まるでファンタジーかおとぎ話の世界に迷い込んだかのような美しいヨーロッパの古城。
そんなお城に一度は訪れてみたいと思う人も多いのではないでしょうか。
特にフランス中部、国内最長のロワール川が流れる渓谷沿いには西洋屈指の名城がいくつも点在しており、かつての王侯貴族達の絢爛な生活ぶりを忍ばせます。
中でもシュノンソー城は、その優美な姿から訪れる者の心を今日も惹きつけています。
かつてこのお城でどんな暮らしが営まれ、そしてどのような人物がこの城を治めたのか、調べてみるとそこには女性城主たちの数奇な運命が刻まれていました。
絵画のごとく城が映える風光明媚な立地、実は元々製粉所
シュノンソー城は長い歴史の中で幾度も増改築を重ね、現在の姿となりました。
城はロワール川からの支流であるシェール川をまたぐかのように築城されており、豪奢な建築と広大な敷地の自然を誇っています。
しかし、この風光明媚な地も当初は城のための土地ではありませんでした。領地の歴史を遡ること11世紀、シェール川にあった「古い製粉所」がその元々の姿だったのです。
この製粉所が名城へと変遷していく発端となったのは1411年のこと。
この地に最初に邸宅を構えたジャン・マルクという人物が国王の軍から扇動罪を問われ、ここに火を放たれるという憂き目にあいます。
ジャンは後に城と水車を再建するも多額の負債を抱え、1513年には彼の相続人がヴァロア朝第7代フランス王・シャルル8世宮廷下のトマ・ボイエにこの城を売却します。
城の再建、陣頭指揮を執る女性たち
その後、財務長官として多忙を極めるボイエに代わり、城の再建と執り成しはボイエの妻カトリーヌに委ねられます。
これを皮切りに城主を務めるのはいずれも貴婦人であったため、シュノンソー城は後に別名「6人の女の城」とまで呼ばれるようになります。
中でも城の歴史に色濃く名を残した城主は、ディアーヌ・ド・ポワチエとカトリーヌ・ド・メディシスです。
ディアーヌはフランス王アンリ2世の20歳年上の愛妾、元はアンリ2世の教育係の女性でした。一方カトリーヌは王と同じ1519年に生まれ、イタリアのメディチ家からアンリ2世の元へ嫁ぎ王妃となります。
シュノンソー城は1536年にフランソワ1世がボイエから買い取っており、アンリ2世の頃にはその所属は王家と定められていて、正妻ではないディアーヌには譲渡できない状態でした。
愛妾と王妃、そして城を巡る王の謀略
シュノンソー城の譲渡以前にも、既にアンリ2世のディアーヌに対する寵愛ぶりは目を見張るものがありました。
新王妃カトリーヌは、わずか20万リーブルの王室費を与えられただけにすぎなかったのに対し、ディアーヌは王冠用のダイヤを始め他の領地や城を与えられ、宮廷内の役職に就いた者に課せられた税収までもが国庫を介さず直接ディアーヌの懐に入っていました。
そのうえ「シュノンソー城を何とかディアーヌに譲り渡したい」と考えたアンリ2世は、この譲渡に対する一切の反対を抑え、非合法な贈り物を合法化しようと寡婦であった彼女の身分を利用して一計をはかります。
アンリ2世は「亡き父である前王が、ディアーヌの夫であった故ブレゲ卿の忠誠に対して十分な報酬を与えておらず、そのため遺族であるディアーヌに報酬を与える」との公書を発布したのです。
無論異議も上がりましたが、アンリ2世はそれらを退け1555年6月、ついにディアーヌが名実ともにシュノンソー城の主として治まったのです。
ディアーヌは国王の庇護にありつつ実務の才にも長けた女性でした。法的に城主となる以前からシュノンソー城の管理に辣腕をふるい、城にも見事な造成を加えていきます。城と対岸をアーチ型の橋で結び、川岸からの氾濫も警戒してテラスを石で補強させました。
こうした土木工事だけでなく、花や果樹を植栽させ庭園を作り、彼女の手で城はさらに美しく洗練されていったのです。
愛妾の失墜により、城は王妃の手中に
しかし、ディアーヌのそうした権勢が突如暗転します。
城の所有者となったわずか4年後の1559年、アンリ2世が突然の事故で急逝してしまいます。シュノンソー城の主は寵姫から一転、王という最も大きな後ろ盾を失ったのです。
そして王妃としての面目は保ちつつ、ディアーヌの元に通い詰める夫に目を瞑り続けてきたカトリーヌは、アンリ2世の死を機にディアーヌに対して「シュノンソー城の明け渡し」を要求したのです。
城の所有は王家を離れていたため、形式上は召し上げではなく領地からの収入が多いショーモン城との交換となりましたが、カトリーヌの真意については今でも諸説があります。
かくしてシュノンソー城の主となったカトリーヌは、自身の趣向にあわせた庭を付け加え、かつて夫が手だてを尽くして愛妾に贈ったこの城に好んで滞在するようになります。
そしてカトリーヌの死後も城は城主となった貴婦人達に守られ、フランス革命の破壊も免れて、その姿を現在に至るまで伝えているのです。
おわりに
今日のフランスでは、ヴェルサイユ宮殿についで数多くの訪問者が訪れるといわれるシュノンソー城。
その姿は、ディアーヌの架けた橋の上にカトリーヌが新たな城館を建設してギャラリーとした16世紀半ば以降、外観を殆ど変えることなく時を経てきました。
優美な城の趣向には、女城主たちがそこで生きた証がそこかしこに名残として感じらるのではないでしょうか。
美しい城に秘められた城主たちの熱情と駆け引きに、思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。
参考文献 :
公妃ディアヌ・ド・ポワチエ フランソワ一世の時代 (ルネッサンスの女たち) 桐生 操 (著)
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