージとして定着していった。

だが、張飛は本当に粗暴で武力一辺倒なだけの人物だったのだろうか。

『三国志』が描く張飛の本来の人物像

画像 : 張飛(明代絵画、原 故宮南薰殿蔵) public domain

張飛の実像を探るためには、まず物語ではなく史書に立ち返らねばならない。

その中心にあるのが、正史『三国志』である。

編者は、蜀漢に仕えたのち西晋の官僚となった陳寿であり、張飛の伝記は関羽・馬超・黄忠・趙雲とともに「関張馬黄趙伝」として一括されている。

そこに描かれた張飛は、演義のような常時暴れ回る人物ではない。

確かに勇猛で、長坂で橋を押さえ、敵を退かせた逸話も記されている。しかし同時に、彼は各地の太守として軍と土地を預かる立場にあり、単なる前線の突撃将軍ではなかった。

とりわけ注目すべきなのは、陳寿が張飛をどう評価しているかである。

伝記の末尾に置かれた人物評で、陳寿は関羽と張飛を並べてこう記している。

羽善待卒伍而驕於士大夫,飛愛敬君子而不恤小人

意訳 : 関羽は兵卒を厚く遇したが、士大夫を侮った。張飛は君子を愛敬したが、下の者をいたわらなかった。

『三國志』蜀書六「關張馬黃趙傳」より

ここでいう「君子」とは、道徳用語ではなく、実際には士大夫、すなわち教養ある官僚や知識人の層を指す言葉である。

つまり、関羽は兵卒には優しいが文官層を軽んじるタイプで、張飛は逆に、兵には苛烈で文官層たちと親しく交わる武将だったと、正史の編者自身が書き残しているのである。

この一文だけでも、『三国志演義』が描く粗暴な張飛像とは大きく異なることがわかる。

張飛は少なくとも知識人層を敬い、その評価を強く意識して行動する将であったのである。

張飛の知的さ

画像 : 頤和園長廊「漢中王・劉備」 Shizhao CC BY-SA 3.0

「張飛は君子を愛敬した」という記述は、単なる性格評ではない。

史料を丁寧に追うと、それが張飛の行動や評価の中で、具体的なかたちを取って現れていることが分かる。

たとえば建安19年(214年)の益州攻略の際、張飛は巴郡太守の厳顔を生け捕りにした。

しかし厳顔は降伏を拒み「この州には断頭将軍はいても、降将は存在しない」と言い放った。すなわち首を斬られる将はいても、敵に屈する将はいないという意味である。

張飛は激怒して斬首を命じるが、厳顔が少しも顔色を変えないのを見ると、その胆力を高く評価し、釈放して賓客として遇したという。

敵であっても、気骨と節義を示した者を敬う。この振る舞いは、力でねじ伏せるだけの武人とは異なる。

また建安23年(218年)、張飛は、巴西太守として魏の名将・張郃を迎え撃った。

50日以上に及ぶ対峙ののち、張飛は山道の狭さを利用し、別働隊で張郃軍を挟み撃ちにして、その大軍を総崩れに追い込んだ。

『正史』ではこの戦いの結果を「巴土獲安」と書く。すなわち住民を漢中へ連行しようとする魏軍の企図を挫き、地域を安定させたという意味である。

これは単なる武勇ではなく、地形と補給と住民支配を見据えた軍事行政の成功だった。

さらに張飛は、後世に書を残した人物としても記憶されている。

明代屈指の学者である楊慎(ようしん)は、『升庵詩話』の中で以下のように記している。

張飛書

涪陵有張飛《刁斗銘》,其文字甚工,飛所書也。

意訳 : 張飛の書。

涪陵には張飛の『刁斗銘』があり、その文字はきわめて巧みで、張飛が自ら書いたものである。

楊慎『升庵詩話』巻10より

つまり張飛は、文字が非常に上手で、書の才能に秀でていたということである。

張飛の芸術的側面は、書だけにとどまらない。

後世の地方志や文人の筆記には、張飛がとくに「美人画」を得意としたという伝承も残されている。

涿州や巴蜀の寺院には、女媧像や仏画を張飛の筆とする言い伝えも残されており、そこには粗暴な猛将というより、繊細に筆を操る芸術的な才能を備えた人物像が浮かび上がる。

武で名を成し、地を治め、節ある人物を敬い、書を操る。

張飛は猛将であると同時に、教養と統治能力を併せ持つ将でもあったのだ。

なぜ張飛だけが、野蛮な猛将にされたのか

画像 : 呂布と戦う桃園三兄弟(劉備、関羽、張飛)public domain

では、なぜ張飛が、後世において「乱暴で知性のない猛将」として定着してしまったのか。

最大の理由は、羅貫中の小説『三国志演義』の構造にあるだろう。

羅貫中の描いた三国世界では、劉備は仁、関羽は義、張飛は勇という役割分担が与えられた。
3人の結義を物語として際立たせるためには、それぞれの性格を極端に単純化する必要があった。

その結果、張飛の知的で芸術的な側面は削ぎ落とされ、「怒鳴る勇将」という一つの記号に変えられたのである。

もう1つの要因は、張飛の死に方にある。

張飛は部下の張達と范彊(はんきょう)に殺された。
これは『正史』に明記された事実であり、劉備も生前から張飛に対して、部下に対する苛酷な振る舞いを警告していた。

『演義』では、この悲劇を「粗暴な性格ゆえの自滅」として処理する方が分かりやすかった。

軍政上の失敗や組織運営の問題として描くより、酒と怒りに身を任せた末の破滅とした方が、読者の理解と感情に訴えやすいからである。

さらに関羽の神格化も、張飛像を歪めた一因であろう。

画像 : 関聖帝君 草の実堂編集部撮影

関羽が義の神として崇拝されるにつれ、劉備の結義の相棒として張飛も並べて語られるようになるが、その際、張飛は関羽を引き立てるための対照役として、粗野で荒々しい人物に押し込められた。

関羽が高潔であればあるほど、張飛は下品で野性的である方が物語は映える。

こうして、史書の中に確かに存在した張飛の知性や統治者としての側面は、次第に忘れられていった。

張飛は、実在した人物であると同時に、後世の想像力によって作り替えられた人物でもあったのだ。

参考文献 : 陳寿『三国志・関張馬黄趙伝』楊慎『升庵詩話』他
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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