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歴史小説の大家、司馬遼太郎の生涯【おすすめ歴史小説】

司馬遼太郎とは

司馬遼太郎とは

司馬遼太郎 public domain画像

司馬遼太郎(1923~1996)といえば、日本国内を代表する歴史小説の大家である。

代表作に『坂上の雲』、『龍馬がゆく』、『燃えよ剣』など、主に幕末時代を中心に、壮大な歴史小説を描き、現代でも、多くの人々に愛されている。

今回は、唯一無二の歴史小説家である、司馬遼太郎の生涯についてわかりやすく迫る。

小説家になるまで

司馬遼太郎の本名は、福田定一(ふくだ・ていいち)。
1923年に大阪府大阪市に生まれた。

中学生の頃、井伏鱒二の作品に感銘を受け、そこから読書を始めたとされている。
あまりにも多くの本を読むので、本を買うのに追い付かず、デパートの本屋で立ち読みを続け、なんと立ち読みのみで、吉川英治の『宮本武蔵』全集を読破してしまったという。

司馬遼太郎の青春時代には、日本は戦争の真っただ中で、1943年には、軍隊に入隊している。

司馬遼太郎とは

※司馬が所属した戦車第1師団の九七式中戦車の夜間訓練。司馬も九七式中戦車に搭乗した

当時20歳くらいだった司馬遼太郎は、軍隊内で「俳句の会」を設立し、軍人としての生活の合間に、俳句を作っていたという。

学生時代に成績が悪かったため、優等生が内地野外地へ転属する中、司馬遼太郎には転属がなく、このことが「戦争から命を救った」と後に回顧している。

その後、転地を繰り返し、最終的には栃木県佐野市に配属されるが、ここで終戦を迎えることになる。
当時の司馬の階級は、陸軍少尉であった。

敗戦の体験は、司馬の心に大きな傷を残し、このことが、歴史小説を書くきっかけになったと言われている。

第二次世界大戦は、日本の歴史史上最悪の出来事だったと思った司馬は、「昔の日本人は。もう少しましであったのではないか」と考え始める。

そこで日本史を綿密に調査し、終戦時の日本は「なんとバカなことをしたのだろう」と思ったという。

復員後は再び図書館に通い、新聞社に勤めて、記者として仕事を始める。

1948年、歌人・川田順が、道ならぬ恋のため失踪事件を引き起こした際には、これを『老いらくの恋』と称した。
この言葉は当時の流行語となり、現代でも多く使われている。

その後、細々と小説を書き始めた司馬であるが、1960年『梟の城』で第42回直木賞を受賞すると、これを気に新聞記者を退職、作家生活に専念することになる。

司馬遼太郎の歴史小説

司馬遼太郎は、生涯、多くの歴史小説を書き残した。

時代にこだわりはなく、様々な時代の、日本の偉人たちのドラマを描いている。
また、司馬遼太郎は中国や朝鮮の歴史にも造詣が深く、これらのアジアの国々を、とても愛していたという。

<司馬遼太郎の主な作品>

・『国盗り物語』(1971年刊行)

…2人の戦国武将、斎藤道三と織田信長を主人公に、戦国時代の世を描く。

前半の主人公は斎藤道三、後半の主人公は織田信長、という構成で描かれており、この2人をつなぐ重要人物として、明智光秀が活躍している。
織田信長の“陽”と、明智光秀の“陰”が、物語に美しいコントラストを添えている。

・『関ケ原』(1974年刊行)

天下分け目の“関ケ原の戦い”を軸に、当時の武将たちの人間模様を、濃密に描いている。

全3巻にもわたる長編で、後に江戸幕府をひらく徳川家康と、豊臣家の忠臣、石田三成の2人を主人公として、相対する立場から、時代の分け目を描いている。

・『竜馬がゆく』(1998年刊行)

幕末の立役者、坂本竜馬について描かれた作品。

幼い頃には頼りなかった竜馬少年が、様々な人々と出会ううちに頼もしくなり、次第に日本の在り方を変えてゆくような存在になってゆく。

そんな坂本竜馬の人となりが、丁寧に描かれた作品である。

・『燃えよ剣』(1964年刊行)

新選組ブームを生み出したのは、司馬遼太郎の影響であると言われている。

新選組・副長であった土方歳三の生涯を通し、剣をふるうことでしか生きられなかった、1人の男の“義”としての生きざまを、見事に描き切っている。

・『21世紀に生きる君たちへ』(2001年刊行)

司馬遼太郎が、21世紀を生きる子供たちに向けておくる、メッセージ。

筆者も、小学校高学年の時、教科書にこの文章が載っていたのを覚えている。
いつの時代も変わることのない、人が生きていく上で大切な心構えについて、丁寧に描かれている。

なお、この文章が刊行されたのは、司馬の没後、2001年のことである。

司馬遼太郎と大阪

大阪府大阪市に生まれた司馬遼太郎だが、終の住家として選んだのが、大阪府・東大阪市である。

司馬遼太郎は生涯のほとんどを大阪で過ごし、元・野球選手の野村克也や、芸術家の岡村太郎とも親交があったという。
また、同じく小説家の池波正太郎とは、駆け出しの頃からの友人で、多忙で疎遠になるまでは、よく連絡を取り合い、池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズを愛読していた、という。

あまりにも歴史に精通していたため、名字やその人の顔つきから、出身地や先祖を言い当てるという特技を持っており、たびたび周囲の人を驚かせたという逸話も持っている。

大阪府東大阪市と言えば、大阪府の中でも割と猥雑な地域であるが、そういった地域を司馬は大いに好み、「猥雑な地域でなければ住みたくない」と発言していたそうだ。

1996年2月10日の深夜、突然吐血して倒れ、大阪市内の病院に入院すると、そのわずか2日後に息を引き取った。72歳だった。

司馬遼太郎が住んでいた東大阪市の自宅跡となりには、現在【司馬遼太郎記念館】が設立されている。

https://www.shibazaidan.or.jp/

この【司馬遼太郎記念館】では、歴代の司馬遼太郎作品が展示されており、館内にあるスクリーンでは、司馬遼太郎関連の映像が放送されている。(※現在はコロナの影響で6月1日まで休館)

また、カフェやミュージアムショップが併設され、ミュージアムショップでは、司馬遼太郎の著作全てを購入することができる。

歴史小説の大家、司馬遼太郎の世界観に浸りたい方は、ぜひとも大阪まで足を運んでいただきたいと思う。

 

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