昔から、ライバルと言われる紫式部(むらさきしきぶ)と清少納言(せい しょうなごん)。
紫式部は小説『源氏物語』、清少納言は随筆『枕草子』をものしており、どちらも平安文学を語る上で欠かせない存在となっています。
それぞれジャンルが違うし、そもそも面識のない両者が実際にライバルとして意識し合ったことはないでしょう。
しかし紫式部は自身の日記『紫式部日記』で、清少納言についてボロッカスに酷評しています。
……清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。……
※『紫式部日記』より
【意訳】清少納言と言えば、意識高い系を気取るドヤ顔女。ちょっとばかりの知識をひけらかそうと漢文なんか書き散らかしているけど、よく見れば文法ミスに誤字脱字の多いこと。
個性派と見られたいのでしょうけれど、いい歳した女性がそれをしては逆効果というもの。陰で笑われているとも知らずに……。
まったく、女性が知識をひけらかすのは本当に痛々しい。今に天罰が当たるでしょうよ。
「アンタは清少納言に恨みでもあるのか?彼女に何かされたのか?」と聞きたくなるほどのボロッカスぶり。
その動機は諸々の嫉妬がメインと考えられていますが、一説には「夫の藤原宣孝(のぶたか)をバカにされたから」とも言われているとか。
清少納言はなぜ藤原宣孝をバカにしたのか?彼女が書いた『枕草子』にこんな記述がありました。
御嶽詣でのいでたちは
……右衛門の佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着て詣でんに、なでう事かあらん。必ずよもあやしうて詣でよと、御嶽さらに宣はじ。」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が、主殿の助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、かへる人も今詣づるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつ、と、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前の守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。……
※清少納言『枕草子』第119段「あはれなるもの」より
【意訳】右衛門佐(うゑもんのすけ)の宣孝という方は、3月末の御嶽詣での時にこんなことを言っていました。
「御嶽詣でに立派な格好で来るなって、そんなの誰が決めたんだ。よもや御嶽様(蔵王権現)が『粗末な服装で来い』とおっしゃった訳でもあるまいに……」
で、その立派な格好というのが濃い紫の指貫(さしぬき。袴の一種)に白い襖(あお。狩衣)、そして山吹色をあしらった派手ないでたち。
息子の藤原隆光(たかみつ。主殿亮)も、青の襖と紅色の袿(うちき。女性用羽織or男性用内着)、乱れ模様を摺斑(すりもどろ)かした水干袴という派手っぷり。
父子そろって派手な格好だから、皆さん質素な中でまぁ目立つこと。
今まで、御嶽詣ででこんな姿を見たことがない……人々は浅ましく思い、軽蔑の眼差しを注ぎました。
しかし4月1日に御嶽詣でから戻り、6月10日の人事異動で筑前守(ちくぜんのかみ。現:福岡県の国司長官)に任じられます。
「もしかしたら、派手な装束が蔵王権現様のお目にとまって、ご利益にあずかれたのかもね」
人々はそう噂したのでした。
まったく「あはれ(趣深いこと)」ではないどころか、むしろ野暮の代表みたいな話ですが、趣深い御嶽詣でつながりで一応記録しておきます。
……この章のテーマが「あはれなるもの」であり、そこに「あはれ」でないものとして夫を晒されたら、妻として不快なのは言うまでもありません。
こういう「要らんこと言って敵を作ってしまう」のが清少納言であり、実に彼女らしいですね。
しかし、これは永祚2年(990年)3月末のできごと。紫式部が宣孝と結婚する10年近く昔の話になります。
「わざわざ取り上げた清少納言も大概だけど、それに目くじらを立てる紫式部もいかがなものか」
と思えなくもありません。皆さんは、どう思われますか?
いずれにせよ、他人様を名指しでとやかく言うのは、あまり「あはれ」ではないでしょう。
終わりに
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、宣孝が山吹色の装束をまひろ(紫式部)に披露してご機嫌にしていました。
※この時点では、まだ結婚していません。
その陰で、彼の噂を聞いたのであろう清少納言(役名ききょう)が、あはれならざふ者として深く記憶にとどめたようです。
果たしてこれが紫式部と清少納言の関係に影を落とす伏線となるのか、今後の展開にも注目しています。
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