鎌倉殿の13人

実は源頼朝だけじゃない。落馬で亡くなった和田義茂(和田義盛弟)の最期【鎌倉殿の13人】

「しかし情けねぇよなぁ。源氏の棟梁が馬から落ちて死ぬなんてよぉ……」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、和田義盛(演:横田栄司)がそんなことをぼやいていました(第26回放送「悲しむ前に」より)。

武士は古来「弓馬の家」などと呼ぶように、弓射と馬術が必須教養。弓が使えねば敵に射殺され、馬に乗れねば移動もままならないからです。

源頼朝(演:大泉洋)の死因には落馬をはじめ病気・怨霊・暗殺・溺水など諸説ありますが、もし落馬が事実であれば「武士の、しかも皆の手本であるべき棟梁が情けない」と言われてしまうのも無理はありません。

しかし、乗馬に危険はつきもの。先ほどぼやいていた和田義盛の弟・和田義茂(わだ よしもち/よししげ)もまた、落馬によって亡くなっています。

今回はそんな和田義茂のエピソードを紹介。果たしてどんな生涯を送ったのでしょうか。

頼朝の挙兵に呼応、寝所警護の親衛隊に抜擢される

和田義茂(通称・次郎)は生年不詳、杉本太郎義宗(すぎもと たろうよしむね)の次男として誕生しました。

『吾妻鏡』における初登場は頼朝挙兵直後の治承4年(1180年)8月22日。三浦半島を出発し、伊豆から出てくる頼朝たちと合流して大庭景親(演:國村隼)を挟み撃ちにする計画です。

三浦次郎義澄。同十郎義連。大多和三郎義久。子息義成。和田太郎義盛。同次郎義茂。同三郎義實。多々良三郎重春。同四郎明宗。筑井次郎義行以下。相率數輩精兵。出三浦參向云々

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)8月22日条

ただし大雨によって道中の丸子川(現:酒匂川)が氾濫、先に進めず仕方なく引き返すことに。

「すまん小四郎(北条義時)……さぁ、行き(帰り)ましょう」

帰る道すがら、武蔵国から遠征してきた畠山重忠(演:中川大志)の軍勢と遭遇。畠山勢は大庭(平家方)に与していたものの、無益な流血を避けるため戦わないことで合意しました。

しかし話が伝わっていなかった義茂は畠山勢に攻めかかり、やむなく武力衝突が勃発(小坪合戦)。これが原因となって三浦一族の本拠地・衣笠城を攻め落とされる事態に陥ってしまったのです。

三浦大介義明(右)。勝川春亭筆

この衣笠城攻めにより、老いたる忠臣・三浦大介義明(みうらのおおすけ よしあき)は孫である重忠に討ち取られてしまいました。

その後、三浦一族は頼朝に合流して畠山とも和解。鎌倉入りしてしばらく経った治承5年(1181年。養和元年)4月7日、義茂は頼朝の寝所を警護する親衛隊に抜擢されます。

御家人等中。撰殊逹弓箭之者亦無御隔心之輩。毎夜可候于御寢所之近邊之由被定
江間四郎 下河邊庄司行平 結城七郎朝光 和田次郎義茂 梶原源太景季 宇佐美平次實政 榛谷四郎重朝 葛西三郎淸重 三浦十郎義連 千葉太郎胤正 八田太郎知重

※『吾妻鏡』治承5年(1181年)4月7日条

【意訳】頼朝は御家人の中から、弓の名手で信頼のおける者たちを親衛隊に抜擢した。

メンバーには江間四郎(北条義時。演:小栗旬)や結城朝光(演:高橋侃)、梶原景季(演:柾木玲弥)など、新進気鋭の若武者ぞろい。

これ以上ない名誉に、義茂はいっそう奉公に励んだことでしょう。

下野国の足利俊綱を征伐

そして寿永2年(1183年)9月7日、義茂らは下野国(現:栃木県)へ叛旗をひるがえす足利俊綱(あしかが としつな)の討伐を命じられます。

從五位下藤原俊綱〔字足利太郎〕者。武藏守秀郷朝臣後胤。鎭守府將軍兼阿波守兼光六代孫。散位家綱男也。領掌數千町。爲郡内棟梁也。而去仁安年中。依或女性之凶害。得替下野國足利庄領主軄。仍平家小松内府賜此所於新田冠者義重之間。俊綱令上洛。愁申之時被返畢。自爾以降。爲酬其恩。近年令属平家之上。嫡子又太郎忠綱同意三郎先生義廣。依此等事。不參武衛御方。武衛亦頻咎思食之間。仰和田次郎義茂。被下俊綱追討御書。三浦十郎義連。葛西三郎淸重。宇佐美平次實政被相副之。先義茂今日下向。

