戦国時代

長野業正 ~信玄をも敗退させた上州の虎

上州の黄斑(虎)

長野業正(ながのなりまさ)は、関東管領の山内上杉家に仕えていた戦国武将です。

長野業正 ~信玄をも敗退させた上州の虎

※箕輪城の石碑 群馬県

上野の箕輪城を居城として、周辺の豪族らと共に「箕輪衆」と呼ばれていました。

この業正は、配下に後に剣聖と称された新陰流の創始者・上泉信綱を従え、自身もかなりの剛の武将であり、武田信玄の侵攻を退けたことから、信玄をして「業正がいる限り上野は取れない」と言わしめ、「上州の黄斑(虎)」の異名を取ったとも伝えられています。

北条氏の台頭

業正は、延徳3年(1491年)若しくは明応8年(1499年)の生まれとも伝えられていますが定かではありません。父親に関しても諸説がありはっきりとしていません。
長野氏は上野の箕輪城を居城とした豪族で、関東管領の山内上杉氏に従属していました。

しかし伊豆において北条早雲が台頭してくると、山内上杉氏は徐々にその勢力圏を奪われていきました。

そうした中でも、業正は上野での勢力を保持し続けていました。

独立勢力となった業正

天文16年(1547年)に信濃の志賀城主であった笠原清繁が信玄に攻められると、業正の主君・上杉憲政は武田を攻める事を決定します。

しかし業正はこれには反対しました。業正の読み通り憲政は2万もの大軍を動員しながも、笛吹峠の戦い(碓井峠)において信玄に敗れました。

続く天文21年(1552年)に御嶽城が落城したことでそれまで憲政に従属していた豪族たちの離反が相次ぎ、長野家もこの時に憲政の元から離れたと伝えられています。

しかし業正は、勢力を拡大しつつあった小田原城主・北条氏康に屈服したわけではなく、独立した勢力となって箕輪城周辺の統治を続けました。

以後、信玄の侵攻を受けながらこれを撃退します。

業正の最期

長野業正 ~信玄をも敗退させた上州の虎

※上杉謙信

永禄3年(1560年)に上杉謙信が関東の諸将を糾合して厩橋城に入った際には、業正もこの軍に参加、上杉勢の一員として北条攻めを行いました。

謙信は憲政から家督と関東管領の地位を引継ぎ、その威光をもって北条から名胡桃城、沼田城、厩橋城などの城を瞬く間に攻略し。上野を勢力下に置きました。
しかし、これまで老獪な用兵を用いて信玄や北条から西上野を守りぬいてきた業正でしたが、永禄4年(1561年)に病没、享年71若しくは享年63の生涯を終えました。

業正の死後、後を継いだ三男の業盛(なりもり)は、一度は信玄の侵攻を防ぎました。しかし永禄9年(1566年)になると、信玄は2万にも及ぶ大軍を揃えて侵攻して来ました。

業盛は最期まで箕輪衆と共に戦いしたが衆寡敵せず、ついに箕輪城は陥落することになりました。

このとき盛は箕輪城において自刃して果て、箕輪城主としての長野氏は滅亡を迎えました。

その後の長野氏

しかし、業盛には業親(なりちか)なる弟があり、その子である業実(なりざね)は箕輪城から落ち延びてることが出来ました。

そして、後年に箕輪城主に任じられた徳川四天王の一人、井伊直政に出仕することになりました。
業実は4千石を領する大身に取り立てられて、井伊家の移封に伴い彦根藩士となりました。

その後、やがては井伊氏の家老を務めるほどになり、長野氏は彦根藩の中心の家臣として以後も繁栄を続けました。

関連記事:
上杉憲政について調べてみた【上杉謙信を誕生させた大名】
北条早雲について調べてみた【戦国時代最初の大名】

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

    • 匿名
    • 2020年 11月 09日 12:44pm

    「上州の黄斑」で御座います。
    班ではなく斑(まだら)で御座います。

    0 0
    50%
    50%
  1. 早速修正させていただきます。
    ご指摘誠にありがとうございますm(_ _)m

    0 0
    50%
    50%
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 佐渡金山とは 【当時世界最大級の金山 ~上杉謙信の領土ではなかっ…
  2. 酒井忠次について調べてみた【信長からも称賛された徳川四天王筆頭】…
  3. 伊賀忍者と甲賀忍者の違いについて解説
  4. 山中幸盛(鹿介)とは 「子孫が鴻池財閥を築いた猛将」
  5. 津軽為信 ・津軽の梟雄【奇策でのし上がった戦国大名】
  6. 板部岡江雪斎 【北条三代、秀吉、家康に仕えた天下の外交僧】
  7. 蒲生氏郷 【信長に認められ秀吉に恐れられた武将】
  8. 『戦国時代で身長190cm』 藤堂高虎 ~主君を何度も変えながら…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【海の向こうの台湾で神様になった日本軍人】 高田又男とは

豊かな漁場に恵まれ、「水の都」として名高い台湾の南西部の都市である高雄市の郊外に、鳳山紅毛港…

郭嘉とは【若くしてこの世を去ったアウトロー天才軍師】

若くしてこの世を去った天才軍師三国志ファンの間で「人材コレクター」の異名で知られる曹操は…

古代日本の謎・広田人とは ~「1800年前に幼児の頭蓋骨を意図的に変形させる」

古代から現代まで、意図的に力をくわえて頭蓋骨を変形させる「人工頭蓋変形」は、世界各地の文化圏…

世界の戦闘民族ヴァイキングについて調べてみた 「曜日やクリスマスツリーの起源だった」

世界には多くの民族が存在する。その中でも特に戦争や戦いの中に民族のアイデンティティを持っている民族が…

81兆円規模(5500億ドル)の対米投資 〜今後の懸念と日本の進むべき道とは

日米関税交渉が決着し、表面上は一定の妥結を見た。日本が示した譲歩の内容については、「限定的な…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP