平安時代と言えば、朝廷文化が栄えた華やかな時代である。
貴族社会であり、高貴な身分を持った人々の間では、服装はもちろんのこと、和歌や香合わせ、絵巻物など、さまざまな文化が発展した。
今回は、そんな平安時代に生きた女性たちの装束について、詳しく調べていきたいと思う。
なお、ここでは貴族・皇族の女性の装束を中心に紹介する。
袴、単衣、袿…女性の普段着
平安時代の女性というとどんな服装を思いうかべるだろうか?
多くの方は、百人一首やひな人形にあるように、十二単姿をイメージするのではないだろうか。
ところが、十二単とは式典の時などに着る、いわば“正装”で、女性たちは普段から十二単を身にまとっていたわけではないのである。
それでは、女性たちは普段どのような服装をしていたのだろうか。
女性たちの普段着は、袴(はかま)、単衣(ひとえ)、袿(うちぎ)という3点セットが基本であったと言われている。
袴…和服の上からつける、腰から足までを覆うひだのある衣装。
単衣…平安装束独特の、裏地のない着物。
袿…単衣の上に着る上着。
この3点セットの服装は、貴族や皇族の女性たちにとってカジュアルな場面で着られるものであり、家の中でくつろいでいる時にする服装である。
平安時代の女性たちは、人生のほとんどを家の中で過ごしていたため、普段はこのような恰好をしていたのだろう。
訪ねてきた人に会う時や、少しきちんとしたい場面の際には、この基本の3セットの上に小袿(こうちき)と呼ばれる衣を重ねた。
さらに、ちょっとした晴れ着として、細長(ほそなが)と呼ばれる上着を着用するなど、場面によって着こなしを変えていたようだ。
壺装束…旅をする際には欠かせない服装
ほとんどを家の中で過ごしている平安時代の貴族女性であるが、神社への参詣などで旅に出ることもあった。
上流貴族の女性たちには決まった外出着があり、それが“壺装束”と呼ばれるものである。
この壺装束は、“小袖”と呼ばれる袖口の小さい和服の上に、単衣や袿を重ねたものであり、袿の長いすそを引き上げて、腰のあたりで結んでいる状態のことである。こうすることで、長いすそが引き上げられ、歩く時の邪魔にならないように工夫されている。
平安時代の貴族・皇族女性は、人前で顔を見せないという絶対的なルールがある。
これを野外でも守るために活躍したのが、“市女笠”と呼ばれる大きな笠である。
この笠は元々、行商を生業にしている市女(いちめ)たちが身につけていたものであったが、平安時代の中期から上流社会にも浸透し、貴族の女性たちが被ることになった。
市女笠の周りには、“虫の垂衣(たれぎぬ)”と呼ばれる布が足らされており、この長い布によって、虫除けの効果や、顔を隠す効果があったといわれている。
そんな平安時代の女性であるが、やはり旅をするということは現代よりもはるかに重労働だったようだ。
ただ歩くというだけでも、1日の中でほとんど動くことのない高貴な女性たちにとって、かなり苦痛な出来事であった、と多くの文献に残されている。
平安時代には、出産で命を落とす女性が多かったとされているが、運動不足による体力の低下や健康被害などがあったのだろう。
十二単…貴族・皇族女性のフォーマルウェア
十二単とは、平安時代中期に出来上がった装束であると言われている。
主に成人した女性が着る、宮中での正装であり、「唐衣裳(からぎぬも)」という別名がある。
十二単と呼ばれるようになったのは、後世になってからのことであった。
十二単の構造は以下のようになっている。
・長袴(ながばかま)…裾がとても長い袴。歩く時には袴のすそを踏んで歩いていた。
・単衣…現在でいうインナーのような役割を持つ。
・袿
この3点セットという点では、普段の服装と同じように思われるのだが、実は、一番上に着る袿を何枚も重ねることで、十二単のヴォリューム感が出されている。
袿は、当時の女性たちの身長よりも長いので、そのようなものを何枚も重ねていると、約20㎏ほどの重さになると言われている。
これでは、動くのもひと苦労である。
さらに、このセットに加え、“裳(も)”と呼ばれるエプロンのような衣服を身につけなければならない。
この“裳”をつけるということは成人したという証で、平安時代の女性には「裳着(もぎ)」という成人の儀式が行われる(当時の女性の成人は12歳頃)。
十二単の一番上には、“唐衣(からぎぬ)”という小さな上着を羽織る。これがジャケットやアウターのような役割をしていると言えよう。
かさね色目
十二単と言えば、その色とりどりの美しさが醍醐味である。
袿を重ねていくつもの色を重ねることを、そのまま「襲(かさね)」と言い、そのかさねの色目にはそれぞれに意味があったとされている。
かさね色目には季節や行事ごとに決まった意味があり、それらの意味をきちんとわかっていなければ、マナー違反となったり、センスがないと判断されたりしていたようだ。
多くの種類があるかさね色目(合わせ色目ともいう)であるが、その中でも一部の組み合わせを紹介したい。
1 桜萌黄(さくらもえぎ)
…萌黄色、濃い藍色の組み合わせで、春に着られる。これは若年から壮年の幅広い年代の女性が着用していた。
2 雪の下(ゆきのした)
…白、紅梅色の組み合わせ方で、冬から春に着られる。
3 朽葉(くちば)
…濃紅、濃黄の組み合わせで、秋に着られる。
その他にもさまざまな色目があり、現代の感覚とはずいぶん違うものの、平安時代の女性たちは季節の移ろいや年代によっておしゃれを楽しんでいたという。
最後に
当時の装束についての知識を少し持っているだけで、平安時代に書かれた古典の世界をより楽しむことができるのではないだろうか。
古典文学を楽しむ手掛かりになれば幸いである。
この記事へのコメントはありません。