※『吾妻鏡』寿永2年(1183年)9月7日条

追討軍の先鋒を仰せつかった義茂は喜び勇んで鎌倉より出陣。しかし現地では既に桐生六郎(きりゅう ろくろう)と言う郎党が俊綱を斬ってその首級を持っているとのこと。

「……差し出すように言ったのですが、六郎は『佐殿に直接お渡ししたいから』と拒むのです。どうしたらいいでしょうか?」

義茂の使者に対して、頼朝は「それでいいから、早く首級を持って来させなさい」と返答しました。

和田次郎義茂飛脚自下野國參申云。義茂未到以前。俊綱專一者桐生六郎。爲顯隱忠。斬主人而篭深山。搜求之處。聞御使之由。始入來陣内。但於彼首者。稱可持參。不出渡之。何樣可計沙汰哉云々。仰云。早可持參其首之旨。可令下知者。使者則馳皈云々。

※『吾妻鏡』寿永2年(1183年)9月13日条

そこで桐生六郎は首級を持って一足先に鎌倉へ向かい、義茂は現地で残敵掃討に当たります。

なお、首級を持った桐生六郎は鎌倉に入れてもらえず、深沢を迂回して腰越に行くよう指示されました。

桐生六郎持參俊綱之首。先自武藏大路。立使者於梶原平三之許。申案内。而不被入鎌倉中。直經深澤。可向腰越之旨被仰之……。

※『吾妻鏡』寿永2年(1183年)9月16日条

取次の梶原景時(演:中村獅童)に対して「御家人に取り立ててくれ!」と要求しますが、頼朝はこれを拒否。

「主君に対する裏切りは、最も重い罪である。即刻処断せよ(主人を誅す造意の企て、もっとも不当なり。一旦といえども賞翫≒賞賛に足りず。早く誅すべし)!」

桐生六郎の首級(イメージ)

こうして桐生六郎は斬首され、その首級は足利俊綱と並べて梟(きょう/さら)されたのでした。

桐生六郎以梶原平三申云。依此賞。可列御家人云々。而誅譜代主人。造意之企。尤不當也。雖一旦不足賞翫。早可誅之由被仰。景時則梟俊綱首之傍訖。次俊綱遺領等事。有其沙汰。於所領者収公。至妻子等者。可令本宅資財安堵之由被定之。載其趣於御下文。被遣和田次郎之許云々。
仰下 和田次郎義茂所
不可罸雖爲俊綱之子息郎從參向御方輩事
右。云子息兄弟。云郎從眷属。始桐生之者。於落參御方者。不可及殺害。又件黨類等妻子眷属并私宅等。不可取損亡之旨。所被仰下如件……。

※『吾妻鏡』寿永2年(1183年)9月18日条

さて、頼朝は続けて下野国の義茂に命令します。

「今回の件につき、降参する者を殺してはならない。また妻子や従僕などの家や土地、財産を略奪してはならない」

こうして足利の残党は頼朝に帰服し、任務を果たした義茂は9月28日に鎌倉へ凱旋したのでした。

エピローグ

その後も活躍するかと思いきや、和田義茂は『吾妻鏡』より姿を消してしまいます。

よって没年も不詳なのですが、『和田系図』にはこんな最期が書かれていました。

義茂 和田次郎
落馬死去

※『和田系図』より
※『系図纂要』でも「和田小次郎 落馬死」とありました。

短っ!いつ、どこのどんな状況で、などは一切書かれていません。ただ「落馬死去」とのみ。あっさり過ぎです。

とりあえず合戦で討死したのではなさそうですが、あえて(武士としては恥ずかしい)落馬と書くからには、よほどの事情があったのでしょう。

(でもそれなら、どうして詳しい状況を書かなかったのか疑問は残ります)

和田義茂の落馬(イメージ)

果たしてどんな事情があったのか、今後の究明が俟たれるところです。

なお、義茂には高井重茂(たかい しげもち。三郎兵衛尉)という子があり、和田合戦(建暦3・1213年)で従兄の朝比奈義秀(演:栄信)に討ち取られています。

またその子供(義茂の孫)である高井時義(ときよし。兵衛太郎)は承久の乱(承久3・1221年)で三浦胤義(演:岸田タツヤ)らと共に討たれており、名前こそ出なくても大河ドラマに登場しているかも知れませんね。

※参考文献:

  • 石井進『日本の歴史 7 鎌倉幕府』中公文庫、2004年11月
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 1 頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年11月
  • 関幸彦ら編『源平合戦事典』吉川弘文館、2006年12月
角田晶生(つのだ あきお)

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