らんまん

朝ドラ「らんまん」の主人公モデル、牧野富太郎は国民的スターだった

朝ドラ「らんまん」のモデルになった牧野富太郎は、高名な植物学者であると同時に国民的スターだった。

こんな逸話がある。

牧野が危篤におちいったとき、新聞記者が自宅前に押し寄せ、テントを張って泊まり込み、病状を逐一報道した。

それほど牧野人気は高かったのである。

植物学者・牧野富太郎は、なぜ国民的スターになったのか。

子どもから老人まで。全国にいた牧野ファン

牧野富太郎は国民的スターだった

画像.牧野の書いた手紙 ※渡辺千秋伯爵家に滞在中の緒方益井への書簡。内容は、植物の「辛夷(こぶし)」についての問い合わせへの返答. 国立国会図書館デジタルコレクション

明治の終わりから昭和の初め頃にかけて、全国各地で「植物同好会」が設立された。

植物同好会とは、植物愛好者が講師とともに植物観察をし、植物に親しむことを目的としたサークル活動である。牧野は多くの同好会の設立にかかわり、各地の観察会や講演会に講師として引っ張りだこだった。

観察会では、植物の名前や形状、見分け方などを解説しながら参加者とともに山野を歩いた。植物を見ればすぐに名前を言い当てる牧野の植物に関する知識や、彼のユーモアを交えた軽妙な話しぶりは聞く者をとりこにし、植物だけでなく牧野富太郎という人間にも人々は魅かれていった。

また牧野は、全国の植物好きな人たちからの手紙に必ず返信をしている。彼は植物に関心のある人であれば相手が誰でも真摯に向き合い、小学生からの手紙にも丁寧に返事を書いた。

こうした草の根的な教育普及活動が、牧野の知名度を全国に広げ、ひいては牧野ファンを増やすことにつながったのである。

随筆家としての一面

牧野富太郎は国民的スターだった

画像.『牧野植物随筆』草木の名称や分類に関する通説の誤りを歯に衣着せぬ物言いで指摘した。牧野富太郎著『牧野植物随筆』.国立国会図書館デジタルコレクション

植物学の知識を与えることをこの上ない喜びとしていたのであろう。牧野は随筆をたくさん書いた。

植物学に関する雑誌だけでなく、婦人雑誌や子ども向けの本など、さまざまなジャンルの雑誌に寄稿している。

彼は難解な言葉を使わず、分かりやすい文体で、一般の人の興味がわくような植物の話題をとりあげた。

読みやすく軽快で、ときに脱線するユーモアたっぷりの文章は、植物学に関心がない人にとっても面白く読めるものであり、思ったことをズバズバと容赦なく書き綴る自由奔放な物言いは、読む人に強い印象を与えていった。

マスコミをうまく利用し、利用された

●貧乏生活の暴露

牧野富太郎が知名度をあげた理由の一つに、新聞社とのつながりがある。

最も有名なのは、3万円という巨額の借金で困窮したとき、「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に、彼の生活の苦しさを公表した逸話である。

この記事のおかげで牧野は借金から脱することができたのだが、同時に彼の貧乏生活が世に知られることになってしまった。

東京大学の偉い学者が、なぜこんなに貧乏なのか?

人々は興味を持って読んだであろう。そこで初めて牧野富太郎の名を知った人もいたかもしれない。

●悲劇のヒーロー

牧野富太郎は国民的スターだった

画像.晩年の牧野富太郎 ※牧野富太郎1953年。wikiより引用

新聞は、牧野と大学の確執についてもよく記事にした。

大学を辞めたとき、『東京朝日新聞』は、「”植物”の牧野博士 大学から隠棲 半世紀の教壇に訣別」という記事を書いている。

辞職にいたった経緯はこうである。

年齢のこともあり、牧野は以前からいつ辞表を出そうかと考えていた。ある日、自宅に大学の助手が来て「いつ辞めるのか?」と聞いた。早く辞表を出すよう催促されたと思った牧野は、助手の無礼な態度に激怒し、すぐさま辞表を提出したという。

御年77歳、いつも「辞める、辞める」と言いながらなかなか腰をあげない牧野に、彼の所属する植物学教室の面々が業を煮やしたのかもしれない。あるいは、自らきれいに幕引きをと思っていたのに辞めろと催促されて、モタモタしていた自分が腹立たしかったという牧野の個人的な理由だったのかもしれない。

記事には牧野の談話も掲載されているのだが、これについて英文学者であり科学史家の渋谷章氏は、著書『牧野富太郎 私は草木の精である』で、

自己憐憫的で何となく大学にやましいことがあるようなことをにおわせる話”

と述べている。

牧野には、相手に非があるような何かを匂わせながら、具体的な事情は語らないことが多々あった。

大学という閉鎖的な空間でおきたことだけに、ことの真相ははっきりしないが「大学には後ろめたい何かがある」と思わせ、牧野に同情が集まるような記事が書かれたことは事実である。

こうした牧野とマスコミの関係について、植物学者の田中伸幸氏は著書『牧野富太郎の植物学』で明快な答えを提示してくれている。

牧野は利用する側というより、利用された側の人間だったのかもしれない。あれだけの知名度を確立し、全国にファンが大勢いる中で、学歴がないという弱者的立場の人間であるがゆえに、世間が味方することは明白にわかっていたはずである。あるいは、それ以上にマスコミが牧野をそういう人間、いわゆる悲劇のヒーローに仕立て上げたといえるかもしれない

池波正太郎のことば

画像.池波正太郎 ※池波正太郎.婦人生活社『婦人生活』3月号(1961)。wikiより引用

身勝手だけれど憎めない、裏表のない、あけっぴろげな性格。牧野富太郎は、真の人たらしだった。

池波正太郎は、短編小説「牧野富太郎」で、こう書いている。

「世の中に息をしている限り、どんな人間でも、或る程度は世渡りの駆け引きに自分を殺さなくてはならないのが常識とされているのだが、強情を通しぬいた彼は、偉いとか強いとかいうよりも、むしろ幸福な男だったといえよう」

牧野の人生は「好き」を貫いた人生だった。

人に迷惑をかけながらも、無我夢中で好きなことにまい進する姿に、人々は爽快さと羨ましさを感じていたのかもしれない。

参考文献
渋谷章『牧野富太郎 私は草木の精である』
田中伸幸『牧野富太郎の植物学』
池波正太郎『武士の紋章』

 

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