
画像 : 郡山城天守台からの眺望 ほっきー CC BY-SA 4.0
奈良県の大和郡山は、現在では金魚の町として知られています。
この地は戦国時代から江戸時代にかけて大和の政治の中心でもありました。
そこに築かれていたのが郡山城です。
今回は郡山城を実際に訪れ、筒井順慶や豊臣秀長、そして江戸時代に郡山城を治めた柳澤家など、この地に関わった人物とともに歴史をたどってみたいと思います。
戦国時代の奈良・大和と郡山城

画像 : 松永久秀 public domain
戦国時代、奈良・大和では筒井順慶と松永久秀が勢力を争っていました。
松永久秀は筒井順慶や三好三人衆との戦いの中で、1567年の東大寺大仏殿の戦いを引き起こし、大仏殿が焼失する事態となったことでも知られています。
その後、織田信長が勢力を拡大すると、筒井順慶は信長に従い、大和で信長方の勢力として久秀と対立するようになりました。
やがて松永久秀は信長に降伏し、自ら築いた多聞城(たもんじょう)を明け渡して信貴山城へ退きます。
多聞城には信長の家臣である原田直正が入り、大和支配を任されました。
しかし1577年、再び信長へ反旗を翻した久秀は信貴山城で織田軍に包囲され、自害して生涯を終えます。
その後、1580年に信長の一国破城令が出されると、筒井順慶は筒井城を廃し、大和北部の郡山城へ本拠を移しました。

画像:筒井順慶 public domain
郡山城は戦国時代以前からこの地に存在していた城で、築城時期や築いた人物ははっきりしていませんが、10世紀後半に郡山衆が築いたと伝えられる「雁陣の城」にさかのぼるとされています。
順慶はこれを拡張して大和支配の新たな拠点としました。
こうして信長による大和支配が確立しましたが、1582年、本能寺の変で信長は急死します。
その後、筒井順慶の養子である筒井定次が郡山城を継ぎ、大和支配を引き継ぎました。
そして豊臣秀吉が天下統一を進めると、郡山城の城主であった筒井定次は伊賀へ国替えとなり、代わって秀吉の弟の豊臣秀長が郡山城に入ります。

画像 : 豊臣秀長 public domain
秀長の時代になると郡山城は大きく整備され、大和支配の拠点として発展していきました。
ただし秀長は常に郡山城に居住していたわけではなく、京都や大坂を拠点としながら、必要に応じて郡山城に入って政務を執っていたと伝えられます。
豊臣政権の時代になると、武家と奈良の寺社勢力との対立は次第に収まり、大和は比較的安定した時代を迎えていきました。
その後、関ヶ原の戦いによって豊臣政権の勢力が大きく後退すると、当時郡山城主であった増田長盛は改易され、城の建物の多くが伏見城などへ移されます。
さらに大坂夏の陣で徳川家が勝利すると、徳川家の譜代大名である水野勝成が郡山城に入城し、幕府のもとで城の修復や整備が進められました。
その後、1724年(享保9年)に柳澤吉里が城主となって以降、明治維新まで柳澤家が郡山城を居城として治め続けました。
現在の大和郡山と郡山城跡

画像:郡山城追手門 筆者撮影
大和郡山市といえば、先述したように現在では「金魚の町」として全国的に有名です。
しかし戦国時代から江戸時代に至るまで、奈良・大和における激動の地として歴史を刻んできたのが郡山城であり、大和郡山はその城下町として発展してきました。

画像:郡山城追手東隅櫓 筆者撮影
郡山城は明治維新後、取り壊されましたが、昭和52年に追手門、昭和59年には追手東隅櫓、多聞櫓、昭和62年に追手向櫓が復元されました。
さらに平成25年から29年にかけて、天守台の石垣が修復と展望施設が整備されました。
こうして天守はないものの、お城の雰囲気を取り戻し、郡山城は日本百名城として、また桜の名所として市民などに愛される城跡となっています。

画像:郡山城天守台展望施設 筆者撮影
一方、郡山城の東側に広がる城下町であった大和郡山の市街地は、碁盤目状に区画整理された町割りと、古い町家、そして職業や職人の名を冠した街の名前に昔の名残が感じられます。
また、街中には豊臣秀長の菩提寺である春岳院もあります。
柳澤神社と柳澤文庫

画像 : 柳澤吉保(やなぎさわ よしやす)public domain
整備された郡山城の石垣のすぐ南側には、五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳澤吉保(やなぎさわ よしやす)をご祭神とする柳澤神社があります。
この神社は郡山城の本丸跡に位置するそうです。
比較的新しい神社で、旧藩士等の手によって明治13年に創建されました。

画像:柳澤神社 筆者撮影
また、平成期の郡山城整備の際、城跡に架けられた極楽橋の先には、昭和39年に設立された柳澤文庫があります。
ここには郡山藩の旧藩主である柳澤家から寄贈された歴代藩主の書画や、郡山藩に関する資料など、数万点におよぶ古文書や古典籍が所蔵されています。
さらに地域に関係する書籍も数多く収蔵されており、地方史研究の拠点としても知られています。
柳澤の名を冠した神社や資料館が設けられていることからも、長く郡山城の城主を務めた柳澤家が、この地で今なお深く敬われていることがうかがえます。
実際に郡山城を訪れてみると、筒井順慶や豊臣秀長、そして柳澤家へと続く長い歴史の流れを、城跡の景色の中に感じ取ることができました。
郡山城跡は奈良県でも有数の桜の名所として知られており、春になると城跡一帯が美しい桜に包まれます。
歴史と風景が重なり合う郡山城跡を、ぜひ一度ゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか。
参考 : 大和郡山市教育委員会『郡山城跡の概要』他
文:撮影/草の実堂編集部

























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