暑い季節には欠かせない夏の風物詩『かき氷』。
旬のフルーツを使ったもの、抹茶が味わえる和風のもの、綿菓子のようなふわふわなもの…
目でも舌でも楽しめるスイーツのひとつですね。
そんなかき氷ですが、実は1000年以上前の平安時代から存在していたことをご存じですか?
今回は清少納言が食べた「平安のかき氷」とはどんなものだったのかについて紹介していきます。
枕草子に記されている平安グルメ
シュークリームにショートケーキ、大福、羊羹…今でこそ砂糖を使った甘いものはいくらでもあります。
しかし砂糖が国産化されるのは江戸時代のこと。
それまでは薬として少量輸入していたため、日常的に甘いお菓子を食べることはありませんでした。
それでも、甘いものは多くの人々にとって魅力的です。
貴重だからこそ余計に食べたい!という欲求は昔から強かったようです。
ときの最高権力者の奥様に仕えたスーパーエリートだった彼女は、めずらしい食べ物に接する機会も多かったようです。
紫式部の「源氏物語」と並んで平安時代を代表する文学作品「枕草子」は、日々の出来事や季節の移り変わりを淡々と記した随筆ですが、実は意外にも食べ物に関する記述が非常に多く残っています。
中でも印象的なのは、「あてなるもの」という項目に登場する「あまずら」です。
「あまずら」とはつる草の一種から取った天然の甘味料で、ツタの樹液を煮詰めて作ったものです。
琥珀(こはく) 色で、蜂蜜のような甘さがあったとされています。
砂糖が普及するまでは貴重な甘味料として扱われたものの、砂糖が国産化された江戸時代には姿を消してしまいました。
ここの「あてなるもの」の項目は短いので、一緒に全文を見ていきましょう。
あてなるもの 薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。
※現代訳
優美で美しく上品なもの。淡い紫に白の重ね着。鳥の卵。削った氷にあまずらを入れて新しい金属のお椀に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。春先の梅の花に雪が降りかかっている。かわいい子供が、いちごなどを食べてる様子。
想像するだけでうっとりするような美しいものが並んでいます。
ここに記載されている「削った氷にあまずらを入れて新しい金属のお椀に入れたもの」こそ「かき氷」です。
今でこそ夏になれば「映えるひんやりスイーツ」として多くのお店が提供していますが、平安の時代にもかき氷が存在していたのは驚きです。
しかもこれは冬ではなく夏の話。
「冷蔵庫の無い時代、夏に氷なんてあったの?」と疑問に感じる方も多いと思いますが、実は宮中御用達の冷蔵庫がありました。
冬の間に天然の氷を切り出して、山のふもとの穴倉や洞窟の奥に作られた「氷室(ひむろ)」という貯蔵施設が山城国(現在の京都府)にあったのです。
夏になると氷を切り出して都に運ばせて、宮中で暑気払いを行っていたのです。
とはいえ、昔は車も電車もない時代。
人力で運んでいる間にも氷はどんどん溶けていくため、宮中に氷が到着する頃には、氷はかなり小さくなっていたことが予想されます。
そんな貴重な氷を削って食べることができたのは、一部の超上流階級の人たちだけでした。
かき氷は平安の映えスイーツ?
そんな貴重な氷ですから当時の一般庶民は夏に氷、しかも貴重な甘味料である「あまずら」をかけたものなんて滅多にお目にかかることは出来なかったことでしょう。
これを清少納言は「美味しそうなもの」や「食べたいもの」ではなく「あてなるもの」として考えました。
「貴重でおいしいもの」以上に「美しいもの」として捉えたのです。
現代と同じく、かき氷を見た目でも楽しんだのですね。
ちなみに「枕草子」では「つれづれなぐさむもの(退屈を紛らわすもの)」として「果物」が挙げられています。
当時の果物とはお菓子も含まれており、こちらも当然ながら庶民にはなかなか手が届かない代物でした。
現代で言えばエリートOLだった清少納言は、甘いものに関しては庶民に比べてかなり恵まれていたことがわかります。
おわりに
今も昔も、「かき氷」は暑い夏を凌ぐ手段として、そして夏の風物詩として活躍していたことが分かります。
かき氷の歴史は古く、日本で最初に食べたのは清少納言という説もあるそうです。
夏にかき氷を食べる際は平安の時代に思いを馳せながら食べると、これまでとは違った趣が感じられるかもしれません。
参考 :
信長の朝ごはん龍馬のお弁当 編集:俎倶楽部
たべもの日本史 著:永山久夫
あまづらの削り氷 | 一般社団法人日本かき氷協会
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