陸地面積は世界第2位という広大な領土を有し、約13億8,700万人もの人口を擁する世界屈指の大国となった「中華人民共和国」。世界でもっとも成長率が高い経済大国である。
そのトップは国家主席である「習近平(しゅうきんぺい)」。
世界の主要大国のトップながら、どのような人物かはあまり知られていない。しかし、彼が手にする権力は生半可なものではなかった。
習近平 下放された青年期
[画像.習近平]
1953年6月5日、習仲勲(しょうちゅうくん)の長男として、中国中部の陝西省(せんせいしょう)に生まれる。
このとき、父は国務院副総理というポストに就いており、エリートの家柄だった。国務院副総理とは日本における内閣副総理のようなポストである。
しかし、近平9歳のとき、父親が『反党小説「劉志丹」事件』により、失脚してしまう。習仲勲が助言をして出版された劉志丹という小説の内容が、反党的であるとして、全職務を解任されたのだ。
この事件は、1966年~1976年まで続いた文化大革命という名の弾圧の引き金になったともいわれる。その後、16年もの間拘束され、息子の近平も苛酷な生活を凌ぐ日々だった。
党中央への道
【※習近平とロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領(2010年9月28日)】
1974年、中国共産党に入党すると、大学生活と党の仕事を掛け持ちながら、大学院課程に進み、法学博士の学位を取得する。
ちなみに習の卒業した清華大学は、国家重点大学という権威ある大学として政府が認定したエリート校だ。
卒業後は、党の階段を順調に上り、2000年には48歳で福建省長に就任。党内におけるライバルの失脚などもあり、2007年の「第17期党中央委員会第1回全体会議」において中央政治局常務委員に任命される。これは共産党における最高意思決定機関で、当時の習のポストからすれば2階級特進ともいえる異例の大出世であった。
そして、2008年の「第11期全国人民代表会議」では、国家副首相に選出され、事実上の中国No.2となったのである。
権力の頂点に立つ
【※習近平と李克強(2011年7月3日)】
ここまで来ると、後はポスト胡錦濤(こきんとう)の座が待つばかりだったが、そこで最大のライバルが立ちはだかる。習と同じ中国共産党中央政治局常務委員の「李克強(りこくきょう)」である。
中国共産党には、ふたつの派閥が存在する。親が党の要職に就いていた「太子党」と、叩き上げの「共青年団」というもので、当然ながら習が太子党だったのに対し、李は共青年団であった。さらに、当時の国家主席である胡錦濤も共青年団の派閥。出自では習が有利だったが、胡錦濤は李を後継者に指名する考えだったようだ。
しかし、胡錦濤の前任者であった太子党の江沢民(こうたくみん)が、習を引き上げる。すでに引退していたとはいえ、大きな権力を持つ江沢民は、2代続けて共青年団出身者が国家主席になることで、自身の権力が弱体化するのを恐れての動きだった。
こうして、2013年までに党の主要なトップにすべて就き、同年3月の第12期全国人民代表会議において国家主席に選出されたのだ。なお、この争いに敗れた李は、習によって国務院総理(日本における首相)に任命され、新たな世代の中国が誕生した。
いまだ見えない真の実力
【※中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典における習近平。左は出席したウラジーミル・プーチンと朴槿恵元韓国大統領(2015年9月3日)】
習の国家主席の仕事としては、大規模な汚職の摘発、南シナ海における軍備拡大などが有名だが、中国ほどの大国、しかも社会主義国のトップということもあってそのパーソナリティを知るのは難しい。
中国事情を専門とするジャーナリストの間でも、その意見はかなり異なっている。
「習近平は、力強いリーダーシップを持ち、国民に人気がある。ロシアのプーチンに近いタイプの実力を備えており、過去のトップに劣ることはない」
その一方で、
「習近平は、歴代の指導者のなかではもっとも力が弱く、党を率いる実力がない。独裁者的な傾向があり危険な人物である」
ともいわれるほどだ。内政にはアメを、外交にはムチを使い分けるのが政治の常だが、中国共産党の歴史を振り返ると、内にも外にもムチを振るっていた時代が続いた。ようやく、使い分けができる時代になって間もない今、その使い分けを経験したことがない習がどのように扱うのか。そう考えれば、今はまだ彼の本当の姿が見えてこないのも納得できる。
見えないオセロゲーム
【※メラニア夫人とともに大統領就任式に出席するトランプ】
国家主席にとって悩みが消えることはないが、特に頭を悩ませるのが北朝鮮問題とアメリカのトランプ大統領だ。
北朝鮮問題では、国際社会とのバランスをとりながら北朝鮮の手綱を引き締めたいところだが、すでに手綱は外れてしまっている。しかも、建国に携わったソ連はロシアとなり、ロシアは西側との協調路線を模索してきた。いわば、兄に捨てられた我侭な甥の面倒を見なければいけない状況なのだ。
これを打開するのは並大抵のことではないが、唯一、希望的な手段はある。北朝鮮内部のクーデターとそれによる最高指導者の国外亡命である。さらに米朝が戦争状態に陥った隙を見て、治安維持の名目で中国人民解放軍を北朝鮮に派兵し、一度中国の支配下に置くというオプションである。
もっとも、それにはアメリカ、日本、韓国、ロシアとの連携が必要だが、トランプ大統領の性格こそ「中華思想」そのものだ。独断専行、中央集権、強気な外交。下手をすれば、習よりも存在感がある。
外交、軍事というオセロゲームのなかで、上手く角を押さえることができるのか。習近平は、まだしばらく様子見といったところだろう。
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これについては不適切な対応をとった外務省が問題なのです。 まず前提として、モンゴルの方にはこの件を「不快」等の抗議を行う権利があります。それと同様に日本人にも「表現の自由」があるということを認識しなければなりません。 外務省はこの件について日本人が持つ「表現の自由」の権利を主張する役目がありました。しかし、外務省が行ったことはモンゴル大使館の抗議に反論もせず、黙殺もせず、ただ小学館に抗議を通達しただけでした。 これでは何のための外務省でしょうか?外務省が自国民の権利を主張し守らなかったら誰が日本人の権利を守るのでしょうか? online viagra