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第一次世界大戦とは何かについて調べてみた

第一次世界大戦

Great War(グレートウォー)という言葉をご存知だろうか?
日本語訳では「大戦」となるのだが、この言葉は英語圏においては第一次世界大戦のことも意味する。

4年もの間、欧州を中心に戦われたこの戦争がなぜ第一次世界大戦(World War I)と呼ばれるようになったのか。わずか100年ほど前のことだというのにあまりに知らないことが多かった。
日本では大正時代のことである。
そのわずか20年後に勃発した第二次世界大戦については、多くの人々が「どの国がどのような行動をとったか」を知っているが、第一次世界大戦については日本ではあまり関心がないようだ。
そこで、第一次世界大戦とは何かについて調べてみた。

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1.勃発までの経緯

第一次世界大戦が勃発した原因としては、当時の欧州における各国の複雑な事情が幾重にも存在している。

そのことを辿るだけでこの記事が埋まってしまうので詳細は省くが、当時のヨーロッパの列強国は複雑な同盟・対立関係にあったことだけは確かである。そこでまずは、参戦国の中で特に重要な3ヶ国について調べてみた。

1867年に誕生した「オーストリア=ハンガリー帝国」は、欧州の名門ハプスブルグ家の長がオーストリア皇帝とハンガリー王を兼任する大きな国家である。多くの地域と民族、宗教が混在しており、その一部にはオーストリアに不満を持つボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人も含まれていた。

1871年の普仏戦争でフランスに勝利した「ドイツ帝国」は、フランスの領土の一部を奪うことに成功したが、フランス国内においては反ドイツの感情を育てることになってしまっていた。しかし、当時の欧州において軍事的優位を保っていたドイツ帝国は、周辺国とのさらなる大規模な戦争に備え、軍備の拡張とオーストリア・イタリア・ドイツによる三国同盟を締結していた。

イギリス」は大陸とは離れているという点から、当時の緊張状態を「対岸の火事」と見ていたようだ。しかし、19世紀末におけるドイツの軍備拡張と国力の成長により、ついにドイツに対する警戒を強めてゆくことになる。結果、フランス・ロシア帝国とは協商を、日本とは同盟を結びドイツに対する備えとした。ちなみに協商とは同盟より一段階下の「協力関係」と言える繋がりと思っていいだろう。

この3ヶ国がやがて欧州における重要な参戦国となる。

2.引き金と拡大

1914年、オーストリアの皇太子がボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボで、反オーストリア思想のボスニア系セルビア人に暗殺された「サラエボ事件」はあまりに有名である。


暗殺場面を描いた新聞挿絵, 1914年7月12日
当時のボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアに併合されていたが、同じセルビア人国家であるセルビアは別の国であり、こちらはロシア寄りの国家であった。つまり、オーストリアに吸収されながらも、民族的な反感を持っていたボスニアのセルビア人が、セルビア国の意思とは関係のないところで皇太子暗殺を行ったようである。

しかし、そのような理屈ではオーストリアとしても黙っているわけにはいかない。オーストリアはもとより三国同盟を結んでいたドイツも懲罰的な意味でセルビアに対する強硬論を説いた。結果、オーストリアとドイツがセルビアに宣戦布告、対するセルビアの後ろ盾であったロシアもこれに対抗することになる。
これが4年間にも渡り繰り広げられることになる大戦の始まりだった。

3.各国の動向

開戦後の各国の対応は大きく三つに分かれた。
フランスはドイツ帝国との軋轢があったことからドイツへの宣戦布告を行い、イギリスと日英同盟を結んでいた日本は、イギリス政府からの要請に応じてドイツ帝国への宣戦を布告、その他、英連邦に属するカナダ・オーストラリア・ニュージーランドもイギリスと共に参戦することとなった。

イタリアはドイツ・オーストリア・イタリアから成る三国同盟を締結していたが、最終的にはイギリス・フランス陣営に加わった。
ロシアもまたオーストリアとの問題を巡り、対ドイツの立場を取る。
これが、連合国と呼ばれる陣営である。

