本格的な夏の到来前だというのに早くも連日真夏日やら猛暑日やらを記録している日本列島、地球温暖化を実感させられます。
ところでこう暑い日々が続くと海やプールが恋しくなりませんか?
最近の傾向としては「海よりもプールに行く」という人がかなり増えているそうで、各種アトラクション的なプールやナイトプールなど若い人を中心に大人気です。
しかしその手の楽しいオシャレなプールよりも、プールと聞くと私などは真っ先に学校のプールが頭に浮かびます。
泳ぎが得意な子供には楽しい時間、泳ぎが苦手な子供には地獄の時間、そして思春期になるとそもそも水着になるのがイヤだった・・・学校のプール。
今回はそんな思い出の 学校プールについて調べてみました。
学校プールの歴史
日本で最初の学校プールは旧・会津藩の藩校であった「日新館」に作られた「水練水馬池」です。
もう名前に思いきり池とついてしまっていますが、今の感覚でいうとプールじゃなくて学校の庭に掘られた池そのものであったようです。
また当時は水泳=スポーツではなくて水泳=軍事教練の一環であったので、泳ぐということよりも水の中で不測の事態が起こった場合、慌てずに行動するための訓練に重点が置かれていました。
そこでは「向井流」という古式泳法のひとつを教えており鎧兜などの甲冑を身につけたまま水の中に入るという今でいう「着衣水泳」のような泳法の習得に励んだといいます。
甲冑の重さは平均で30㎏ほどあるとされていますから、その状態で水の中に入るというのは本当に訓練とはいえ一歩間違えば命の危険もあったことでしょう。
学校プールは世界でも珍しい
ところで日本の学校に本格的に水泳の授業が採用されるようになったのは、1955年以降のことです。
1952年水泳の授業中の事故や船の沈没などの水難事故で、多くの児童・生徒の命が犠牲になりました。
この事態に文部省は水泳を習得することが命を守ることにつながるとして、1955年の学習指導要綱の中に全国の小中学校に対してプールの設置と水泳授業への取り組みを明記、現在に至ります。
学校にプールがある、水泳の授業がある、ということは日本人にとってごく当たり前のことですが世界的には珍しいのだそうです。
プールから消えたあれこれとは?
さて日本の学校プールが普及し始めてから60年あまり経つわけですが、年号が変わったように当然学校プールの現場でも様々な変化が起きています。
昭和世代にとっては「常識でしょ」と思っていたものが、最近の学校プールからひっそりと姿を消しつつありました。
消えたもの①腰洗い漕
「腰洗い漕」とはプールに入る前に下半身の消毒をするために浸かる消毒漕のことです。
やたらと冷たいのと塩素臭かった印象がある・・・と答えたあなたは昭和世代ですね。
汲み置きのプールと違って毎日水を入れ替えていたので冷たかったのと、プールの塩素濃度1ppmに比べて腰洗い漕の塩素濃度は50~100ppmと高濃度だったということが今回調べてみてわかりました。
それにしてもなぜ腰洗い漕は使用されなくなったのでしょうか?
*使用は任意なので少数ながらまだ使用している学校もあります。
それは下半身の消毒にはプール程度の塩素濃度で十分であるということが判明したからです。
むしろ高濃度の塩素が体に及ぼすかもしれない影響の方が心配されることや、昭和時代に比べてアトピーなどのアレルギー疾患を持つ子供の数がとても多くなっていることなどからの判断ということです。
「ひゃ~ひゃ~」いいながら中腰で浸かった「腰洗い漕」はもうないのですね。
消えたもの②目洗い蛇口
そしてもう一つの消えたもの、それが「目洗い蛇口」です。
「目洗い蛇口」とはやや幅広で無数の穴が開いている目洗い専用の蛇口のことです。
プールの授業が終わった後は必ずここで目を洗ってから教室に帰ること、とされていました。
洗いすぎて目を真っ赤にしている同級生が何人もいましたが、そんな光景も今では見られないのですね。
というのも最近の水泳の授業ではゴーグルの使用(学校によっては目薬の持参も)が当たり前になっているからです。
また前述したような目洗い蛇口による洗眼は角膜に影響があるとして、目洗い蛇口自体が使用不可になっている学校も多いようです。
まとめ
時代とともに学校プールも変わってきているのですね。
最近では水泳授業で着る水着もラッシュガードタイプが導入されたりして、紫外線対策や肌の露出を抑えたものが主流になりつつあります。
大人になってもう二度と入れないと思うと無性に懐かしい学校プール、皆さんにはどのような思い出がありますか?
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