平安時代

まさに筋金入り!日本のお役所仕事・先例主義は律令時代から続いていた

先例がありません」

お役所を相手に仕事をしていると、少なからず耳にするこのセリフ。まったく、後醍醐天皇(ごだいごてんのう。第96代)の言葉を聞かせてやりたいですね。

「朕が新儀は未来の先例たるべし」
※『梅松論』より

【意訳】私の新しく始めたことが、未来の先例となるだろう

お前たちの言う「先例」だって、過去に誰かが新しく始めたことなんだから……新たな世を切り拓こうとした後醍醐天皇の心意気が目に浮かびます。

まぁ、彼が主導した建武の新政はお世辞にも成功とは言えないものの……それはそうとして。

先例がないので、受理できません(イメージ)

とかくお役所仕事のポリシー?として振りかざされるこの「先例主義」。公務員のみならず、日本人の悪いところとしてよく指摘されますが、その歴史は古く律令制度にまでさかのぼります。

朝廷で政治を司る貴族たちにとっては先例こそがすべて。先例こそが権威の裏づけであり、また権力の源泉でもありました。

今回はそんな貴族たちの先例主義を垣間見ていきたいと思います。

いつかみんなを我が日記のままに……燃え上がる実資の野望

……と聞いて「そんなに先例が大事なら、きちんとマニュアルを作って順守させればよいではないか」と感じたのは、筆者だけではないでしょう。

しかし当時はまだ制度が確立されておらず、家ごとに儀礼の作法などが異なるなど、絶対的な基準が存在していませんでした。

貴族が日記を書くのは、子孫に仕事のノウハウを受け継ぐためでもあった(イメージ)

そこでモノを言うのが日記などの記録や、実際に参加した者による口伝。こうした過去の実例を引き合いに出せば、自分の作法を正当化できます。

しかし、朝廷の政務や儀礼に誰もが参加できたわけではなく、蓄積できるノウハウの量や質には家柄がモノを言うのです。

現代のようにインターネットを活用して誰もが良質な情報にアクセスできる可能性がある訳ではなく、情報を持つ者が誰に教える/教えないを峻別しました。

もちろん、キレイな飲み水も安全もタダではない時代ですから、情報が当然タダな訳がありません。

例えば藤原道長(ふじわらの みちなが)ら兄弟は、父・藤原兼家(かねいえ)の本邸で育っていることから父から政務や儀式のノウハウを教えてもらったり、祖父・藤原師輔(もろすけ)が遺した日記『九暦』をテキストに学んだりできました。

一方、同じ兼家の子であっても側室(藤原倫寧女、右大将道綱母)から生まれた藤原道綱(みちつな)は母とひっそり暮らしており、ロクにノウハウ伝承もされませんでした。

親の七光りで出世した道綱ですが、いざ朝廷では違例(いれい。例に違うマナー違反)ばかり。無能な公卿としてボロッカスに叩かれ続けます。

伯父の藤原実資(さねすけ)は、道綱について

「道縄(お前に太い綱なんてもったいない。細い縄で十分だ)」
「一文不通の人(ろくに文章≒その行間にある真意も読み取れないバカ者)」

などと日記『小右記』で罵倒しました。

これは道綱に出世で追い抜かれてしまい「何であんな無能者が、家柄だけで私を追い抜いてしまうのだ!」という恨み節も込められています。

藤原実資。菊池容斎『前賢故実』より

そんな実資は若い頃から養父・藤原実頼(さねより)より受け継いだ日記『清慎公記』はじめ、政務や儀式のノウハウを貯め込んでいたため、多くの公卿からその伝授を求められました。

教えるも教えないも胸三寸。甥の道長ほどではなかったにせよ、隠然たる影響力を宮中に誇ったのです。

まさに先例こそが権威の裏づけであり、権力の源泉。それを痛感した実資は自分の日記『小右記』を儀式などカテゴリごとに分類、朝廷における儀式マニュアルの編纂に着手しました。

「いつかあらゆる官人は、我が日記どおりに動く(儀式や政務を執り行う)ようになるのだ!」

ちょっと(どころではなく)ひねくれた実資らしい野望と言えますが、あまりにスケールが壮大すぎたため、編纂の途中で寿命の方が先に来てしまったのでした。

失敗しちゃった!さぁどうなる?

さて、ここまで「貴族たちにとっていかに先例が大事で、その情報を制する者が隠然たる権力を持った」ことを紹介してきました。

先例が大事なのは分かりましたが、もし先例から外れてしまったらどんな仕打ちを受けるのか、そしてそもそも何故そこまで先例を重んじたのかも紹介します。

例えば、ある日ある時の宮中儀礼にて。

「あ、やっちまったな……」

そうなると、周囲の者たちが違例を指摘するために、弾指(だんし)や咳唾(がいだ)と言ったサインを送りました。

弾指(イメージ)

弾指とは文字通り「指をはじく」つまり指パッチンですが、これは違例の不吉を祓うために柏手(かしわで)を打つ訳にもいかず、指で代用したものと考えられます。

また咳唾とは咳(せき)払いと唾を吐くことで、現代でもよく使う「オホン!」という咳払いに加え、唾を吐きつけたのでした。

唾にはこれも不吉を祓う魔除けの力が信じられたためか、あるいはそれに託(かこつ)けて相手を侮辱するためかも知れません。

パッチン、パッチン、ゴホンゴホン、ペッペッペ……厳粛な儀礼の場が静かにざわつき、粗相した者に対して満場の憎悪が注がれる……いかにも貴族社会らしい陰湿な光景ですね。

ちょっと行き過ぎですが、古くから皇室≒朝廷においては吉例(きちれい。よい先例)を踏襲することで世の平安を受け継ぐ思想があります。

よいものを受け継ぎ、改めるべきは改める……かくして世の中は少しずつよくなっていく理想がいつしか忘れ去られ、良し悪しを問わずとにかく「先例だから」重んじる風土が根づいてしまいました。

現代のお役所においては、是非とも吉例を重んじて改めるべきを改める理想を取り戻して欲しいものです。

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
  • 古代学協会ら『平安時代史事典』角川書店、1994年4月
  • 八條忠基 監修『有職故実の世界』平凡社、2021年3月
角田晶生(つのだ あきお)

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