一方、ドイツ・オーストリア=ハンガリー陣営には、ロシアと対立関係にある立場からオスマン帝国が加わる。これらの陣営は同盟国、もしくは枢軸国と呼ばれた。

第二次世界大戦でも、ドイツ・イタリア・日本を中心とした国々を枢軸と表現したが、枢軸とは本来は車の軸を指す単語であり、軸でつながれたように親密な連携・協力関係を保つ国々を指す言葉として使われるようになった。このことからも、枢軸国が戦力的に不利であるからこそ互いの力を終結して戦争に臨んだことが想像できる。

そして、最後が中立国。
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの北欧三王国はこの戦いに利害関係がないと判断、連携して中立を表明した。

アメリカは「欧州の紛争には干渉しない」というモンロー主義により当初は中立を宣言していた。後に連合国側に立って参戦することになるが、開戦当時はメキシコとの関係も不安定だったため、経過を見ていたようである。

4.戦火の拡大

ヨーロッパで勃発したこの戦いが全世界規模で拡大にしたのにはいくつか理由があった。
その大きなものとしては、植民地の存在がある。ドイツは世界各地に植民地を持っていたため、連合国側はこの植民地を征服するためにアフリカ、中東、アジアなどで戦闘を繰り広げることとなる。実際に日本も中国の青島をイギリス連合軍と共に攻略した。

ドイツは軍事力こそ優れていたが、国力ではイギリスなど連合国側に劣っており、制海権はイギリスに握られていた。このことからドイツは短期での決着を目指していたようだが、結果的には連合側の物量に押されて戦争が長期化したようである。

そして、もうひとつの理由が利権である。
オスマン帝国が支配する中東には膨大な原油が眠っており、その利権を狙ったイギリスがその支配権を奪おうと中東で激しい戦闘を行った。また、海上交通の要衝であるスエズ運河の支配も重要な課題であった。
そうしたなかで生まれたのが有名な「アラビアのロレンス」の物語である。

実際にはもっと複雑な事情が絡み合っているようだが、簡単に理解しようとすれば

世界各地で行われた紛争の集合体が第一次世界大戦

と言えるようだ。

 

5.終戦

1918年11月11日、ドイツの降伏をもってこの大戦は終結した。
同盟諸国は長期にわたる戦争により経済が疲弊し、各国で革命や反乱が起きたことにより戦争が継続できなくなったのである。

では、なぜここまで戦争が長期化してしまったのであろうか?
それは各国の軍部がナポレオンの時代からの戦争の形態に固執したためのようだ。つまりは、大軍同士の正面からの衝突というものである。それに加え、塹壕が重要視されたため、攻める側も守る側も被害が拡大し、いたずらに決着を延ばす結果となってしまった。

 

まとめ

幾度か書いたように第一次世界大戦を正確に理解するには膨大な資料が必要であり、ここでは少しでも分かりやすく書いたつもりではあるが、それでもこれだけの量になってしまった。しかし、この大戦が物語っていたもののひとつが

「人類の戦争観が激変した戦いであった」

ということだろう。

わずか4年ほどの短い期間に、ナポレオン時代からの騎兵隊を中心とした戦争から

騎兵隊→機関銃と塹壕→戦車や飛行機→毒ガス

と瞬く間に兵器が進化した。この戦いによって各国は戦争の形態が新しい形に変わっていったことを実感したはずだ。

そのことを感じる開戦時の兵士たちの気持ちを表した言葉がある。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクのものだ。

『あの頃は、人々はまだ疑うことを知らなかった。ロマンにあふれた遠足・・・。荒々しい、男らしい冒険・・・。戦争は3週間。出征すれば、息もつかぬうちにすぐ終わる。大した犠牲を出すこともない。私達は、こんな風に1914年の戦争を単純に思い描いていた。クリスマスまでには家に帰ってくる。新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。「クリスマスに、また!」』

関連記事:
第一次世界大戦後のヨーロッパ諸国について調べてみた
第一次世界大戦前における各国の立場【WW1シリーズ】
第一次世界大戦に従事した意外な5人の人物たち【WW1シリーズ】


第一次世界大戦 忘れられた戦争

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