近頃は、仏像と向き合うことで心の平安を求めたり、仏教美術の一つとして鑑賞したりする「仏像ファン」が増えているそうですが、その世界はなかなかに奥深いものです。
そこで、「知っているようで知らない仏さんのお話」と題し、仏さまについて少しずつお話ししていこうと思います。
今回は、もっとも基礎的なテーマ「仏さんってなに?」をお送りします。
自然に暮らしの中に溶け込んでいる仏教

画像:天界の神々にダルマを説く釈迦(ブッダ) public domain
NHKが2019年に行った「宗教」に関する世論調査(全国の18歳以上対象)によると、何らかの宗教を信仰していると答えた人は36%。
そのうち「仏教」と答えた人が31%、「神道」が3%などという結果でした。
数字だけを見ると、6割以上の人が宗教とは距離を置いた生活をしているようにも思えます。
けれども「神さま、仏さま」と口にするように、追い込まれたときや窮地に立ったとき、思わず神仏にすがった経験のある方は、決して少なくないのではないでしょうか。
あるいはそこまでではなくても、初詣や旅先でその土地の寺院や神社に手を合わせることは、ごく自然な行為として私たちの暮らしに溶け込んでいます。
そうした折、私たちは仏さまの姿をかたちにした仏像を目にする機会も多いでしょう。
近ごろは、仏像と向き合うことで心の平安を求めたり、仏教美術として鑑賞したりする人も増えているようですが、その世界はなかなかに奥深いものです。
そして、よく考えてみると仏さんにはさまざまなお姿があり、それぞれ何が違うのか、私たちにどのような救いの手を差し伸べてくださるのかなど、分からないことがたくさんありますよね。
「仏さん」って、いったいなに?

画像:ナーガに守護される釈迦(ブッダ)public domain
「仏」のことを、サンスクリット語で「ブッダ(仏陀)」とも言います。いまでは、仏教の開祖である釈迦(シャカ/本名ゴータマ・シッダールタ)の別名としても使われています。
しかし、この「ブッダ」の本来の意味は、「修行を完成した者」「目覚めた人」を指す言葉でした。
だからこそ釈迦は、尊敬の念を込めて「ブッダ」と呼ばれていたのです。
そして日本語では、「仏」を「ブツ」と読まず、「ホトケ」と言います。
その理由については、インドから中国に仏教が伝わった際、「仏」が「浮屠(フト)」と音写され、それが日本に伝来する過程で「ホトケ」になったという説があります。
あるいは、煩悩から解き放たれた存在という意味で「解け(ほとけ)」と呼んだという説もあります。
さらに日本では、死者に対しても「仏」という言葉を用いるようになりました。
このように「仏(ほとけ)」とは、仏教の中心概念でありながら時代や地域によって変容してきた、多様性に富んだ存在なのです。
仏さんは「超人間」的な存在

画像:白毫と丸い光背を付けたガンダーラの仏立像(東京国立博物館蔵)public domain
仏の意味は、「修行を完成した者」「目覚めた人」です。
ですから仏さんは、人のかたちをしておられても私たちと同じ存在ではなく、超歴史的・超人間的な存在として表現されます。
そのため、昔から仏像を造る際には「三十二相(さんじゅうにそう)」「八十随形好(はちじゅうずいぎょうこう)」といった条件を備えるべきだとされました。
これらは仏さまの優れた特性を表すものであり、人間とは異なる特徴を示しています。
たとえば仏像のお顔を拝したとき、耳が非常に長いことに気付かれたことはありませんか。
また、手にも注目してみてください。
直立したときに垂らした手は、私たち人間よりもはるかに長く伸びています。
これを「手過膝」と言い、人々に施しを行い、慢心を持たない功徳の表れとされます。
このほかにも、頭頂に隆起がある、眉間に白毫(びゃくごう)がある、身体が金色に輝くなど、多くの約束事があります。
なかでも少し驚かされるのが、眉間の白毫です。
これは白く柔らかい毛が右巻きに丸まったもので、伸ばすと約4.5メートルにもなるとされ、そこから光明を放つといわれています。
このような仏さんのお姿は、明るい場所で拝するよりも、薄明りのなか、一段高い台座の上にいらっしゃるほうがいっそう尊く、ありがたく感じられるのが自然なのかもしれません。
※参考文献
京都歴史文化研究会(高野晃彰)著 『京都札所めぐり 御朱印を求めて歩く』メイツユニバーサルコンテンツ
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

























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